昨日の話 | ぐうたらママのだらだら投資日記

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毎日まいにち世界情勢、会社観察から投資対象をひたすら考えているアナリストの楽しい日記

昨日の話。まず昼の次郎。
日曜に三菱のやってる科学館に行った時、朝早く出かけたのに私の目当ての「ヘリコプター操縦シュミレーション」の受付が午前の分もう終わっていて残念がっていると、次郎が「操縦シュミレーションなんて、いくらでもネットにあるよ、僕が見つけてあげるよ」と言う。ここは子供を親が連れてくるところで、普通は親子の立場が逆なんじゃないだろうか、と思いつつ、「操縦桿と大きな画面がないもん」と言うと、「僕が買ったジョイスティックがあるよ。父たんのディスプレイだったら大きいよ」とすかさず代替案を出してきた。
丸め込まれた振りをして忘れていたけど、翌日、次郎がちゃんと見つけてくれた。ヘリコプターじゃないけど、ちゃんと運転シュミレーションで、時々飛べる。キーボード操作で障害物を避けて進み、ゴールするのだ。
しかし、私がやると、ゴールまでに何回も障害物に激突。ゲームじゃぶつかってもお咎めなしで一旦止まるだけだけど、「現実だったら一回ぶつかったとこで終わりだよなあ」と思うと、いまいち乗れなかった。
「できない、できない」と騒いでいると、次郎が「僕がやってみるよ」と横から手を出してゲームを始めた。・・・・・うまい、すごい、っていうか、なんでぶつからないの?
次郎は、クーポン券の当たるワタミのゲームでビール注ぎと焼き鳥をやらせたとき、あまりにうまくやりすぎて、成功数を表示する桁数がなくなり、最後はずっと99だかのままでやっていたってことがあった。ビールは永遠に注ぐ羽目になるし、焼き鳥だって永遠に焼いてなきゃなんないし。終いには手がしびれて痛くなったらしい。同じゲームを私がやったら、あっという間に終わってしまい、ご褒美のクーポンの画面も出なかったし。
あまりにうまくできる次郎は自分がゲームしても面白くないらしく、「あー、お母さんがゲームするの面白かった」と何度も感心して、えらく満足そうだった。次郎的には、私ほどできないっていうのは感心することらしい。
夜の話。茶碗洗いとヘッジ。
土曜日に「試験二日前だよ」と抵抗していた太郎にキッチンの床の拭き掃除をしてもらったこともあり、請け負い仕事とはいえ試験勉強中の太郎にお茶碗を洗わせて母が寝転がって韓国ドラマを見てるのもなんだなあ、というのもあり、量を減らしてやろうと、茶碗洗いを始めたら・・・・・割った。
私が一年に何度茶碗洗いをするというのか?何でたまに善行をすると凶事が降りかかるのか?っていうか、凶事じゃなくてただ単に間抜けだっただけなんだろうけど。
毎日毎日、何年もお茶碗洗ってきた次郎が、洗ってる最中に割ったことなんてあったか・・・・?
粗忽だとされてる次郎だけじゃなく、最近仕事を引き取った間抜けだとされてる太郎すら割ってない。「子供たちはすごいな。よく割らずに洗えるな・・・」と感心した。「もう、お母さんは自分で茶碗洗わない」と言って、子供たちから「ふっ」と失笑される。年に数回出しゃばって騒ぎ起こすなら何もしないでくれ、って感じだ。愚痴に付き合わされたり慰めたりで大変だしな。
お茶碗洗いを太郎に任せ、一応ドラマは遠慮してキッチンでお茶を飲んでいると、ふと「そうだ、ヘッジの理屈について子供らに教えてやろう」と思いつく。
成田に行くのにいつも買ってる京成の株主優待券というのがある。去年は期限までけっこう余って、最後はすごい値引きして売ってたんだけど、今年は期限まで4ヶ月もある(つまりは出てまだ2ヶ月しか経ってない)のに多分もう都内の金券屋のどこにもない。
私はその都内金券屋在庫が払底する直前、というか多分前日に、夏と秋の旅行分を買っておいた。夏はほぼ確実(99.9%)に行くけど、秋は行くかどうかわからない。
1000円のものが700円になる、旅行しなければゴミになる、とすると、何%の確率で旅行するとすれば買った方がいいのか?と子供たちに問題を出す。70%で価値が均衡するわけだけど、70%は確率でしかなく、現実には行くか行かないかは不明のままだ。買わずによけいに払う羽目になるのも、買って捨てる羽目になるのも、どっちもリスクだ。そのリスクを売買するのをヘッジと言うんだ、と教える。ヘッジファンドは元々、他が背負いきれないリスクを買い取るファンドだったんで、ギャンブル屋だったわけじゃない。
人間には気持ちというものがあり、自然状態ではリスクを正確には判断できない。でもリスクの計算は数学を使えば正確にできる。だから投機には数学が絶対必要だけど、数学だけじゃ投機はできない。「何パーセントの確率で旅行するか」は人間が判断しなきゃならない。金券屋の在庫状況も人間が把握するもんだ。それに、この話の前提では、旅行しなきゃ捨てることになってるけど、在庫がなければ不要なときに金券屋が買い取るかもしれない。すると行かないときのリスクは格段に低くなる。けれども、金券屋が将来的に買い取るかどうかはわからない。いくらになるかもわからない。在庫がなければ期限が近くても買うのか、買わないのか、どっかから大量に券が出てきて在庫自体が飽和するのか、も、数学じゃわからない。
私的には、在庫がなきゃ1ヶ月前でも買うだろうし、優待券を売る人はみんなもらってすぐに売るから、後から出てくるなんて有り得ないと思うし、在庫がないのはこの券の在庫に強い二軒プラス一軒チェックしたんで確実だと思ってるし。
「そんなさーーー、数学だけでリスク計算できたら、数学できる馬鹿がみんな儲かるじゃん。そんなことありえねーーーし。数学なんて誰だってできるし。数学はできなきゃいけないけど、単に計算道具ってだけで、それだけだったら何にもならないし。わかったか、子供ら」と説教をすると、子供らは「わかったー」と声をそろえる。
子供らの話によると太郎は中学で確率をやってないし、次郎の教科書にはあるみたいで、「ゆとり教育時代には確立がなかったのか?」って感じだ。すげえ重要で有用な数学なのに呆れるし。公立しか行かない貧乏人の子供は、有効な学問も教われないで、子孫代々貧乏人やってろってことか??
しかし、こんな話に付き合いながら、皿洗って、よく割らないな、太郎。
深夜。太郎の話。
さあ寝ようか、という時に、太郎が「ワン」とやってきた。「なんで犬の真似してるの?」と聞くと、黙ってノートを差し出す。いよいよ寝れるぞ、と喜んでるワンちゃんに勉強を教えてもらいに来たのだ。「試験の前の日のこの時間にわからない問題があるって、何それ?普通、わからないことはもうなくなって、確認だけしてる時期でしょう?」と言うと、「この科目は授業中もわからない」と言う。「はああーーー。何それ?勉強だけが唯一の取り柄なのに。勉強できなきゃもうダメじゃん」と言うと、「ひどいキー」と棒読み風に言う。かわいらしいし。「ひどいって、勉強の他になんか取り柄あんの?」と訊くと、つぶらな瞳で瞬きをパチパチしていた。こういう時にはコイツは何も考えてないのだ。脳みそ空白の様子がかわいいし・・・・。
馬鹿馬鹿言われつつワンちゃんに教わり、やっと寝る時間になって電気を消して転がっていると、太郎が添い寝に来た。「国語もダメキー。教科書毎日忘れてたんで、授業でやっててもわからないキー」と言うんで、「なんで毎日教科書忘れるんだ」と締め上げると、「キーごめんなさいキー、春休みに持って帰って、そのままだキー、ほとんどの教科書学校に置いてあるんで、いつもかばんに教科書入れてないんだキー、毎回、国語の時間になって国語は家に置いたままだって気がつくんだキー」と言う。お仕置きにクスグリ攻めにしてやろうとしても、向こうのほうがもう手が大きくて力もあるんで、押さえられてしまい、全然やれなかった。
この日の晩御飯は、鮭の香り照り焼き、ニンジンとキャベツの炒め、古漬けごま油、生卵、オカラ炒め、納豆、揚げナスの味噌汁。