クロネコさんFOREVER!
ちょうど半年前、
私の人生の中で一番長く一緒に暮らした同居者、
クロネコさんが永眠した。
兄弟の中で一番ちっさくて痩せせて、すまして歩く、しっぽの長いクロネコさんをもらってきた。
それから22年間、変わらずスマートでツヤツヤしていて気取っていた。
そして亡くなる2年前、
顔が化膿し、病院でグッタリしていたクロネコさんは、
もってあと3日と言われた。
エリザベスカラーというらしい、パラボラアンテナみたいなのを
付けられ、すっかり不機嫌なクロネコさんを連れ帰り、
せめて取れてから逝かせてあげたいと思った。
クロネコさんは気取った猫なのだから。
クロネコさんへ切々とお願いした私の懇願の甲斐があったのか?!
2週間程度であっという間に元の状態に復活した。
それからの毎日は、お願いして留まってもらったという気持ちがあり、
その後のクロネコさんの日々は
私の為に生きてくれているような気がしていて日々感謝。
そしてすっかり甘やかしていた。
亡くなる前の数日、
クロネコさんの背中を私がずっと撫でているという夢を何度も何度も見た。
気持ちよくて私もクロネコさんも、喉を鳴らしていた。
起きた途端、不安に襲われ飛び起きクロネコさんの様子を確認する日々。
とうとう不安的中の当日の朝、
クロネコさんは腰が抜けたような状態にも関わらず、
いつものようにキッチンによたよた歩いてきて餌をねだっていた、
とはいうもののあまり食べられず、
その場でうずくまってしまったクロネコさんを抱き上げ、いつもの位置に寝かせた。
(前日は、その状態で階段を昇って私の部屋の前にいたのだからスゴイッ!
階段を降りる様子は、まさに転がり落ちるに近い感じ!!怖くて見ていられず
結局、抱き上げて降りた私)
夕方仕事から帰ったら、前日迄のように玄関で迎えてはくれなかった。
、、、.喉がつまり耳が塞がった。
部屋に入ると、
いつもの場所に横たわったまま、喉の奥で「ン~」と鳴いて私を呼んだ。
もう「ニャー」とう声は出すことが出来ない様子、、
鳴いたのもそれが最後。
2カ月ほど前、再度付けなくてはならなくなったエリザベスカラーを外してやtった。
その時もう何も見えてなかったのではないだろうか、
見開いたままの目はどこも見ておらず、水も飲まず、動かず、、
心だけがやっとのことで生きている感じ。
暫くするとその心も遠のいて、
殆ど意識のない呼吸のみの物体みたいに。。
夜9時頃、同居の友人が見にきた、
それまで全く動かなかったクロネコさんがなんと起き上がり
顎を上げ撫でてもらいながら相手の顔を見た。
ほんの2、3秒だが最後の挨拶をしたように思え、見ていて胸が詰まった。
そしてまた呼吸のみの物体に戻った。
数時間経ち、
もう背中の鼓動の上下を見なければ生きているかどうかもわからない。
そんなクロネコさんに私はあと一日だけでいいからと酷なお願いをした。
すると、どこも見てない目をしたままのゾンビのようなクロネコさんが、
ガクガクと体を起こし、水を2口なめた。。
見ている私が苦しくて、もういいよって思った。
クロネコさんは日付が変わるのを待つようにして、
私の居ない隙に独りで逝った。
目を見開いたまま、空気を求めたのか口を開き足をピンと伸ばしきり、
とても苦しそうな死に顔だった。
その時を看取っていたら、まだ引きずっているかもしれない。
ここ3ヶ月、顕著に弱っていく状況で、病院に連れて行かないと決めたものの、
毎日のように自問自答し悩んでいたけれど、
クロネコさんの死に顔は、全て終わり、これでよかったのかもと思わせてくれた。
クロネコさんは母のように強く潔かった。
2年間という時間で、少しずつ私に覚悟をさせてくれていたのだと思う。
「な~んも考えてねえよっ」て言われそうだけど。
クロネコさんは我が道をいくホントに猫らしい猫。
猫っかわいがりなんてした事が無かったし、出来なかった。
私とクロネコさんは同居人としてお互い、いつも視線の届く範囲に居て、
甘えたい時、かまいたい時だけ、愛情をぶつけていた。
居なくなって、クロネコさんの居たことによる私の生活習慣だけでなく、
自宅での動きの中に染み付いた視線の動きがあることに気付いた。
ドアを開ける時そこに居たらぶつけてしまうのでそっと覗いてから開ける、
餌と水の状態を見る、猫用トイレを見る、
キッチンで料理する時も、何度か振り返ってクロネコの位置を確認、
出かける前に見る、通りすがりで見る、ドアを閉める前、冷蔵庫を開ける前、
帰宅時にいつも迎えに来てくれる方向を見る、、
その視線の先にクロネコさんが見えないって事だけで、勝手に涙が溢れる日々。
でもその感情が何なのかがよくわからないまま泣いていた。
もちろん空虚感や淋しさはあるのだが、それだけではない。
子供の頃にペットを亡くした時のような、
ただただ悲しみに囚われるというものではなく、
居るべきものが視界にないって事の代償のような涙。
多分感謝の気持ち、畏敬、尊敬の念だと思う。
思い癖、、、
ほとんど泣かなくなった今でも突然、
帰った瞬間玄関ドアの向こう側でミャ~となくハズと思ってしまう癖、
朝部屋の前で待っているハズと思う癖、
冷蔵庫を開けたら走り寄ってくるハズ、etc,,,
1日に何度も何度も、もう居ないんだあ~~
とユルいボディーブローが少しずつ減りつつある。
クロネコさんの形跡の数々が消えてゆくが、
今は、あの苦しそうな死に顔ではなく、
ふと穏やかに、ツヤツヤの気取ったクロネコさんを思い出せるようになった。
あのちっちゃい痩せたクロネコさんから生きるって事を教わった気がする、
私のにゃんこ先生なのだ。
人にへつらうなんてことも無く、
気分次第で飄々と生き、自分の欲望を押し通す強さと可愛さ。
...そしてあの癒しの手触り。
にゃんこ先生FOREVER!
私の人生の中で一番長く一緒に暮らした同居者、
クロネコさんが永眠した。
兄弟の中で一番ちっさくて痩せせて、すまして歩く、しっぽの長いクロネコさんをもらってきた。
それから22年間、変わらずスマートでツヤツヤしていて気取っていた。
そして亡くなる2年前、
顔が化膿し、病院でグッタリしていたクロネコさんは、
もってあと3日と言われた。
エリザベスカラーというらしい、パラボラアンテナみたいなのを
付けられ、すっかり不機嫌なクロネコさんを連れ帰り、
せめて取れてから逝かせてあげたいと思った。
クロネコさんは気取った猫なのだから。
クロネコさんへ切々とお願いした私の懇願の甲斐があったのか?!
2週間程度であっという間に元の状態に復活した。
それからの毎日は、お願いして留まってもらったという気持ちがあり、
その後のクロネコさんの日々は
私の為に生きてくれているような気がしていて日々感謝。
そしてすっかり甘やかしていた。
亡くなる前の数日、
クロネコさんの背中を私がずっと撫でているという夢を何度も何度も見た。
気持ちよくて私もクロネコさんも、喉を鳴らしていた。
起きた途端、不安に襲われ飛び起きクロネコさんの様子を確認する日々。
とうとう不安的中の当日の朝、
クロネコさんは腰が抜けたような状態にも関わらず、
いつものようにキッチンによたよた歩いてきて餌をねだっていた、
とはいうもののあまり食べられず、
その場でうずくまってしまったクロネコさんを抱き上げ、いつもの位置に寝かせた。
(前日は、その状態で階段を昇って私の部屋の前にいたのだからスゴイッ!
階段を降りる様子は、まさに転がり落ちるに近い感じ!!怖くて見ていられず
結局、抱き上げて降りた私)
夕方仕事から帰ったら、前日迄のように玄関で迎えてはくれなかった。
、、、.喉がつまり耳が塞がった。
部屋に入ると、
いつもの場所に横たわったまま、喉の奥で「ン~」と鳴いて私を呼んだ。
もう「ニャー」とう声は出すことが出来ない様子、、
鳴いたのもそれが最後。
2カ月ほど前、再度付けなくてはならなくなったエリザベスカラーを外してやtった。
その時もう何も見えてなかったのではないだろうか、
見開いたままの目はどこも見ておらず、水も飲まず、動かず、、
心だけがやっとのことで生きている感じ。
暫くするとその心も遠のいて、
殆ど意識のない呼吸のみの物体みたいに。。
夜9時頃、同居の友人が見にきた、
それまで全く動かなかったクロネコさんがなんと起き上がり
顎を上げ撫でてもらいながら相手の顔を見た。
ほんの2、3秒だが最後の挨拶をしたように思え、見ていて胸が詰まった。
そしてまた呼吸のみの物体に戻った。
数時間経ち、
もう背中の鼓動の上下を見なければ生きているかどうかもわからない。
そんなクロネコさんに私はあと一日だけでいいからと酷なお願いをした。
すると、どこも見てない目をしたままのゾンビのようなクロネコさんが、
ガクガクと体を起こし、水を2口なめた。。
見ている私が苦しくて、もういいよって思った。
クロネコさんは日付が変わるのを待つようにして、
私の居ない隙に独りで逝った。
目を見開いたまま、空気を求めたのか口を開き足をピンと伸ばしきり、
とても苦しそうな死に顔だった。
その時を看取っていたら、まだ引きずっているかもしれない。
ここ3ヶ月、顕著に弱っていく状況で、病院に連れて行かないと決めたものの、
毎日のように自問自答し悩んでいたけれど、
クロネコさんの死に顔は、全て終わり、これでよかったのかもと思わせてくれた。
クロネコさんは母のように強く潔かった。
2年間という時間で、少しずつ私に覚悟をさせてくれていたのだと思う。
「な~んも考えてねえよっ」て言われそうだけど。
クロネコさんは我が道をいくホントに猫らしい猫。
猫っかわいがりなんてした事が無かったし、出来なかった。
私とクロネコさんは同居人としてお互い、いつも視線の届く範囲に居て、
甘えたい時、かまいたい時だけ、愛情をぶつけていた。
居なくなって、クロネコさんの居たことによる私の生活習慣だけでなく、
自宅での動きの中に染み付いた視線の動きがあることに気付いた。
ドアを開ける時そこに居たらぶつけてしまうのでそっと覗いてから開ける、
餌と水の状態を見る、猫用トイレを見る、
キッチンで料理する時も、何度か振り返ってクロネコの位置を確認、
出かける前に見る、通りすがりで見る、ドアを閉める前、冷蔵庫を開ける前、
帰宅時にいつも迎えに来てくれる方向を見る、、
その視線の先にクロネコさんが見えないって事だけで、勝手に涙が溢れる日々。
でもその感情が何なのかがよくわからないまま泣いていた。
もちろん空虚感や淋しさはあるのだが、それだけではない。
子供の頃にペットを亡くした時のような、
ただただ悲しみに囚われるというものではなく、
居るべきものが視界にないって事の代償のような涙。
多分感謝の気持ち、畏敬、尊敬の念だと思う。
思い癖、、、
ほとんど泣かなくなった今でも突然、
帰った瞬間玄関ドアの向こう側でミャ~となくハズと思ってしまう癖、
朝部屋の前で待っているハズと思う癖、
冷蔵庫を開けたら走り寄ってくるハズ、etc,,,
1日に何度も何度も、もう居ないんだあ~~
とユルいボディーブローが少しずつ減りつつある。
クロネコさんの形跡の数々が消えてゆくが、
今は、あの苦しそうな死に顔ではなく、
ふと穏やかに、ツヤツヤの気取ったクロネコさんを思い出せるようになった。
あのちっちゃい痩せたクロネコさんから生きるって事を教わった気がする、
私のにゃんこ先生なのだ。
人にへつらうなんてことも無く、
気分次第で飄々と生き、自分の欲望を押し通す強さと可愛さ。
...そしてあの癒しの手触り。
にゃんこ先生FOREVER!