覚悟
記事『吐き気』
でも書いたように、僕は、
「『良かれ』と思いつつ、知らず知らずのうちに自分の基準を相手に押し付けているような人」
を見かけると、たまに吐き気がする。
もちろん、
僕がこんな風に感じる、ということもまた、
僕の感じ方であり、僕の基準だ。
「吐き気がする」と言って嫌悪感を顕わにすることは、
その僕の基準を相手に押し付けようとしていることに他ならない。
だから、そう思うと僕は、
誰よりもまず、自分自身に対して吐き気がしてくる。
そして、自分のことを「偽善者だ」と感じる。
でも、そこで怯んでしまっていいのだろうか。
そこで怯んでしまったら、
「吐き気がする」という気持ちは、そこで封印されてしまう。
飲み込んだ言葉は、誰にも伝わらない。
ただ、僕の心の中で渦巻いているだけ。
・・・そっちのほうが、むしろ自己満足ではないか、という気がする。
だから、僕は覚悟する。
僕が、押し付けがましい人に対して生理的な嫌悪感を持っているように、
別の誰かが、僕に対して生理的な嫌悪感を持つかもしれない、ということを。
あるいは、既に持っているかもしれない、ということを。
そして何よりも、僕自身が僕自身を嫌悪することを。
それでもなお、伝えたい一心で、
僕は、僕の考えを言い続ける。
なかなか理解されないとしても、生理的な嫌悪感を持たれたとしても、
理解されにくければこそ、言い続ける価値があるのだから。
「それ」を伝えることが、本当に大事なら、
理解されない程度のことで怯んでなんかいられない。
誤解されることだって、嫌悪されることだって、覚悟の上。
自己嫌悪の塊にだって、なってやるさ。
仕方ない。