自己嫌悪になりながらも続けます | 考えすぎ

自己嫌悪になりながらも続けます

僕が、このブログで何かを書く。
疑問に思ったことや、感じたことを言葉で表現する。


でも、僕がこうして疑問を抱いているように、
別の誰かが、僕が書いたものに対して疑問を抱き、時に腹を立てることもある。
そのことを思うと、自分の考えを言葉にするのが難しくなる。
「自分が発した言葉のせいで、誰かが不利益を被るかもしれない」
「自分が発した言葉のせいで、誰かが不愉快になるかもしれない」
そう思うと、文章が書けなくなる。


けれども、もし、言葉を発しなければ、
それは無かったのと同じことになってしまう。


タイミングにもよるが、言葉は人を助ける。
使われ方にもよるが、言葉は人を支える。
しかし、言葉を発しなければ、
言葉が人を助けることも、言葉が人を支えることも、あり得なくなってしまう。


僕は、自分の言葉が誰かに不利益を与えてしまうことが恐い。
僕は、自分の言葉が誰かに不快感を与えてしまうことが恐い。


でも、かつて僕を支えてくれた人も、実は恐れていたのかもしれないのだ。
僕を引っ張り上げてくれた人も、実はビクビクしていたかもしれないのだ。
それでも、僕という人間としっかり向き合ってくれて、
いびつながらも真剣な言葉を投げかけてくれた。
そういう経験に、僕は何度救われてきたか知れない。


してもらったことと同じことは、なかなかできそうもない。
でも、いびつながらも真剣な言葉を投げかけることであれば、
自分なりの方法で良ければ、何とかできそうだ。


・・・この投げかけが、何の役に立つのか、そもそも何かの役に立つのか、
僕には全然わからない。
ひょっとしたら、害にしかならないかもしれない。
害にしかならなかったら、ただひたすら謝るしかない。
場合によっては、謝ることさえ許されないかもしれない。




それでも僕が投げかけをやめないのは、
ここまでに僕が支えられ、生かされてきたのと同じようなことで、
僕も、少しでも還元していきたいから。
それだけです。


雲を掴むような話かもしれません。
机上の空論かもしれません。
思い上がった傲慢な態度かもしれません。
・・・それでも、僕は、そうせずにはいられないのです。


というわけで、僕は、これからも、
世間から見れば非常識な文章を書いていきます。
論理的に判断すれば荒唐無稽な言葉を綴っていきます。
己の非常識ぶりや荒唐無稽さに自己嫌悪になりつつも、
その自己嫌悪についても書き残し、
それから僕は、また同じような書き物を続け、似たようなことを繰り返すのだろうと思います。