書きものを公開するようになったわけ | 考えすぎ

書きものを公開するようになったわけ

自分の考えや気持ちを文字にして残すようになったのは、
大学に入学した年(2000年)からです。
以後、毎日のように、書き残す専用のノートを持ち歩いてきました。


中学生の頃、国語の授業関連で、
「3年間で本を50冊読んで、感想文を書いていく」
という長期のプロジェクトがありました。(その感想文の束は、今でも手元に残っています。)
大学に入学した年のある日、それを読み直して、
「この頃の自分は、こんなことを考えていたのか」
と、自分の変わりようを痛感しました。
・・・自分の思いをちゃんと書き残そうと心に決めたのは、その頃でした。

そういうわけで最初のうちは、もっぱら自分のために、
「未来の自分に対するメッセージ」として残すつもりでノートに書き溜めていました。
誰かに見せるつもりなんて、全然ありませんでした。(ごく近しい友人には、感想が欲しくて読んでもらったりもしていましたが。)
でも、2003年になってから気が変わって、
ウェブ上で自分の書きものを公開するようになりました。


自分と同じような、矛盾に満ちて歪んだ醜い気持ちを抱えている人が、きっといる。
かつて自分がそうされたように、
僕も、そういう人たちを引っ張り上げる・・・とまでは行かなくとも、少しでも何か役に立ちたい。
そういう気持ちで、今は公開しています。




解決なんて、できません。
といっても、「解決できない」と決め込んでいるわけではありません。
解決したいけれども、ずっと出来ずに今まで来たんです。


今の世の中では、そういう悩みは、
「考えすぎだよ」
「簡単だよ、こうすれば解決できるよ」
と、あっさり結論を出され、強制的に終わらされてしまいます。
そうやって、日の目を見ないまま葬り去られてしまった気持ちが、たくさんあります。
僕は、
行くあてのない真剣な気持ちを、そんなふうにあっさりと葬りたくありません。
自分が、そうされて悲しかったからです。
まどろっこしくても、合理的でなくても、解決できずにいる悩みをそのまま日の目にさらしたい。
そう思っています。


僕にわかるのは、僕が悩んだこと(と、それに近いこと)だけです。
だから、自分でも気づかないうちに、僕も、誰かの思いを葬ってしまっているかもしれません。
それについては、「ごめんなさい」と謝ることしかできません。
心のなかで謝りながら、でも、
自分と似たような思いを抱えた誰かに向けて、自分の悩みや気持ちを、これからも書き続けるつもりです。
もちろん、
「未来の自分があとで読めるようにしておく」
ということが、今でも一番大きな動機ですが。



P.S.
ブログを書くようになってからは、書き残す専用のノートを持ち歩かなくなりました。
インターネットにアクセスさえできれば、どこからでも更新できるので。
・・・だから逆に、データが消えてしまったら大泣きです。
バックアップとってないし。
(とれよ、って話ですが(汗)。)
アメーバブログさん、頼みます。