http://123.sub.jp/kako/


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


放棄       (20070728)


19歳の時、私は自殺未遂をした。 
母に、「 死ねばよかったんだバカヤロー! 」と、怒鳴られた。
愛情からでは無く、子供染みた憤りから。 感情の起伏のままに怒鳴られ捨てられた。
。。。どこか、期待してた。 母の愛情を。 優しさを。
浅ましい、いじましい、みっともない自分に、静かに笑ってしまってた。
なんて、情けないのだろうと。


病院で、医師が。
「 うわ!これは飛ぶから気をつけろ! 」と、声を荒げて飛びのいた。
そして、私は笑った。
若い医師が、「 丁寧に縫ったから、痕には成り難いと思うから 」と、本当に丁寧に縫ってくれた。


私の左手の薬指は、2ヶ月ほど、動かなかった。
けれど、しばらく経って。 普通に動くようになった。
この2ヶ月間。
「 指輪の似合わない指になってしまったね 」と、薬指から目を逸らしてました。


私はこれから2年ほど、ベッドから起きられない生活が続きました。
けれど、接待には参加をし。 笑い、笑わせ。 父とのパイプを結び。
人事や運営、時には人が足らない時には現場へ向かいました。


二十歳の時。
私に関する全権限・権利・相続の放棄。を、全ての家族に言いました。
そして、家の墓には入らず、無縁仏になるので、私の意志を尊重して欲しいと。
家族は、大反対でした。
けれど、ことあるごとに私は、唱え続け、主張続けました。


今の私には、本当に何も無いけれど。
あるものは、人を傷つけ、欺いてきた歴史ばかり。
それでも、この手でできる事が残されているのなら、向き合っていこうと思う。
やっと、そういった決心がついたような、、、つき始めたような気がします。
人はやっぱり、、、過去の先人たちが仰っていたように、変われるものなのかも知れませんね、、、


「 ナニカ 」に、償っていけるのかも、知れませんね。
私はずっと、、、「 ナニカ・誰か 」に許されたかった。 キレイな人に、許して欲しかった。
生きる事、許して欲しかったから。 だから、生きる事を手離せなかったのかも知れませんね。。。