10歳のときから・

いろんな・意味での・接待や・食堂の現場・会社運営・人事など・やっていました。

お小遣いも・ほとんど・ありませんでした。


高校生になって・お昼ご飯代に・

毎日・父から・手渡しで

>500円もらいました

時に、1週間分、もらいました。


高校卒業後

クリスマスくらいまで・栄養士の専門学校へ・在籍してました。


2年くらい、ベッドから起き上がれず。

それでも、仕事や接待などは、

>明るく・振舞っていました。


24歳くらいまで。

給料は、1万円から・3万円くらいに、上がっていきました。

そこから・お昼ご飯代なども・出していました。自分の・電化製品なども。

>洋服などは・泣かされながら・母の趣味の服を・「 母のお金 」で・買ってもらっていました

@母曰く・「 お前たち( 妹・私 )の・給料は・手渡しすれば・あるだけ使っちゃうから・毎月10万から20万・積み立てておいてやる 」と。

けれど・そのお金は・どこにも・ありませんでした。


会社を・辞めるまでの・3年間くらいは。

給料が・12万円から・14万円くらいに・なりました。

そのうちの・1年間だけ、私の給料は40万円くらいに・なりました。

千葉に・1年ほど・住んでいたからでした。退社するつもりでしたが、、、

>次期社長の・弟を・再教育していけ!と、、、

( 一度・弟が高校生のときに・会社経営や・人事など・教えていました。この・教育内容は・おって・詳細に・書いていきます。これが・人事や・教育の・なにかの・一つになればと・思います、、、 )


お給料は、あまり、ありませんでした。

けれど、会社を辞める・3年間くらいは

>研究・開発費( 人事・交際費・開拓費など )として、

年間600万円くらいまで・認められていました。

明確な理由があれば・それ以上の・経費も認められていましたが。

計上したことは・ありませんでした。


27歳のとき・退社しました。

そして・10年・ひきこもりました。