未来を生きる君たちへ | 人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

ネットの海を漂う吟遊詩人になって
見知らぬあなたに愛を吟じよう


人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

監督・原案  スサンネ・ビア

脚本・原案 アナス・トマス・イェンセン

撮影 モーテン・ソーボー

編集 ペニッラ・ベック・クリステンセン、モーティン・エグホルム

出演 ミカエル・パーシュブラント、トリーヌ・ディルホム

2010年 デンマーク/スウェーデン


原題は『復讐』。
暴力を受けた者にとって、復讐という名の暴力が正当化されるものなのか?
人間にとっての罪と罰とは何かを問いかけた作品です。

本作には、妊婦を捕まえては、身篭っている子が男の子か女の子かを
賭けの対象として、それを確かめるために妊婦の腹を切り裂くという
残忍な行為を繰り返す“ビッグマン”という名のゲリラのボスが登場します。
アフリカの難民キャンプに赴任している主人公の医師アントンのもとに、
連日のように、“ビッグマン”の犠牲になった妊婦たちが運び込まれてきて、
観客はその悲惨な光景に怒りや憎しみといった感情を刺激されることになります。
このように本作は、常に被害者側の視点から見た暴力の理不尽さを
突き付けられるわけですが、本当に描かなければならないのは、
“ビッグマン”を悪のシンボルとして描くことではなく、この男をモンスターに
してしまった背景を描くことで、この種の映画にありがちな、加害者側の視点抜きでは、
暴力の本質は見えてこないのではないでしょうか。

先月、当時18歳の少年が、主婦と生後11ヶ月の娘を殺害した上に、
殺害した主婦を屍姦するという残虐な行為を犯した罪の裁判で、
夫の本村洋さんの13年間の執念(復讐心)が実って、漸く死刑が確定しましたが、
果たして「彼(被告)にとっては大変残念かもしれないが、罪はきっちりと
償わなければならない。」とコメントした本村洋さんの思い通りに、
被告は死を持って罪を償うことができるのでしょうか?
私は、死刑という判決はあくまで罰で、罪というのは、加害者が被害者に対する
償いなしでは成り立たないと思うからです。
それでは償いとは何か?それは、罪を犯した者だけにしか分からない暴力の本質を探り、
同じ悲劇を繰り返さない事だと考えます。

綺麗事が通用しない世界があります。
安全な場所で理想を語るのは簡単です。
ひとつだけ確かなことは、直接犯罪に手を染めなくても、社会を構成している一員として、
私たちもある種の罪に加担している事なのです。