吉川英治さん

「三国志(六)」


文中より


「厳顔はすでにわが軍の捕虜となったぞ。降る者はゆるさん。

刃向うものは八ッ裂きにして猪狼の餌にするぞ」


張飛の声を聞くと、城兵は争って甲や戈を投げ捨て、その大半以上、降人になった。

こうして張飛は、ついに巴城に入って、郡中を治めた。


法三条を出して


民ヲ犯スナ

旧城文物ヲ破壊スナ

旧臣土民ヲ愛撫セヨ


と掲げたので、巴城の土民は


(張飛という大将は、聞くと見るとは、大きなちがいだ)


と、みな彼になついた。


張飛は、厳顔をひかせて、庁上から彼を見た。


厳顔はひざまずかない。


張飛は、眼をいからして


「汝、礼を知らぬか」と、𠮟咤した。


あざ笑って、厳顔は


「われ、敵にする礼を知らず」と、冷やかに嘯いた。


張飛は、階をとび降りた。そして佩剣に手をかけて


「老匹夫、たわ言をやめろ。今のうちに、降参するといわぬと

もうその首が前に落ちるぞ」


「そうか。・・・・首よ。わが多年の首よ。おさらばであるぞ。

・・・・張飛、猶予すな、いざ、斬れっ」


みずから頸をのばした。


張飛はふいに彼のうしろへ寄ってその縄を解いた。

そして手を取って庁上へいざない、みずから膝を折って再拝した。


「厳顔。あなたは真の武将だ。人の節義を辱めるはわが節義に恥じる。

さっきからの無礼はゆるしたまえ」


「君。節義を知るか」


「聞かずや厳顔。皇叔と関羽とこの張飛との桃園の誓いを」


「ああ、聞いておる。君ですらかくの如し。関羽や玄徳はどんな立派な人だろう」


「どうか、その人々と、ともに交わって、蜀の民を安んじてやって下さい」


「君も味なことをいう男だ」


厳顔は張飛の恩に感じて、ついに降状をちかい、成都に入る計を教えた。


「ここから雒城までの間だけでも、途中の関門には、大小三十七ヵ所の城がある。

力業で通ろうとしたら百万の兵をもって三年かかっても難しいであろう。

しかし、この厳顔が先に立って、我すらかくの如し、況や汝らをや・・・・

と諭してゆけば、風をのぞんで帰順するでしょう」


事実、彼を先鋒に立てて進むほどに、関は門を開き、城は道を掃いて

血を見ずにすべての要害を通ることができた。





3月のラン total 77㌔
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吉川英治さん

「三国志(六)」


文中より


どんな英傑でも、年齢と境遇の推移とともに、人間のもつ平凡な弱点へ

ひとしく落ちてしまうのは是非ないものといえる。


むかし青年時代、まだ宮門の一警手にすぎなかった頃の曹操は

胸いっぱいの志は燃えていても、地位は低く、身は貧しく

たまたま、同輩の者が、上官に媚びたり甘言につとめて

立身を計るのを見ると、(何たるさもしい男だろう)と

その心事を愍み、また部下の甘言をうけて、人の媚びを喜ぶ上官にはなおさら

侮蔑を感じ、その愚をわらい、その弊に唾棄したものであった。


実に、かつての曹操は、そういう颯爽たる気概をもった青年だった。


ところが、近来の彼はどうだろう。

赤壁の役の前、観月の船上でも、うたた自己の老齢をかぞえていたが

老来まったく青春時代の逆境に嘯いた姿はなく

ともすれば、耳に甘い近側のことばにうごく傾向がある。


彼もいつか、むかしは侮蔑し、唾棄し、またその愚を笑った上官の地位に

なっていた。しかも、今の彼たるや人臣の栄爵を極め

その最高にある身だけに、その巧言令色にたいする歓びも受けいれかたも

とうてい、宮門警手の一上官の比ではない。


いま重臣董昭から


(この際、魏公の位に登って九錫を加えられては如何ですか)


と、すすめられると、曹操はなにをはばかる考えもなくすぐに


(そうだ、なぜ自分は、今まで九錫を持たなかったろう)


と、すぐその気になって、朝廷にそのゆるしを求めた。

もちろんその意のままになる。

彼は以後、魏公と称し、出るも入るも、九錫の儀仗に護られる身となった。




本日のラン10㌔ タイム1:00

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吉川英治さん

「三国志(六)」


文中より


館中に入ると、関羽は、客のために、夜もすがらもてなし

その接待は懇切を極めた。


次の日はいよいよ荊州城市へ入った。見ると、城市の門まで

道は塵もとめず掃き清められ

たちまち、彼方から、錦幡五色旗をひるがえして、一簇の人馬がすすんで来る。


嚠喨として喇笛が吹奏され、まっ先にくる鞍上の人を見れば

これなん劉玄徳。

左右なるは、伏龍孔明、鳳雛龐統の二重臣と思われた。


張松は驚いて、馬を降り、あわてて路上に拜跪の礼をとろうとすると

しでに玄徳も馬を降りて、その手を取り


「かねて、大夫のご高名は、雷のごとく承っていましたが

雲山はるかに隔てて、教えを仰ぐこともできなかった。

しかるに今日、お国へ還りたもうと聞き、慈母を待つごとく

お待ちしていました。

しばしなと、渇仰の情をのべさせて下さい。私の城へ来て」


「垢じみたこの貧客に、ご家中まで遣わされ、かつ今日は、過分なお出迎え。

張松ただただ恐縮のほかございません」


曹操のまえでは、あのように不遜を極めた張松も

玄徳のまえには、実に、謙虚な人だった。


人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。

驕漫は驕漫を映し、謙遜は謙遜を映す。

人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。


城中の歓迎は、豪奢ではないが、雲山万里の旅客にとっては、温か味を抱かせた。


その際玄徳は、世上一般の四方山ばなしに興じているだけで

蜀の事情などは少しも訊ねなかった。


かえって、張松のほうから、話題に飽きて、こんな質問をし出した。


「いま、皇叔の領せられる土地は、荊州を中心に、何十州ありますか」


孔明がそばから答えた。


「州郡もすべて借り物です。われわれはご主君に、これを奪って領有することが

何の不義でもないことを力説していますが、わがご主君は物堅く

呉の孫権の妹君を夫人にしておられる関係に義を立てて

いまなお真にご自身の国というものをお持ちになっておりません」


龐統も、口をそろえて


「わた主玄徳は、人みな知るとおり、漢朝の宗親でありながら

少しも自分というものを強く主張しようとなさらんのです。

・・・・今、その漢朝にあって、位人臣を極め

専政をほしいままにしている者のこときは

もともと、匹夫下郎にもひとしいのですが」


と、いかにも歯がゆそうに云って、張松へ杯をさした。


「そうです。そうです」と何度もうなずいて、張松は杯を請けながら共鳴を誇張した。


「ただ徳ある人に依ってのみ、天下はよく保たれる。

すなわちまた、諸民の安心楽土もそこにしかない。

不肖思うに劉皇叔は、漢室の宗親。

仁徳すでに備わり、おのずから四民もその高風を知っていますから

一荊州を領し給うにとどまらず、正統を受け継いで

帝位につかれたところで、誰も非難することはできないでしょう」


玄徳は、耳なきごとく、有るごとく、ただ、手を交叉したまま

穏やかに顔を横に振っていた。そして


「先生のご過賞は、ちと当りません。

なんで玄徳にそのような天資と徳望がありましょう」


とのみいって笑った。





本日は親父の誕生日。

米寿祝いの88歳。

おめでとうございます。


*米寿の由来は「米」の文字を分けると八、十、八となる為らしい

・・・・なるほど。


今後もお元気でお暮らしくださいますよう

お祈り申し上げますとともに

末永く御長寿を重ねられますよう

心より祈念しております。 



感謝、感謝、感謝、感謝、感謝・・・・


本日のラン10㌔ タイム58分

三国志(6)(吉川英治歴史時代文庫 38)/講談社

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