今、僕はドバイにいるけど、今日こんなブログ記事を見ました
こんな事する日本人は最低最悪だな
今日もこんなことしてる日本人がいるんだ
せめて性感エステに留めるべきだ 違うか・・・

今日は時々拝見させて頂いている、ルイさんからのブログから引用させて頂きます(原文ママ)

http://ameblo.jp/rui-save-the-children/entry-10016260574.html


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いつもいつも、ほかの誰かの情報やイベントの告知ばかりなので、今日は自分が見てきたことを書こうと思います。 注※ 別にNGO職員でもなければJICAでもありません個人で行ってきました。注2 2005年の話です。  

2005年、僕はカンボジアに行ってきましたそれまで、僕は一回も海外に行ったことがなく、写真やテレビ、本の中での子どもしか知らなかったからです。

NGOやJICAの現地事務所に訪問したり、ストリートチルドレンと友達になったり,スモーキーマウンテンの子どもたち(いわゆるごみ山で生きる子ども)とも、友達になったりと、いろいろなことをしてきたわけですが その中でも、忘れられない....、いや忘れてはいけないことが買春街に行ったことです。去年も、そのことは書いたけど、もう一度書こうと思った。

人身売買、児童買春という言葉を知っていますか??その言葉には「凝縮されている耐え難い現実」があります。10歳や12歳の少女が拉致・監禁され、毎晩のようにレイプされている状況なのです。心と身体に、測り知れないダメージを受け、さらに、HIV・エイズに感染され死の宣告を受けるのです。

泣き叫んでも誰も助けてくれず、逃げ出さないために暴力と恐怖と麻薬で彼女達の心を縛り付ける。肉付けした物語だと思いますか??いやいや、むしろ現実はもっと残酷です。僕なんかの言葉では表現できないほどに。  

僕が、そもそも「子どもの問題」に対して、行動しようと思ったきっかけは「児童買春」という問題があったから。初めて、この問題を知ったときは目からうろこだった。それほど悲惨で信じがたい現実だったからだ。

それから約4年。ずっと学生団体やらNGOでボランティアなどいろいろ活動してたけど、常に現場に行きたいという気持ちがあった。 カンボジアに着いた日から行動を開始して、一週間後のこと。プノンペンで有名な買春街に行ってそこで働いている女の子    この子たちは家に帰れると思いますか??頑張って働いていれば助かると?貧しいから、こういうとこで働くのはしょうがないと?? いやいやいやこの場所には、連れてこられたんです。騙されて。

じゃなきゃ、自分から働きたいなんて思わないですよこの子らの賃金いくらだと思います?? 僕が、この子たちを「買う」のにいくら必要だと思います? 本当に安い値段なんです。(当時、聞いた値段をそのまま書きましたが、お店によって違ったりしてました。) だから給料なんて雀の涙。その雀の涙さえも、勝手に作られた借金(家賃、服代、化粧代、食事代など)を返済するためにもらえない。 ある16歳の女の子が言っていた。

「この服キレイでしょ?でも私はこんな服着たくないの。だってこの服のせいでまたお金を返さなきゃいけないくなったから。」 できることは、ただ黙って話しを聞くことだけでした....。 そして、以前から探していた、買春目的でカンボジアに来る日本人がたむろするゲストハウス(安宿みたいなとこ)を見つけた。(追記、今はあるかどうかわかりません。)

そこで、僕も買春目的で来たフリをして、ある人物を探していた。ある人物とは、「児童買春を目的」とする男。 カンボジアでは児童買春がさかんであることも有名だった。

数年前まで、村ぐるみで行われていたほどだ。国際世論の圧力を受け、政府も重い腰をようやくあげて一斉検挙に踏み切った。しかし、ただたんに地下に潜っただけだった。 だからこそ、児童買春に精通してる男に会う必要があった。 そして、とうとう見つけた。僕は話しかけ、そいつに連れていったもらえることになった約束の日、連れていってもらった場所は観光客向けホテル。50ドルを支払い、別々の部屋に入った。(追記、男と会ってから連れていってもらうまで三週間はかかっています。)

今、思えば、軽率な行動でした。冷静になって考えれば女の子に会ったところで、僕にできることはありませんし、こんなことはする必要もなかったはずです。はっきり言って自己満足以外のなにものでもないと思いますでも、当時の僕は、なにか解決の糸口を探すことに必死でした。実際の現場に...。最も子どもたちが苦しんでいるところに行くことが大事だと思ったから。ただ、泣きながら頭を抱え込むことしかできませんでしたけどね。  

女の子は男(カンボジア人??)に連れられ部屋に入ってきた。明らかに、、、10歳から12歳としか、思えない。わかってたとは言え、絶句だった。目を背けたくなる現実がそこにあった。 女の子は僕に挨拶し、それからシャワールームに入った。そしてバスタオル一枚で、近づき、僕の目の前で裸になった。ひどかった!!悪夢だったら覚めてほしかった!!本当だったんです!!本の中で書いてあること、テレビで言われていることと同じだったんです。 身体中にいたるところにある火傷のあと。殴られたのか、あざもあった。腕には、注射の跡。おそらくエイズのせいであろう、異常な痩せ方をしていた。笑顔を作っていたが、瞳は虚ろだった。 困惑する、僕に対して女の子が俺に言った...。「あなたのすきにしてください。」と、たどたどしい日本語で。 その瞬間、心が折れました。こらえていた、涙があふれだした。自分の無力さがふがいなかった この女の子がたどってきた、そしてこれから歩くであろう選択肢のない人生を考えると、勝手に絶望感を感じていました。 帰り際、一緒にいた男は満足げな顔をしてこう言っていました。

「カンボジアは楽園だ!!」と。 血液が逆流するかと思った。 殴りたくなる衝動を抑えるために、噛み切った唇の血が口の中で広がるのを感じながら、ホテルをあとにしました。  

どうしようもない無力感に襲われた夜でした。手の届く範囲にあった目の前の子どもを助けることができなかったどうしようもない現実を叩きつけられ、何も考えたくなかったのを覚えています。  

そんなこんなで、後日、ちょっとしたコネで買春街で働く女性のリーダー?的な人に出会えることになった その人は買春街で働いている女性の権利の向上のために作られた、「女性の家」を運営している方で、「それでも、買春街の状況は昔から見れば改善された」と俺に話してくれた。構成メンバーは全員が買春街で働いている女性であったことには驚きでした。

昔に比べればって....。

いったい、昔がどれほど酷いものだったのか以前は一晩に、何十人もの男性の相手をさせられ(拒否権はない)コンドームは、つけてもらえないのは当たり前暴力は当たり前 それに比べれば、今はまだマシだという。

この女性は酷い体験をしてきたからそう言えるのだろう。でも、それでも悲惨なことには変わりはない。この女性はカンボジアの買春産業が発展しだした、94年から、買春街で働いている。彼女も騙されて連れてこられたと言っていた。

HIV・エイズに感染しているとわかってから4年が経ったらしい。治療はほとんどしていないと言っていた。

ちなみにみなさん、カンボジアでなぜ...。こんなに買春産業が大発展したんだと思いますか??

知ってのとおり、カンボジアは内戦がありました。大虐殺が行われ、国が崩壊した。93年、それを立て直すために、国連からUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が派遣されたんですよね その数、約1万6千人。

もうそろそろ、ナニが言いたいかわかりました?? そうです。国連が派遣したUNTAC向けに買春街が作られそしてUNTACが去ったとき、買春街だけが取り残されたんですよ!!! 皮肉なものですよね。

さて、話しは変わりますが、僕はさっき、絶望したと書きました。でも、翌朝に思い直しました絶望してたところで、なにも変わりはないし感傷的になったところで、子ども一人も救えない。いや、むしろ、そういった問題に取り組んでいる人たちはたくさんいる!!希望はある!!そして必ず、この問題を解決することはできる!!精神論じゃない!!現実的に可能なことだ!!      最後に独り言 確かに!!!!!!確かに!!!!そりゃあ、でっかい問題っすよ!!ぶっちゃけね!!でもね!!でもねでもね!!僕、思うんdすけどたとえば、 子どもの問題が1000としてそれを解決するためには1000のエネルギーが必要じゃないですか? 多分今は、まだ200ぐらいしかないんですよ(200もないかも...。)それも、ごく一部の人だけで、200をまかなっているから(その証拠に、日本にカンボジアの買春問題を取り扱っているのは2つの団体しかない)なかなか、解決しないのかなって思う。 もちろんそんな単純じゃないんだけどさ!!