【とある指導より】


祈りは、自分自身の「勝利の原因」です。

“使命” とは “命を使う” と書きます。

「命」と「引きかえ」にしても、

惜しくないもの。

それが「使命」とも言える。


それだけ大事なものを自覚するのは、

ちょっとやったからといって簡単にわかるものではありません。

私たちは、無宗教と自称する人でも・・・何かを心から願っている。

何かを心の底で祈っている。これらを宇宙の法則のうえから、

祈りと現実がきちんと合致していくようにしたのが 仏法の祈りです。

自分という小さなギヤでも、妙法という大きなギヤと、きちって噛み合せていけば、

どんな悩みや困難も乗り越えていける無限のパワーがでるのです。

夢を育てるものは、努力です。

努力すればするほど、夢は大きくなっていく。

「夢」という生き物は、「努力」という食べ物を食べて大きくなるのです。

「夢」という宮殿は、「努力」という地道な石を重ねて、建設されるのです。

その夢を実現させる 「平和の武器」 がご本尊に対する祈りからの出発です。

これがスタートダッシュです。ここから、全てが始まります。

ありのままの姿でいい。

ご本尊を「根本中の根本」と尊敬して、素直に、

子供が「お母さーん」と抱きついていくような気持ちで、ぶつかっていくことです。

苦しければ、苦しいまま。悲しければ悲しいまま。

つくろわず、飾らず、背伸びせず、ありのままの心で唱題をしていけばいいのです。

勤行する時間がなかったり、なかなかできない人は題目をあげなさい。

題目が「主食」であり、お経は「おかず」のようなものです。

両方がそろったほうが良いに決まっているが、まず題目を上げ切っていきなさい。

そして、その祈りは、自分自身の「勝利の原因」を作れます。

祈ったほうが勝ち。

得をします。題目をあげれば、生命力がわいて頭も良くなる。

また、自分の実力を出し切る生命力も湧いてくる。

例えば、実力が「十」ある人なら、

社会での仕事や柔道の試合の時も「十」出す生命力がついてくる。

普通はよくて、七か八しか出ないものです。そして努力した延長に祈りは叶い始める。

「必ず、祈ったようになるんだ」と、自分自身の心が開けて行くのです。

それはまるで「太陽」が昇れば、「地上」 が明るく照らされていくように、

現実の生活や仕事をはじめ、自分自身の将来の生き方など、

自分が何をどうすれば、うまくいくのか、はっきり解ってくる。

そして、「また頑張ろう!」と元気が湧いてくる。

そして祈り方の大事な事は、「より具体的祈り」 でなければならない。

漠然とした一念であっては、「的」を見ないで「矢」を放つようなものです。

また祈れば何とかなるだろうというような、甘えた一念ではなく、

「何としても実現してしていくんだ」という、強き強き叫びが、

こもっていなければならない。

全身全霊をかけた真剣勝負の祈りが、ご本尊に通じないわけがないのです。

これが小宇宙という自分が、


妙法蓮華教という仏の生命を大宇宙の妙法のリズムに合致させるゆえに、

祈りは現実となって、表れ叶うのです虹


これを「功徳」とも、「実証」とも言うのです。

ご本尊の事を別名、功徳樹 (くどくじゅ) とも言います。




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