この自分を御本尊と同じにしてくれるのか、

本当に有り難いと思って題目をあげていけば、

我が身が南無妙法蓮華経になるのだ。

仏に病気の仏や、貧乏の仏などいない。

従って悩みは解決するのだ。

だから人間革命できる。

こうした事が出来るのは人間だけの特権だ。

犬はワン、猫はニャン、豚はブーだ。



犬や猫は、南無妙法蓮華経は唱えられない。

ブーはどこまでもブーで、南無妙法蓮華経ではない。

従ってニャンやブーでは成仏できない。

仏性は出ないのだ。



私達の体は、妙法の当体です

。御義口伝にある。

頭は妙なり、喉は法なり、であるに、頭が痛いというのは、

それは妙法の頭ではなく、邪宗の頭だから痛いのだ。

腹が痛い、内臓が悪いというのは妙法の腹ではないからだ。

邪宗の腹だから悪いのだ。

また、足が動かないというのもそうだ。

妙法の足なら動くのだ。

それは邪宗の足だから動かないのだ。



四月二十七日、中大阪県へ指導に行った時、関西本部副婦人部長が、

車椅子に乗って指導を受けに来た。

この人は直腸ガンになり、その後、

後遺症で足が動かなくなってしまった。

本部副婦人部長にまでなった人だから、信心はある人です。

勤行唱題も真面目にやっているでしょう。

しかし、下半身の麻痺が治らない。

そこで、悩んで私の所に来たのです。

私はその婦人に対して言ってあげました。



駆けずり回って広宣流布の為、闘いますのでこの足を治して下さい。

椅子のままでは、一軒一軒、家庭訪問するのに狭い所まで入って行けません。

ですから治して下さい。と、祈っていきなさい。

そして、南無妙法蓮華経を噴水の様に湧き出させていくんだと。



私達は悲しい時は体中でその悲しみを表す。

また、暗い時は、体中で暗さを表し、

嬉しい時は、体中でその喜びを表すではないか。



時には飛び上がって喜ぶ時もある。

同じように南無妙法蓮華経を噴水の様に我が生命に、

そして、五体に涌き出だすようにして題目をあげていきなさい。

そうすれば、必ず守られます。

御書にある「諸天昼夜に法の為に衛護す」「月々日々につより給え」とある様に

強盛に祈っていきなさい。と、指導してあげました。

そしたら、三日目に足が動いた。   

四日目に寝返りが出来るようになった。

五日目にお小水が倍も出るようになった。

膀胱や全ての筋肉の活動が活発になってきたのでしょう。



また、五月二十二日、岡山文化会館に行った時、若い婦人が指導を受けに来た。

二才半の男の子が、筋ジストロフィーという難病にかかり、悩んでいるという事だった。

この病気は筋肉が縮んでいく原因不明の病気で、それが内臓まで達し、

遂に死ぬという恐ろしい病気だ。



私は婦人に言いました。

子供で苦労する業だ。

御本尊には大増長としたためられていらっしゃる。

膨張して伸びていくのだ。

それなのに縮むとは一体何事だ。

これは、よほど御本尊に反対したのだ。

親子で広宣流布するから治して下さいと、願いなさい。

法華経とは伝染病だ。

あの世まで伝染する、死んだ人まで成仏させる事が出来るのだ。



貴方の子供は、まだ生きているではないか、

生きている子供に法華経を伝染させる事が出来るのは当たり前だ。


「此の御本尊は、罪として滅せざることなし」だ。

貴方の悩みは、今の謗法の罪ではない。

過去の謗法なら必ず滅することが出来ます。



親子は一体だ。

真剣に祈りなさいと指導しました。

この婦人はすこし愚痴っぽい人で初めのうちは、

「子供は先生に命名してもらい、福子とばかり思っていました」とか、何とか言っていた。


 私は、先生は申請があれば名前は付けてくれるよ。

しかし、貴方の業までは取ってくれないよ。

自分の業は自分で消すのだ。と指導しました。



そしたら報告の手紙が来ました。

「三日目に子供が走り出した。私はショックを受けた。御本尊はすごいなあ。

本当に有り難いな。嬉しい事です。滑り台をすべれるようになった。

正座できるようになった。

それまでは、ちょっと走るとすぐ転び、その度に顔を打ちつけて、毎日鼻血を出し、

顔中傷だらけだったのです。」

こうして子供が治っていく姿を見て、婦人が常々、共に信心するようにと願っていた主人も、

信心に目覚め、真剣にやるようになった。

この婦人にとってそれまでは、この子供の為に自分は、

こんなに苦労をするのだと思っていたが、この事によって今度は、子供がいたからこそ、

自分は真剣に信心できるのだ。

お題目をあげる事が出来る。

全て子供のおかげであると、愚痴の信心から感謝の信心に180度の転換をした。

そして自分の一切の願い事が、これを境に全部叶い、思いどうりになりましたとある。



こうした体験を聞くに付け、私は御本尊の偉大さをつくづく感じます。

こうして、指導を受け功徳を受けられるのも全て、組織の有り難さです。

結局、私達は先ず、御本尊に向かった時の姿勢がどうなのか、それが大切なのです。


※わたくしka2かに座さん、現在、いまだかつてない悩みに直面中。

 果たして、無事に乗り越えられるものでしょうかはてなマーク



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