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- Barbara Cooney, 末盛 千枝子, バーバラ クーニー
- ちいさな曲芸師バーナビー
久しぶりの ”今日の絵本”はこれ、『 ちいさな曲芸師バーナビー 』。 バーバラ・クーニーの絵本。
これはフランスに古くから伝わる誰でもが知っているお話なのだそうだ。クーニーがある日ラジオを聴いていたときに、このお話が聞こえてきて大好きになり、ぜひ絵本にしたいと思ったのだそうだ。
それに、主人公のバーナビーがあまりに可愛らしかったので、後に生まれた息子にバーナビーと名付けたのだ。この絵本を読み終えると、クーニーの気持ちがとてもよく分かる。健気でいじらしいバーナビー。 きっと、自分の息子を抱きしめる時に物語の中のバーナビーも一緒に抱きしめていたのではないかと思う。
さて、お話はと言うと・・・。
バーナビーは赤ちゃんの時にお母さんを亡くし、曲芸師のお父さんと一緒に旅をしながら暮らしていた。ところが、10才の時にお父さんも亡くし一人ぼっちになってしまう。
”まるでカタツムリのように、自分の荷物をぜんぶ背中に背負っていました。”
とあるように、服は着ているものだけ、二本の棒と輪っか、ボールにりんごをひとつ、敷物にくるんで背負っていた。そして、習い覚えていた曲芸をして暮らしていく。
しかし、冬になり誰も曲芸を見るために立ち止まらなくなり、途方にくれているところを修道士に拾われるのだ。それから、温かな修道院で暮らすことになるのだが、働いたり、お祈りをしたり、クリスマスに聖母子像の前に捧げ物を置くために、それぞれ得意なものの準備をしたりと忙しい修道士たちの中、何の仕事もできず、贈物も準備できない自分を悲しく思ってしまう。
バーナビーはとても寂しく悲しい思いを持ちながら、たった一つ自分にできることをしようと決意をする。そして、来る日も、来る日も一生懸命聖母子像の前で曲芸を続ける。
しかし、修道士の一人がそれを見つけ、ミサに出席せずにふざけた曲芸をして遊んでいると思い、院長に告げ口をする。実はバーナービー自身も同じように感じていたのだ。
それから、クリスマスの当日、修道士たちが一人一人すばらしい贈物を聖母子像の前に置くのを見たバーナビーは、みんながいなくなった後こっそりチャペルに戻り、力の限りに曲芸をする。そして疲れ果て眠ってしまうと、物陰から覗いていた修道士と院長はバーナビーの元へ天使とともにマリアが下りてくるのを目にするのだった。
天使の訪れを知らないバーナビーは、このふざけた行いがみんなに知れて修道院を追い出されると思っていた。そして院長に呼ばれて部屋に入って行く時にはとても惨めな気持ちになっていた。
しかし、院長の言葉は思いがけないものだった。それはバーナビーをどれほど喜ばせたことだろう。そして、我々読者をも力づけるものだ。ここだけはこれから読む楽しを奪いきってしまわぬようにとっておくことにしよう。
クーニーは、この美しい物語を ”少しも損なうことのないように” 、心を込めてお話を書き絵を描いている。カタツムリのように小さな荷物を背負ったバーナビー、曲芸を披露するバーナビー、寒くて寂しいバーナビー・・・。
一つ一つの絵にクーニーの思いがいっぱいに詰まった絵本。時期はずれなどと言わずにぜひ読んでいただきたい一冊だ。
おしまい
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