10月のてづくり市で
文袋をしげしげと見ている人がいた。
楽しんで、というよりは
観察しているという感じだった。

ご自分もいろいろお作りなるそうで
「こういうところでお勉強していくの」とのこと。

ほおー、と感心していると
文袋屋の芸のないコースターを見て
「いいこと教えてあげる」と
グラスが動かないコースターなるものの作り方を
ご伝授くださった。

またまたほおーと感心したのだけれど
それを自分が作るかどうかはわからんぞ、
などと思っていた。

しばらくして、トイレに行くと
そのあたりでそのひとが熱心にノートにメモを取っていた。

文袋屋では得ることがなかったかもしれないが
他のブースで、お勉強なさった成果をしたためておられたのだろう。

そのひとが書いていたのは、きっとアイデアなんだろうな。

オリジナルのデザインをマネっこしたら盗作になるんだろうけど
作り方を参考にするっていうのは
マネッこにはならないってことなんだろうな。

そういうのって難しい。

デザインフェスタで見たように、わたしはわたし、と
この世に二つとないものを作ることはアーティストの願いであり

同じ会場のブースにならぶ手作りの品のように
おんなじデザインのものをいくつもきっちり作るのはプロの技だ。

ううむ、ものつくりのなかには
そういうアンヴィヴァレントなところがあるんだなあ。


なにもないところから生み出す造形だけがデザインではなくて
たくさんあるものの組み合わせを選択していくのもまたデザインだ。

言葉はそこにあって
それを選択して文章が成り立つ。
それが、手垢にまみれた文章にもなるし
人の胸を打つ珠玉の一遍の詩にもなる。

素材がそこにある、
それを選択して組み合わせて文袋にする。
イケてたり、イケてなかったりするわけだ。
なかなかにむずかしい。

文袋屋は「おもいつきはいいんだけど」と評される。

そのおもいつきこそが
自分のオリジナルのようにも自負したりもするけど
そのあとに続くのはマイナスの言葉だ。

それは甘んじて受けるしかないんだけど
少しは向上してるもん、とも思う。

また、いろいろ思いついてるもん。
いろんな文袋つくってるもん。

なんて、負け惜しみのようにおもったり。