仏光さんの心の相談室 -195ページ目

医者に殺されない47の心得

今日は仕事自体はそれほど忙しくなかったのですが、他の用事が色々あって結構時間に終われる一日になりました。明日は朝早くから夜まで仕事が詰まっています。だからブログを書いて今日は早く寝ようと思っています。


今日はある病院の看護士さんと話していて、自分の寿命について考えさせられました。私は今55歳ですが日本人男性の平均寿命まで後二十五年程度です。今まで生きてきた年数の半分以下しか生きることができないのですね。それもまあ人並みに生きて後25年ですから、それまでに死ぬ事も充分考えられます。今日は何とか死なずに済みそうですが、明日は死ぬかも知れません。


私が不思議に思うのは一生懸命自分の病気とか健康の事をそれこそ病的に考えている人が多いという事です。健康の事を考える事自体はおかしいとは思いませんが、人間ならばどうせ遅かれ早かれ死ぬことになるのですね。ところがその病院では80歳を過ぎて90歳近くになっても心臓のバイパス手術をするらしいのです。


これにはびっくりしました。その病院は三年前に建て替えられて建物や設備も新しいのですが、どんどん手術をしていかないと設備投資のローンが返せないので、売上を上げる為にはそのような手術もするらしいのです。


今80歳くらいの世代の人は医者の言う事は絶対と思っている人が多いから、医者の言うままに80歳を過ぎてもバイパス手術をするのですね。そして手術の後の回復が悪くクレームも多いそうです。私はこの話を聞いてどっちもどっちだなと思いました。


そんな高齢で大手術をすればどこか身体の具合が悪くなるのは当たり前だし、高齢でなかなか回復するわけが無いのですね。そして具合が悪いまま死んでいく事になるのです。まあそのようなことが分かっているにもかかわらず、売上の為に手術を薦める医者も医者です。またいい歳になってまだそのような手術を受ける患者も患者です。寿命とか人生とか余り深く考える事がなかったのでしょうね。


もちろんこのような事は表向きはご立派な医学的理論理屈が付いてきますが、裏の実情はこんなものです。だから今「医者に殺されない47の心得」という慶應義塾大学医学部講師の近藤誠さんが書いた本がベストセラーになるのですね。何でもかんでも医者の言う事を鵜呑みにしていると殺される事になるかも知れません。私の母も私の言う事を聞かずに病院の医者の言う通りにしてびっくりするくらいあっさりと早く死んでいきました。


今は長く病院に入院すると保険が下りない仕組みになっていますので、できるだけ多くの患者を早く回すようにローテーションを組むのが病院経営には大切みたいです。そのようなことを病院のスタッフの方から聞きます。


私は基本的に不必要に西洋薬のようなものは飲みません。まあ漢方も飲んでいませんが、今の医療というものを救急救命以外は余り信用していないのです。救急救命に関しては技術の進歩は目覚しいものがあると思っています。ただ制度的に救急車が病院をたらいまわしにされて患者が死ぬということも良くありますね。


世の中とは表向きはどうであれ、実質はこのようなところで回っているのです。法的に問題が無くても、人間的には問題があります。このようなことが平気でできるような人間になっていくと人の命などだんだん屁みたいなものになっていくのでしょうね。


もちろん病院がみんながみんなこのようになっているとは思いませんし、思いたくもありません。全国には一生懸命頑張っている医師や看護士スタッフの方がおられます。ただ世の中ではお金の為にこのようなことが起こっていることも事実です。自分の命は自分で守ることが大切です。現役の大学医学部の先生が医者に殺されない方法の本を書く時代です。安易に自分の命を人に任せないことですね。

私はもし癌になったらNK細胞療法のような理にかなった治療はすると思いますが、抗がん剤のような治療は受けません。一般に今病院でなされているような治療は一切受けないでしょうね。多分殆ど何もしないと思います。その方が病院の治療を受けるよりよほど長生きしますから。


まあ、私は例え明日死んでも何も文句はありません。大変結構な人生でした。でも表向きは立派な理論理屈でカモフラージュされている間違った医療で病院に殺されるのは真っ平ゴメンです。だからできるだけ自然に生きて自然に死のうと思っています。


病気になって例え今死ななくてもいつかは死にますからね。「ああでもない。こうでもない。」と悩んだり怖がったり思い煩わないことですね。そういうところは前回のブログに登場した我が家の猫であるトラを見習おうと思います。何と言っても彼女は末期の乳癌なのに毎日元気ハツラツですからね。大したものです。


合掌


仏光

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知らぬが仏

「知らぬが仏」という言葉があります。知っているよりか知らない方が要らぬ考えを起こさないので、その方が幸せという事です。まあ心穏やかに過ごす事になります。ところが人間というのは何でも知りたがります。何事も無いのに「もしかしたらあの人は私の事をこう思っているのではないか?」と不安になり、その人が自分の事をどのように思っているのか色々知りたがるのですね。こういう知りたがりが結構世の中にはいるのです。


組織の人事などは良い例です。みんな自分がどうなるのか知りたがります。知ったところでどうしようもないのですが、知りたいのですね。そして知る前は「ああなるのでは無いか?こうなるのでは無いか?」とハラハラドキドキするのです。どうせその時が来れば分かる事なのに、色々な事を心配しては知りたがるという思考、行動パターンを持っている人が多いのです。でもこれは大変損な人生の時間の使い方です。


自分に何か非があって思うような結果が得られないのならば、自分を振り返って問題のある部分を改善する必要はありますが、ただ漠然と心配をしてどうなるのかを知りたがるというのはやめた方が良いです。例えば今回の北朝鮮の核ミサイルの問題ですが、色々ニュースとかで知っているから気にもなるし、「戦争になったらどうしよう」みたいなことも思うのです。もし私がテレビ、ラジオも無い山の禅寺で坐禅の修行をしていれば北朝鮮のことなど知らないので心穏やかに過ごす事になります。結局ミサイルが発射されなければ、こんな問題など「知らずに済んで良かった」という事になりますね。


一番良い例が我が家の家猫のトラです。トラは乳癌ですが猫なので乳癌など知らないのです。獣医さんは今年の二月が終わるまでには死ぬと言っていましたが、免疫力を上げる色々な対策を私なりにしたら、今でも大変元気に過ごしています。トラは自分が癌と知って落ち込む事はありません。何にも知らずに毎日自分のやりたい事をして元気に過ごしているのです。そして寿命が尽きて死ぬ時が来れば死ぬだけなのですね。人間以外の動物は死ぬという概念すらないので死ぬ恐怖もないのです。


これは末期の癌でも大変心穏やかな過ごし方です。これが人間だと大変なことになります。まず医者が二月中に死ぬと言っただけで心は強烈に落ち込んで免疫力も落ちて医者が言った通りに二月中に死ぬ事になるでしょう。トラのように死ぬその時が来るまで毎日自分のしたい事をして心穏やかに何事も無かったように過ごすという事はありません。


トラは得ですね。これが本当の「知らぬが仏」です。今の時代のように情報が溢れ返っている社会では意識的に知らないようにする努力が必要なのです。何でもかんでも知りたがって、その度に心を右往左往させているのであれば知らない方が良いのですね。


私は意識的に殆どテレビやラジオなどを見たり聞いたりしません。ニュースなどはネットでさらっと見るだけです。それで何も困ったということはありません。今まで十年以上、修行期間は禅道場にこもっていましたがニュースなどを知らなくて困ったという事は全く無いですね。


今の時代は本当に必要なニュースはこちらがテレビなどを見ていなくても周りの人から勝手に入ってきます。社会の事だけではなく、身近な人間関係でも知らぬが仏という事はいっぱいあります。私が余り人のことが気にならないのは、人の事を知ろうとしないからかも知れませんね。


ましてや人が私の事をどう思っているのかなど「私の知ったことでは無い」と思っています。だから何にも気になりません。家猫のトラでは無いですが、知らないことも大切なのです。むやみやたらに何でも知ろうとしないことです。「知らぬが仏」というのも心穏やかに人生を過ごすためには必要なノウハウだと思いますよ。


合掌


仏光

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雌伏(しふく)の時

「雌伏(しふく)の時」という言葉があります。これは「逆境に耐えて、次のチャンスの時をじっと待つ」という意味です。人生に逆境は付き物です。私も自分の人生を振り返ると外資の社長をクビになってから約10年間が「雌伏の時」だったと思います。面白いもので社長時代は「自分には念力があるのか!」と思うくらいに大概の事は自分の思い通りになっていました。それが自分の実力だと思い込んでいたし、また優越感の元にもなっていました。


ところが社長をクビになってからはやる事為す事、殆ど何もかも自分の思い通りにはいきませんでした。その頃に禅とも縁ができたのですが、これが私の「雌伏の時」の始まりです。今の私から見ればこんなもの全然苦しくは無いのですが、当時の私にとってはまだプライドなどは社長のままだったので自分のあり方が苦しくて苦しくて「死にたい」などと思ったこともありました。当時を振り返れば「バカだなあ」と思うのですが、それほど外資の社長で得意満面になっている間に人間としては弱くなっていたのですね。


私は多くの人は逆境に耐える経験をするのでは無いかと思います。もちろんそのような経験をしない人もいるのでしょうが、私は逆境に耐える「雌伏の時」はあっても良いと思います。このような経験は人間を育ててくれるし、苦しい思いをすることで人に対してもやさしくなれます。


中には苦しい思いをして卑屈になって他人に対して意地悪になっていく人もいますが、私の場合は自分が苦しい思いをすることで人様の心の傷みも分かるようになってきたと思います。逆境が人を育てるのですね。もちろん自分勝手に人の世話になりながら自分は何をすることもなく、「私は苦しい」と言っている人に同情する事はありませんが、一生懸命自分の生活を切り開きながら苦しみに耐えている人の気持ちは良く分かると思います。


問題はこの逆境にある時の過ごし方です。「雌伏の時」の意味はさっきも言ったように「逆境に耐えながらじっと次のチャンスを待つ」という意味です。だからそこには逆境にあっても前向きな、そして積極的な心の姿勢があるのですね。私が社長をクビになった当初は毎日打ちひしがれていました。希望の「き」の字も見出せませんでしたね。「自分の人生は終わった」などと勝手に思い込んで、そのようなマイナスの考えがどんどん頭の中で大きくなっていきました。


ある時、「自分を何とかしなければいけない」と思ったのです。そういう時に禅と縁ができたのですね。ここからが私の本物の「雌伏の時」が始まったのです。もちろん10年間はなかなか自分の思い通りにはなりませんでした。じっと耐える事の方が多かったと思います。その中で「自分もあのまま社長をしていたらこのような人間になっていたのだろうな」と考えさせられた、肩書きや資産が人間の価値と思い込んでいる親子経営者のいる会社で役員をしたり、色々と今までの自分を逆の立場で見る機会を得たお陰で自分の間違いに気付くことができたのですね。


考えてみればお釈迦様も一国の王子を辞めて修行に出たのまでは良いものの、6年間荒野で苦行をしてがりがりになって、「これは間違った修行だ」とやっと気付いて、そこからもう一度坐禅をし直して菩提樹の下で「中庸」という悟りを開いたのです。お釈迦様にも雌伏の時はあったのですね。このような生きるか死ぬかの間違った修行の逆境を乗り越えたからこそ本物の悟りに至ったのです。この間違った苦行の6年間がなければお釈迦様の悟りもなかったのですね。


今、私がまあまあ幸せを感じて生きていられるのは、この10年間の雌伏の時があったお陰です。たぶんこの10年の間、毎日坐禅をして自分というものを自然な形で見つめてきたのですね。だから逆境にあってもその逆境の過ごし方が大切なのだと思うのです。誰も逆境に陥るのは嫌な事です。でも、もし逆境になればそれを自分の「雌伏の時」と思って逆境に耐えながら次のチャンスをじっと窺うのです。すると次のチャンスが来た時に大きく自分の人生の道が開かれていきますよ。まさに「チャンスはピンチの顔をしてやって来る」ですね。


合掌


仏光


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繰り返しの中にある幸せ

昨日も結構忙しい一日になりました。大変ありがたいことです。私はどうも閑な方が身体の調子が悪くなるような気がします。忙しいと気が張っていて病気にもならないようです。でも休息も意識して取るようにしています。昼休みには食事の後に必ず昼寝を20分間くらいします。これだけで身体は随分回復するものです。午後また張り切って仕事ができます。


ただ気が張っていると病気にならないのも事実ですね。よく聞く話ですが、何年も忙しく会社や役所で働いていて、やっと退職したら大病したりぽっくり死んだりする人がいます。今までずっと忙しく働いてきたのをいきなり止めたりすると気が抜けるから病気になったり死んだりするのでしょうね。心が身体に及ぼす影響は絶大ですからこのようなことが起こるのでしょう。


私は一日の殆どを私の仕事場で過ごしています。テレビやラジオなどもありません。たまにニュースなどをネットで見る程度です。だから朝から晩まで殆どの時間、同じ仕事場で自分の仕事をしています。若い頃の私は世界中を飛び回っていたので、同じところにずっといるのは大変苦手でした。すぐにつまらなくなったものです。ところが今は何年も毎日同じところで同じ仕事をしています。人間変れば変るものですね。


こういうことができるようになったのは坐禅をしてからです。坐禅は毎日同じ事をします。それを飽きずにやり続けるのです。一日一日は大した変化を感じることはないのですが、一年、十年と続けてから自分を振り返ってみると大変な違いがあることに気づきます。


私は坐禅と同じようにコツコツ毎日同じ事をするのが仕事なのだと気付きました。農家の人もそうだし、漁師の人もそうです。もちろん色々な職人さんたちもそうですね。毎日仕事で同じ事をしているのです。そしてその同じことの中に技術の研鑽というものがあるのですね。そこから職人技というものが生まれて来るのです。


得意満面で世界中を飛び回っていても大した研鑽にはなりませんでした。まあ若い頃は世界中が見れてそれで良かったのかも知れませんが、そのままだと大した事はなかったでしょう。今は毎日同じように自分の仕事ができて大変満足です。もっともっと自分を技術を磨いていきたいですね。


毎日淡々と過ぎていく時間の中に心穏やかな幸せがあります。もちろん毎日仕事で思い通りにならないこともありますが、それを一つ一つ乗り越えていく事が自分の向上につながるのですね。仕事だけではなく生活全てがそうだと思います。


これは坐禅と全く同じだと思いました。坐禅も淡々と毎日同じ事を続けていきます。老師への参禅で禅の問題集である公案がなかなか通らない時もあります。こういう時は苦しいですが、その公案が通ると自分の心の境涯が一歩高くなるのですね。この繰り返しが禅の修行です。


そういう生き方を禅の修行で学びそれが身についてくると、毎日の生活も自然と同じように出来るのだと思いました。昔ならばつまらないと思った生活パターンの中に今の私は本物の自分の生活を見つけたような気がします。これはこれで坐禅の大きな効用だと思います。死ぬ前の日までこのような生活ができたら大変幸せな事でしょうね。


合掌


仏光

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当たるも八卦

昔ビジネスマンをしていた頃の私は縁起を担ぐということが多かったと思います。縁起が良いとか悪いとか気にしていたのですね。この縁起担ぎをしている人が世の中には多いですね。気持ちとしては自分もやっていたので良く分かります。でも仏法を坐禅を通して学んでいる今の私は縁起を担ぐということがありません。色々真理を学んでいくうちにそのようなものは関係が無いということが良く分かってきたからです。


一休さんは鎌倉時代に実在した禅の大和尚です。ある人が一休さんに「何か縁起の良いものを書いてください」と頼みました。一休さんは「いいですよ。縁起の良いものですね。」と言ってさらさらと紙に書いていきました。そこには、「親死、子死、孫死」と書いてありました。縁起の良いものと言って頼んだ人は「親、子、孫が死ぬとは何事だ!」と言って怒りました。一休さんは澄ました顔で「では何かい?あんたは孫死、子死、親死の順番の方が良いのかい?」と聞きました。そこで初めて頼んだ人も自分の考えの至らなさに気が付いたと言う話があります。


「死ぬ」と言うともう縁起が悪いと決め付けているのは真理を見ていないからですね。こういう事は多々あります。例えば方角です。良く「西の方角がよろしい」みたいなことを占いで言いますが、地球は丸いのです。一定以上の質量を持つ殆どの宇宙の天体は丸いのですね。だから西の方角へどんどん進んで行くと地球を一周して同じ場所に東の方角から帰って来ることになります。この方角の何処が縁起が良いのか私には分かりません。


大体私達が住んでいる地球はものすごいスピードで宇宙空間を動いています。地球は時速10万キロの猛スピードで太陽の周りを回っています。だからその地球にいる私たちも時速10万キロの猛スピードで今も宇宙空間を移動しているのですね。しかも地球は自転しています。地球の自転スピードは時速1666キロくらいです。このような猛スピードで移動し回っている地球の宇宙空間における状態の中で「方角」などと言っているのは実際は滑稽な話なのです。


これは一例ですが、このようなことに振り回されないように生きていくことが大切ですね。私は何回か占いとかを病的に信じている人と会ったことがあります。確か家を建てるのに方角とかを病的に気にしてノイローゼになっていました。このような事は笑い事ではなく実際に起こることです。最近でも女性お笑いタレントで占い師の言う事に振り回されて、自分のキャリアを潰してしまった人がいますね。


私はそういうものを信じるとか信じないとかはどうでも良いと思います。ただ自分が抱える将来への不安を占いのようなもので解決しようとか、より自分がうまく人生で立ち回りたいので占いで将来を見ようとか思うその心の根源が気に入らないのです。だから私は縁起を担いでいた昔の自分が気に入らないのですね。


要するに自分だけはおいしい思いをしたいという根性が気に入らないのです。これは自我そのものです。自分だけ良い思いをしたいという自我が強い割には、自分に自信が無いので「占い」みたいなものに頼るのですね。そんな事は「当たるも八卦、当たらないも八卦」でどうでも良いのです。仮に当たったとしても「それがどうした!」ですね。


大切な人生の時間をそのようなものに振り回されて使ってしまうのはもったいない話ですね。自分の将来を良いものにしたいのならば、今日の自分がしっかり今日一日を生きることです。それが占いよりも一番自分のより良い将来につながります。まあ当たり前の話でこれが真理というものですね。もちろん今日の自分は私も含めて充分では無いかも知れません。でも毎日の経験を通して充分では無い自分を少しずつ充分にしていけば良いのです。それがお釈迦様が言われている「自燈明」、自分を頼りにして生きていく人生だと思いますよ。


合掌


仏光

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心穏やかな日曜日

昨日は日曜日で休み。また車に乗ってドライブを楽しんできました。ちょっと雑貨を仕入れたりする用事があったので、朝ゆっくり寝てから行こうと思っていたら仕事の電話で起こされました。なかなか思う通りにはいかないものですね。だから仕事場に朝行って一つ仕事を済ましてからドライブに出かけました。


私の場合、今時間的に出来る趣味といえばドライブくらいです。前は休みになると色々な事をしていましたが、今は仕事と坐禅で結構日曜日を使ってしまうことがあるので、時間があれば車に乗るのが精一杯の気分転換です。最近は気分転換する必要も余り無いのですが、全く何も仕事をしない日曜日というのは殆どありません。個人事業主だと何かしらしなければならない仕事があるので、サラリーマンの時のように、休日は朝から晩までゆっくり休むということはなくなりました。


それでも休みは気分的にゆっくりできます。自分の健康と生産性を保つ為には少なくとも一週間に一度の休みはやはり必要ですね。ありがたいことに私の場合は今の仕事が全然苦にならないので、ちょっとやり過ぎてしまう時があります。でも身体は確実に老いていくはずなので、自分の健康管理はこれからもっと気をつけないといけません。これが若い頃の私との違いです。


できるだけ長く仕事をしたいので、やり過ぎないように気をつけていくつもりです。昨日もドライブの後、また夕方から少し仕事が入ったのでやってしまいました。なかなか仕事を断る事ができませんのである程度は仕方ないですね。私は日本人の平均寿命を80歳とすれば後25年しか生きる時間がありません。老人になって寿命で死ぬとしてもあと25年しか生きられないのですね。それまでに死ぬかも知れませんから生きている時間が大切に思えるのです。


焦るわけではありませんが、無駄に時間を使いたくないという意識が働くのかも知れません。でもこれからは心してのんびり暮らそうと思っています。働くのは大好きですが、「過ぎたるは及ばざるが如し」でこれからはもっとのんびり暮らします。我が家の猫のトラは癌ですが、のんびり暮らしています。お陰さまで奇跡的にメチャクチャ食欲もあり大変元気に暮らしています。獣医さんも「ありえない」と首を傾げています。今年の2月末までにはトラの寿命は癌で尽きるはずだったのです。


トラはのんびり暮らしているから、免疫力がまだ保たれているのでしょうね。だからできるだけ長く元気に過ごす為にはのんびり暮らすことも必要なのです。もちろん自分がしなければならない事はきちんとしなければなりませんが、何時も気持ちを大らかにのんびりさせておく事は大切ですね。私は最近何があってもこれができるようになったので、毎日幸せを感じて生きていけるのだなと思います。「これがあるから、あれがあるから幸せ」なのではなくて、何は無くとも心の置き所一つで幸せは感じられます。


幸せとは「築くもの」ではなく「気付くもの」なのですね。私の場合、休日でもこの状態ですから、もちろん毎日自分が思う通りになる事はほぼありません。でも心は大変穏やかに暮らさせてもらっています。心穏やかにそして心大らかに暮らすことが本当の幸せですね。


このように暮らしていると平均寿命まで後25年しかありませんが、何時自分の寿命が尽きても悔いは無いと思います。前に癌の子供達の話しをしましたが、一歳や二歳の子供でも癌と戦っている人も居るのです。私などもう充分生きた人間です。その子供達が救われるのなら私は喜んで自分の命を差し出します。だから何時死んでも何の文句もありません。人生の後半になって、やっと何が大切なのか分かったような気がします。何があっても一日心穏やかに暮らせるのは大変ありがたいことですね。これからも心穏やかに坐禅を続けていきますね。


合掌


仏光


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幸せとは安心の事

今日もまた大変良い日になりました。新しく坐禅を始める人が来たり、仕事も順調にはかどって嬉しい限りです。私は坐禅をしているお陰でこのようにありがたい一日を過ごせるのだなと思っています。このように毎日過ごせるのは大変幸せなことですね。本当に禅の老師に入門して良かったと思っています。このような日々が毎日続いてくれる事を願っています。生きているということは素晴らしい事ですね。


もちろん今まで色々辛い事やいやな事はありましたが、一つ一つ乗り越えていくと人生は開けていくものです。今辛い思いをしている人はどうぞ希望を捨てずに自分が今しなければならないことをして暮らしていって欲しいと思います。そのようにしていると私の今日一日みたいに生きていて良かったなと思える日々が来ますよ。


お釈迦様が言う「人生は苦である」というのは真理だと思います。そこでその苦から逃れるための「八正道」をお釈迦様が示されたわけですが、それを一つ一つ自分なりに実行していくとお釈迦様が言うとおりに苦から自分の心が逃れていくのですね。「なるほどなあ」と思いました。これからも生きている限りこの「八正道」を私なりに実践して行こうと思っています。


人間は心の置き所一つで同じ景色が地獄にもなり極楽にもなるものですね。昔の私は自分の自我で自分で苦しんでいたのでしょうね。その自我が坐禅で段々小さくなって今があるのでしょう。ああ何とありがたいことなのでしょうね。私は今日一日の仕事と楽しい坐禅教室が終わってから家に帰ってこのブログを書いています。そして今日一日を振り返り、自分がこのようにして生かされているありがたさを心より感じます。


私は幸せとは何かと考えたことがあります。幸せとは安心のことなのだと気付いたのですね。禅では「大安心」と言います。「大安心」だと死ぬのも安心らしいです。安心こそが幸せなのですね。私が今日このように幸せを感じられるのは自分が「安心」を感じているからでしょうね。本当にありがたいことです。別にこれがあるとかあれがあるから安心という事は無いのですが、不安というものが無いのは確かですね。


今まで自分が死ぬのではないかと思うような状況も海外で何度か体験しましたが、そういう時は怖いとか不安というよりかは必死で余り何も感じなかったように思います。だから不安とか悩みはある程度余裕がある状態の時に自分の心が作り出すのですね。そういう意味では日本は平和で良い国ですね。地震があってもこの国に住んでいるだけで大変ラッキーだと思います。このような国は世界にも余り無いので大切にしていきたいですね。


今日のようにほのぼのとした幸せを感じられる人生を若い頃の私は知りませんでした。肩書きや権限、財産や収入が幸せを作ると信じていましたからね。本当に大きな過ちを犯していたものです。今日のように何の不安も感じず、明日死んでも何の悔いも無いと心から思える時はほのぼのとした幸せを感じますね。


今日は特に坐禅教室の後で表千家のお茶の先生でもある私のアシスタントがお茶を点ててくれて、皆でお茶会ができたのも大変良かったと思います。私は今夜自分が本当に今恵まれていると思いました。心から感謝ですね。


合掌


仏光


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変らない良さ

どうも北朝鮮は言うだけで実際は戦争などしないみたいですね。最初は危ないかなと思いましたが、余りにも「やるぞ!やるぞ!」と言い過ぎるので途中からやる気は無いのだなと思いました。


今の私は争いごとを心穏やかに避けますが、昔私が学生で血気盛んな頃は喧嘩が得意でした。先ず本当に勝つ気で喧嘩するなら相手に対して「やるぞ!」という警告はしません。いきなりやります。勝つ為には当たり前の話ですね。前の大戦で日本が真珠湾を攻撃した時のように奇襲が戦争の常道です。やるぞと警告を与えて相手に防御の準備をさせてから喧嘩するなど考えられないですね。


基本的にはケネディー大統領の時のキューバ危機みたいに緊張を高めるだけ高めて、お互い何らかの解決策を見出して、政府当事者は戦争を回避した英雄になるというパターンかも知れませんね。韓国のパク大統領が北に対話を呼びかけていますから多分そのパターンだと思います。


まあ自作自演の政治演劇みたいなものかも知れません。こういうことは国際社会の政治の場ではよくあることです。国民は何も知らずに結構右往左往しますからね。もしこれで北朝鮮が戦争を始めたら本当に喧嘩が下手なのでしょう。


私が怖いなと思うのは国家間のサイバー攻撃です。これはその国の色々な生活基盤システムを根本的にマヒさせる事ができますからね。今後の戦争はネット上で起こることになります。


私の友人が警察でネット犯罪の担当官をしていますが、普通の日本のユーザーがネット上で犯罪を起こしたり、誹謗中傷みたいなことをしても発信先などの情報さえ出せば何処の誰がやったのか特定するのは今は簡単にできるらしいです。本人は隠れて分からないつもりでやっていても、住所、氏名、勤め先から家族構成まで簡単に警察に見つかってしまうのですね。ただ国家間のハッカーとなるとそうは行かないみたいです。やはりここら辺が相手もプロなのですね。


このように考えていくとテクノロジーの進歩は本当に人間を幸せにしているのかなと考えてしまいます。私が山の禅道場で修行に入るとテレビは無いし、携帯は使わないし、もちろんネットは無いし、娑婆の情報からは遮断されます。そのように世の中の雑音から遮断されて坐禅に集中していると心は大変穏やかになっていきます。


老師への参禅などで大変は大変なのですが、娑婆では味わえない心の穏やかさを感じます。実際江戸や鎌倉時代と余り変わらない生活を道場でするわけですから、まあ別世界なのですね。最初道場で修業した時に私は「今の時代にこういう世界があるのか!」と驚きました。


今のこの世に生まれ生きていくのは私の宿命ですが、道場の生活のように昔から変らない修行ができるのは大変幸せな事です。昔の祖師方も修行していた時はこうだったのかなと思いながら修行するのもなかなか良いものですね。良いものはいつの時代も変わらないのです。


何でも新しいテクノロジーを遅れまいと追い掛け回すのも良いのですが、そればかりやっていると知らず知らずのうちに幸せを感じにくい環境に自分を置く事になっていくのかも知れません。世の中には変らない良さというものもありますね。


私もインターネットを使いブログで坐禅を不特定多数の人に紹介しています。このテクノロジーの部分は鎌倉時代には考えられなかった事ですが、道場では今でも鎌倉時代と変らない修行が脈々と続いているのです。道具としてテクノロジーを使うのは良い事と思います。でも人の心の本質はテクノロジーの中にはありません。


いくらテクノロジーが発達しても心の本質は2500年前のお釈迦様の時代から変らないのですね。だから禅道場でもその変わらないものを追い続けるのです。何時までも変わらず護らなければならない良いものがありますね。それを禅では「法」と言います。今日の朝はこの騒々しい世界状況の中で本当の幸せとは何かを考えてみました。


合掌


仏光


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日々好日

今日は大変良い日になりました。仕事も思ったよりはかどり、北朝鮮は核ミサイルを発射せず、昔の知人が尋ねてきたり、何もかも嬉しい事ばかりで、生きているとこういう日もあるのだなと感心しました。毎日一生懸命自分ができる事をしてきて良かったです。本当にこういう日があるのはありがたいですね。


私は良い悪いは別にして、今までの55年間の人生は大変有意義な人生でした。辛い時や悲しい出来事もありましたが、振り返ってみると、若い頃から世界中を飛び回り、多くの国の文化に触れて、アメリカの上場企業で役員に抜擢され、物質的にも体験的にも日本では決して経験できなかったであろう人生を歩む事ができました。


お陰さまで世界中を飛び回っているうちに言葉も3ヶ国語以上の言語が話せるようにもなりました。人それぞれの人生です。私は両親とも教師で公務員の家で育ちました。私の義父は東京検察庁の検事をしていたし、義母も検察庁で職員として働いていたので家内も公務員の一家で育ちました。でも私の人生はそういう堅い人生とは全く違う人生になりましたね。


今は自分の事業をしていますが、多くの人々からの支持を頂き、まあまあ順調に進んでいます。思い通りになることばかりではありませんが、大まかに見てみると自分が思い描いたような人生を歩めているのかなとも思います。私の場合は坐禅をする前と後では幸せ度が違いますね。断然今の方が幸せだと思います。


昔は肩書きとか権限とか収入とか資産とか飛行機のファーストクラスで世界中を飛び回るようなライフスタイルなど、自分の持っているものが人並み以上である事が幸せだと思っていました。実際にアメリカの上場企業で役員と日本法人で社長をしている間にそういう生活を十何年もしてみて、こういうものには人生の真の幸せに対しては大した価値が無いことも分かりました。そういうものを得る機会がなかったら何時までも、肩書きとかお金とかを追い掛け回していた事でしょうね。


だから一回しかない人生ですが、二回生きているような気がします。今までの人生で経験した辛かった事、悲しかった事、悔しかった事や嬉しかった事、楽しかった事が全て今の仕事や生活で役に立っているので、もし明日死ぬ事になっても多分悔いはありませんね。特に辛い、悲しい、苦しい体験が役に立っています。その上に今日みたいな大変良い日があったのですから何も文句はありません。本当に嬉しい一日でした。


今日は特別と思えるくらいに私にとって良い日だったのでこんな事を考えてしまいました。まあ考えようによっては毎日が良い日なのですね。それを良いとか悪いとか言っているのは私の心が勝手に良いとか悪いとか決めているからでしょうね。思い通りになれば良い日で、そうでなければ悪い日みたいに思ってしまうのです。でもやはり「日々好日」ですね。生きているだけでありがたい。今日は特にそう思いましたよ。天に感謝ですね。ありがとうございました。


合掌


仏光

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自分勝手では幸せになれない

私が一番苦手なタイプの人は自分さえ良ければよい人です。基本的に自分勝手な人ですね。こういう人は色々立派な理論理屈を言いますが、結局は自分の思う通りに相手に動いて欲しいのです。そして相手が自分の思う通りにならないと怒ったり、相手に嫌がらせをしたりするのですね。本人はそれが正当な理由における正当な行為だと思い込んでいます。生まれ育った環境でそのような脳になってしまっているのですね。


困った事にこのような人が結構世の中に居るのです。中には病的と思われるほど自分勝手な人も居ます。人間にとって一番不幸なのは自分が自分勝手であるのが自分で分からない事です。こういう人達は極普通に自分の都合を優先して毎日を過ごすようになります。そしてそれが当たり前だと思っているのですね。


人間は基本的に自分勝手なものなのだと思っているのです。みんな自分の都合を優先して生きているのだから、自分も自分の都合を優先して生きていって当たり前だと思っているのです。まずそういう事も意識せずに極自然に自分勝手になっている人が多いですね。


昔ビジネスマンをしていた頃の私がそうでしたね。大変自分勝手な人間だったのですが、自分では自分が自分勝手とは気付いていなかったですね。逆に自分は大手外資の社長だからこれくらいの事は許されるくらいに思っていました。そのように自分の思い通りになる権限が与えられているのだと勘違いするのですね。実際自分の立場上思い通りになることが多いですからそれが当たり前になってしまうのです。このようにしてどんどん自分勝手な嫌な人間になっていくのですね。


まあ別に肩書きや権限がなくても自分勝手な人間は掃いて捨てるほど居ます。自分勝手である事は「一生私は幸せにはなりません」と言っているのと同じなのです。この事になかなか気付かないのですね。大概は「あいつがこうするから自分もこうする。世の中がこうだから自分も同じようにしたら良い。」と思っているのです。


そして「相手がこう出てきたら自分はこう相手にしてやる」というやり返しの精神で生きているのです。そして自分には正当な理由があるから、そのようにしても当たり前だと思っているのです。これが間違っているのだよという事に自分では気付かないのですね。このような考えや精神で自分が幸せになるはずが無いのです。


私は仕事上ほぼ毎日このような人に会っています。自分勝手であることが自分の不幸の元であることが自分で分からないのです。ちょっと視点を変えて心の置き所を変えると幸せになれるのに自分勝手に捕らわれてしまうのですね。こういう人は自分だけ自分勝手をやめるとこの世の中では損をすると思っています。


自分勝手をやめると表面上損をするように見えるだけで実は自分にとって有益な事の方が多くなります。何故なら100人の人に「あなたは人の事など気にせず自分勝手でわがままな人間が好きですか?それとも自分の事はさて置き、先ずは人の事を思いやる人間が好きですか?」と聞いてみれば良いでしょう。


多分100人とも「自分の事はさて置き、先ずは人の事を思いやる人間が好きです。」と答えると思います。このように答える人の中には自分は自分勝手でも他人には自分の事はさて置き、先ずは人の事を思いやる人間であって欲しいと思っているのです。まあこの辺りもかなり自分勝手なのですね。


だから自分勝手な世の中で自分が自分勝手ではなく先ずは人の事を思いやる人間であれば、多くの人から好かれる事になるのです。自分が幸せな一生を過ごすのに多くの人から嫌われるのと、多くの人から好かれるのとでは圧倒的に多くの人から好かれる方が幸せな人生になります。これは余りにも単純明快な真理ですね。それにもかかわらず自分勝手な人が多いのは、人間は放って置けば自分の自我と欲で自分さえ良ければよいという風になり易いからです。


自分勝手の根源は自分の自我と欲です。自分の自我と欲を少なくすると自分勝手では無くなっていきます。そしてもっと人から好かれる人間になっていくのですね。正しい坐禅をすると自我と欲が段々少なくなっていきます。その分人から好かれる人間になっていきます。そして結局は自分が幸せになって行くのです。


自分の思い通りになることが幸せにつながるのではなく、より多くの人から好かれる自分勝手では無い人間になるのが人の世では幸せになる近道なのです。自分の不幸を嘆く前に、自分がどのような人間なのかを振り返るのは大切なことですね。これは本当に単純明快な真理だと思いますよ。


合掌


仏光


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