公立学校の教職員が加入する、日教組の組合員数減少が止まらない。今年3月時点での加入率が、24・7%と39年連続して減少しているという。自虐的史観をもとにしたこれまでの反日活動を見れば、当然といえば当然だが。
 国民の日教組の活動に対する忌避感のほか、新卒教師の日教組の掲げる主義主張やその反日体質に対する嫌気が、組合加入率の激減につながっている。

 組合縮小の一方で、組合員活動のカルト化が進んでいることが気にかかる。日教組の全国大会では、学校内での国旗掲揚や国歌斉唱を拒否したり、生徒に自虐史観を教えこむなどの活動を、大会の分科会でさも誇らしげに報告する教師が多いという。自分たちの価値観や主義主張を押し付けて、国を取り巻く環境や国民の国家観の変化を理解しょうとしない姿がそこに見える。
 労働貴族という、一般国民と比べて恵まれた生活を送っているにも関わらず、組合員の自分達に甘い体質とエリート気分は昔と変わらない。

 こうした教師が担任となった学生は不幸だ。「頼むから、自分たちの卒業式を無事に終わらせてもらいたい」。日教組組合員の教師が担当した学級の生徒が、卒業式を前に担任教師にお願いした。しかしその願いは叶わず、教師は国旗掲揚で起立せず、国歌斉唱をしなかった。参加した父兄からどよめきが起こり、卒業生を送り出す在校生から寄せられる白い目も無視して、担任教師は自分の主張を優先したという。この話をその卒業生から聞いたことがある。そしてその教師は、数年後に行われた同窓会には呼ばれなかったという。

 大阪府の公立学校の教師が、国歌斉唱しなかったことで減俸処分となった。それに対して、処分取り消しを求めた裁判を起こしたが、敗訴した。この教師は、以前にも同じ行為で注意を受けたにも関わらず、また同じことを繰り返したわけだ。「自分はキリスト教徒だから」という理由で国歌斉唱しなかった。いわゆる宗教上の理由から国歌斉唱をしなかったという。
 しかし、これは誰が見ても確信犯だ。学校側では、式の混乱を予防するために、教師に国歌斉唱に関係しない来賓や参列者の受付係を命じていた。その仕事を放りだして、わざわざ式の会場に入りその行為を行ったという。

 これは、嫌がらせ以外の何ものでもなく、成人式で騒ぎを起こす一部の新成人の行動となんら変わりがない。自分を誇示するために、わざわざ人の嫌がる行為を見せつけている姿は、仲間内(日教組)から拍手喝さいを得るために起こした行動ともとれる。
 とても、分別のある58歳の教師がやることではない。それ以前に、社会人としてのモラルの欠如を問われても仕方のないことだ。
 注目しているのは、左翼マスコミがこの教師をどれだけかばう記事を載せるのかだ。朝日新聞や毎日新聞は、宗教と思想の自由を楯に、教師の行動を正当化する論調で読者に訴えようとするのは目に見えている。「騒ぎを起こすために行った確信犯」という事実を隠して報道するならば、マスコミとしての役割を今後期待することができないだろう。