尼崎城に移っていた荒木村重に代わって城を守っていた、家老の荒木久左衛門を中心に協議の末、降伏を願い出たのです
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これまでの謀反人に対する仕置きから考えれば、摂津一国を挙げて逆らった村重一党は
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有無を言わさず皆殺しの運命が待っている
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降伏を懇願して来た久左衛門に対し、信長は次の様な命令を下しました
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①抗戦を続けている尼崎・花隈(はなぐま)両城を明け渡す様に説得せよ
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②さすれば、有岡城の荒木一族や城兵の命は助ける
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逆らう者は、当事者ばかりかその係累さえも根絶やしにする
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これが信長の徹底された手法であったのですが、今回ばかりは些か様相を異にしていたのです
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それは、村重率いる荒木一党の抵抗が予想以上に手強く、有岡城を落とすのに1年半以上の時を費やしてしまった事への後悔と、これ以上摂津国内(石山本願寺も含む)での戦いに長期化させたくない
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あれだけ目をかけてやったのにも拘らず、自分に背いた村重を許す事に信長は相当抵抗を覚えたと思われますが、摂津国での不毛な戦いを一刻も早く終わらせ、播磨三木城攻めに全力を傾注したい
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この条件提示は、村重は勿論、荒木一族にとっても破格の物であった事は間違いなく、久左衛門達は信長の命令を承諾
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村重からは何の返答はありませんでした
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信長の心変わりを恐れた有岡城の荒木家老衆は
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①この上は、自分たちが尼崎城に赴き、主君が降伏勧告を受け容れる様に説得する
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②もし、村重が降伏を拒絶したら、自分達が先陣として尼崎城攻めに参加する
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と約束
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この一連の交渉劇の過程で、有岡城内の荒木一族は城内の一角の矢倉に押し込められていました
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(人質である事は言うまでもありません
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当然ながらその中には、村重の妻 だしも含まれていたのですが、彼女は不安に慄く人質達(女子供ばかりですが…)の心境を代表して、村重に次の和歌を送りました
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霜がれに 残りて我は八重むぐら 難波の浦の底の水屑(みくず)に
タケ海舟は和歌に関しては、全くの素人ですが、意訳を試みるならば…
『あなたが去り、残された私は、難波(摂津)の海の中に沈む八重むぐら同然の身となって、あなたの帰りを待っています
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八重むぐら(ヤエムグラ)はアカネ科の越年草で、道端にごく普通に生えている雑草の一種なのですが、閉じ込められた有岡城の矢倉で夫である村重に救いを求める、だしの悲痛な想いが窺えます
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これに対して、尼崎城の村重からは次の和歌が送られて来ました
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思いきや あまのかけ橋踏み鳴らし 難波の花も夢ならんとは
戦国史研究家の和田裕弘(わだやすひろ)さんの注釈を引用させて頂いて意訳に挑むならば
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あまは『天(あま)または『尼崎』の尼(あま)を表す掛詞であり…
『あなたに会いたくて天の架け橋の上まで来たが、進む事ができない悔しさに足を踏み鳴らしている。難波(摂津)で共に過ごした頃に眺めた春の花が懐かしい
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尼崎に到着した荒木久左衛門一行は、早速村重との会見を求めたのですが、村重は城門を固く閉ざし、城に近づこうとする有岡城の同胞に向けて鉄砲を撃ちかける有様でした
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久左衛門達は数日場外に座り込み、主君の心変わりを待っていたのですが、最早村重は翻意しない事が明らかになった段階で、今度は自分たちの身が可愛くなったのか…
あろう事か、有岡に置いて来た人質を見棄て、散り散りに逃げ去ってしまいました
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つまり、有岡城の荒木一族は…
主人村重のみならず、彼らが最後の望みを託していた夫や肉親達にも裏切られてしまったのです
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戦国史上、ここまでエゴに満ちた裏切りの例はなく、村重の投降拒否と説得に赴いた家臣達の逐電の報に接した信長の怒りは…
かってない位、凄まじいものでした
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天正7年12月
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『日本において久しく耳にしたこともないほど、きわめて残酷で尋常ならぬ厳しい裁き』を受けて処刑される事となったのです
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それでは、村重は何故降伏勧告に従わなかったのでしょうか
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幾分推測を交える事になりますが、私の見解については次回にお話しますo(^▽^)o
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