友人との出会い、異性との出会い、家族との出会い、パソコンとの出会い、たくさんの出会いがあった、30代でした。
友人との出会いは、今も心にかけてもらっている人がおおくうれしいです。
パソコンとの出会いで、素敵な人たちとも出会いました。ある友達(女性)は「私たち、ネットでであったんだよね」ってメールや電話で長電話するような素敵な人との出会いもありました。
もちろん?異性の方もラブラブ!
生まれて初めて、お付き合いもさせてもらいました。いろんなところにも連れて行ってもらいました。

弟がお嫁さんを貰い、妹と姪にも会うことができました。
私のわがままで、失った出会いもいっぱいありますが、これも勉強だったと思って・・・
40代の出会いもワクワクしている、わたくしでーすチョキ

私が、仕事を辞めてから、しばらくして父が45年間勤めていた会社を定年退職になった。

カッコ6家の事は、自分がするから、また働いては?カッコ5と言ったのですが

「母のためしか、働かん」と。

それから、二人の暮らしが始まった。

父は、45年間勤めて、最終には部下を300人も持つ人に。

言葉も態度も、上からもの言うような言い方で、私と父は毎日喧嘩を。

私は喧嘩をしているつもりだが、父にはただのわがまましか・・・

毎日の家事は私の役目。たまに友達と出かけるも。「いついつ何時に、帰ってくるか?」

30過ぎの私は、ストレスがたまりよく友達の所に駆け込んだものだガーン


でも、よく旅行には連れて行ってくれた。電車

母の両親のふるさと、鹿子島。指宿・枕崎、ついでに屋久島まで。

屋久島では、父は、歩くのが好きなので、屋久杉見に。わたしは、一日バスでのんべりと。

北海道も、ツアーで行ったかな?

弟夫婦も一緒に、海外も連れて行ってもらった。グアム・ヨーロッパ。

ヨーロッパ(ドイツ・スイス・フランス)もツアーで行った。皆さんに迷惑をかけないだろうか?と心配していたが、添乗員さんや皆さんのおかげで楽しい、約一週間だった。パリでは、自由行動でシャンゼリゼ通りで、ケーキとティーを食べたのが一番思い出かな? 有名な美術館や教会にも行ったのに・・・ケーキ01


今もそうだが、毎日のように衝突をしていたガーン

そのようなことから奪回したくっていろんなことをし、いろんな人と出会うことができた。そのことはまた次回へキティちゃん


30代からの事から少しずつ書いていきま~す

30の事を書く前に、20代最後の歳におきたことを今日は書こうと思います。


9月まだまだ暑い日、そのごろ私は屋外広告の小さな会社に勤めていた。その日もいつものように母にお弁当を作ってもらって出勤した。

いつものごとく母に「30前の娘のお弁当、なぜ朝早く起きてつくらなあかんの?」と言われながら

今思うと少し違う朝だったような気がする

いつも父と一緒に朝食を食べていた時に、父が

「このごろへんな夢見るんや。車で出かけようとすると、駐車場にある車がないんや。またたある夜は、会社の駐車場にも車がなくなっている夢も見たような気がするし。」と

「れいこ、自動車に気をつけて出勤しいや」

「お母さんも」と。そのときに私と母自身のお弁当を詰めている母の後ろ姿が、なんかおかしい気がしたのを覚えている。

私の出勤するときも、私の後ろ姿が見えにくくなるまで

「背中を伸ばして歩きなさい」とか「会社の人に迷惑かけないように」とかいっぱい母の声が聞こえたような気がした。私はただ今日の仕事の段取りを考えながら、バス停に向かった記憶があります。

そのごろ職場は、バブルが崩壊しかかっていた頃で冷房もなく、窓もない事務所で、出勤後、Tシャツに半ズボンに着替え、首に汗をぬぐタオルを巻いて、看板のCADを使いなから仕事をしていた。男子の多い職場にもかかわらず。会社の業績も良くないため本当に最低の従業員で作業をしていた。前の日を私のサポートと思って雇ってくれた男の子を色々あって、辞めた所でした。

その日も着替えて、母か作ってくれたお弁当と飲み物を職場の冷蔵庫に入れて、その日に片づけなくてはならない仕事に向かっていた

11時回っていたと思う。事務をしてした社長の奥さんがかかってきた電話を置いて、事務所を出て行った。別の場所(工場)で電話をかけていた。たぶん社長に私の父からの電話を伝えに行ったのだろう。

奥さんが「Eさん 今すぐ家に帰りなさい。後のことは良いから。お父さんが家に書類を忘れたので鍵をあけてって電話があったから」「タクシー呼んだから、帰ったら鍵を開けて窓も全部あけて・・・」

私は「うん???」って感じだったと思う。それに「母のほうが職場近いし、今仕事混んでるんやで・・・」なにも分からずにタクシー代ある?母は?と思いながら、無意識に母の職場に電話かけていた。でも、誰も出なかった。

タクシーに乗って、約30分。「弟に何かあった?」と思いながら「会社に戻ったら、今日も残業か」とか色々思いながら家に向かった。

家に着くと近所の母や家族ぐるみでつきあっていた、おばさんが

「れいちゃん どうした?なにあった?」と。タクシーを降りたん言われて、わが家の前で待っててくれた。父とおじさんは同じ職場で電話があったと後日教えてくれた。

私は、おくさんが言ってくれたように伝えた。

社長のおくんさんも父の母の訃報の電話をもらって、社長と電話連絡してそのように嘘を聞いていてくれた。

その後亡母を父が病院から、連れて帰ってくるまで近所の人たちが家にあがって片づけをしてくれていた。

そんなときは、案外落ち着いているもので自分自ら弟や母の姉妹に電話していた。冷静に。

これから一週間ほどのことを今も昨日のことのように覚えている。一週間後父や弟より先に職場に復帰した

なんと、仕事熱心のことニコニコ 一日目は寝ていないことも忘れていて出勤したので、眠たくって・・・


今日は、重たくってごめんなさいm(__)m

次回は看板屋で働いていた頃のことを・・・虹


母は、自転車で出勤のため最寄りの駅に向かうとき、工事中のトラックの後輪に巻き込まれました。



今まで色んな事がありました。

今までのことを回想することで、なにか見えてこないかな?って思っています

むしろ向きの回想ではなく、前に進むための自分発見のために


30代、20代、10代と記憶が新しい日々から、綴っていこうと思っています。

マイペースに

れいこの歴史です