近年大活躍の櫻井よしこ氏の原点―『何があっても大丈夫』を読む(再編集版) | ワーカーズの直のブログ

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近年大活躍の櫻井よしこ氏の原点―『何があっても大丈夫』を読む

 

 近年大活躍の櫻井よしこ氏のことは皆様ご存じであろう。日本会議等の様々な集会で憲法改正の必要性を叫び続け、安倍総理の応援団・広告塔として講演をしていることは周知のことだと考える。彼女の活躍はそれだけにとどまってはいない。

 

 LGBTに「生産性がない」の差別発言で一躍時の人になった杉田水脈氏が次世代の党の落選候補で無聊を託っていた所をリクルートで拾い安倍総理に紹介し、自民党の衆議院候補者に仕立て直して当選させたのも、誰あろうこの櫻井よしこ氏なのである。

 

 これら一連の余りにも激しい極右翼的政治活動については、かつて櫻井よしこ氏をリベラルな人だと認識していた人々は、当時と比較してその余りにも甚だしいギャップや落差に呆然として思考停止に陥り、訳が分からずに当惑している人々が多いようだ。

 

 周知のように櫻井氏はベトナムはハノイの野戦病院で出生し、その後日本に帰ってからは大分県中津市に一時住んだ後、母親の実家のある長岡市で中高校時代を過ごし慶応大学に入ったものの、ハワイ州立大学に留学した。

 

 そして同大学歴史学部を卒業後は「クリスチャン・サイエンス」東京支局員となった。その後、1980年5月から1996年3月まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めたのである。

 

 ここで余談をつけ加えれば、今は都知事の小池百合子氏も1979年から1985年まで日本テレビ『竹村健一の世相講談』のアシスタントキャスターを務めた。NHK『海外ウィークリー』の幸田シャーミンや野中ともよ、テレ朝『BIG NEWS SHOW いま世界は』の安藤優子より1年早いデビューで、元々フリーから出発した女性キャスターとしては草分け的存在だった。

 

 その後、1988年よりテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスターを務めた。そして1990年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞する。つまり小池氏も櫻井氏も大抜擢されてテレビ業界に参入したのである。

 

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 この3年後、櫻井氏も1993年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞し、1995年に薬害エイズ事件を論じた『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(新潮社)で第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。この著作により櫻井氏は大いに注目を浴びるようになる。

 

 こうした経緯の中で薬害エイズ事件を追及された安部英氏が櫻井氏から逃げる無様な映像はテレビで度々大報道された。この時、真実を追求するジャーナリストと逃げ回る事件の中心人物との対比が、恰も「正義」を追求の櫻井氏と「悪の権化」の安部氏との図式ではっきりと明確に視聴者には印象づけられたのである。

 

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 薬害エイズ事件は裁判となった。この裁判の経緯については『安部先生、患者の命を蔑ろにしましたね』(中央公論新社1999年10月)を出版する。まるでエイズ事件の追及が櫻井氏のライフワークのようだった。

 

 しかし1996年、薬害エイズ事件についての著書の記述を巡って、安部氏より櫻井氏は毎日新聞などと共に名誉棄損で訴えられた。その訴訟は一審が棄却、二審で逆転で損害賠償を命ずる判決が出た後、安部氏の無罪判決後の平成17年(2005年)6月に最高裁で再逆転・棄却となり原告、つまり安部氏の敗訴が確定したのである。

 

 このように薬害エイズ事件の裁判では安部氏は無罪になるも、名誉毀損裁判では安部氏は敗訴して、その結果櫻井氏も無罪となった。但し櫻井氏については以下の指摘がなされた。

 

 最高裁の判決は、櫻井氏の記述が真実であると認めたものではなく、彼女が「真実と信じたことに相当の理由がある」というものであった。安部氏の弁護団は櫻井氏の取材方法は捏造に近いと主張し、櫻井氏は口でこそ反論したものの、判断は受け入れたのである。

 

 この直前から本名(櫻井良子・直注)ではなく「櫻井よしこ」のペンネームを使用するようになった。つまり薬害エイズ裁判ではそれまで社会から激しく糾弾されていた安部氏が結局無罪判決を受けたことに対応して、櫻井氏は自らの言動を改めたのである。

 

 そして2008年9月20日、エイズ裁判の弁護士だった弘中惇一郎・武藤春光編著の『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実――誤った責任追及の構図』(現代人文社)が出版された。こうして櫻井氏を先頭とする「エイズ事件報道は嘘だらけだった」ことが明らかになってしまった。こうした事実は、櫻井氏には実に冷酷かつ打撃だった。

 

 薬害エイズ裁判の判決と名誉毀損の裁判の判決の事実によって櫻井氏は、第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『エイズ犯罪・血友病患者の悲劇』(中央公論社1994年)という実質的なデビュー作であり、代表作でもある作品を絶版に、1998年出版の中公文庫も絶版にふしたのである。

 

 この文庫本の解説は、今でもジャーナリストとして優れた活動している広河隆一氏が書いている。その解説の中で彼は櫻井氏の取材の仕方や日本テレビでのキャスターの仕事ぶりを絶賛している。彼も又彼女の本質を捉え切れず、騙されてしまった人々の一人である。現在、古書価格は両著ともアマゾンではたったの1円だ。

 

 勿論、その後現在までどの出版社も本書を「復刊」や「復刻」していない。最近の櫻井氏は『エイズ犯罪・血友病患者の悲劇』がまるで存在しなかったのように自著では全く触れなくなり、注意深く隠蔽しているのである。

 

 何故か。そこに書かれた多くが間違いだったからだ。櫻井氏がこの本を絶版にしたことで一切は終わり、櫻井氏の弁明など全く必要ない。。

 

 この本について今でも確認の出来るアマゾン読者評の一部を紹介して置く。

「真犯人は厚生省の役人だったわけだが、一人の医師を血祭りに上げることで厚生省への批判を避けることができたのは厚生省の役人にとってこの上ない好事であった。櫻井は前代未聞の役人の犯罪隠しに荷担したわけである。姑息にも本書を自ら絶版にし、人々の記憶から消し去ろうとしたこの似非ジャーナリストは、今では嫌韓、嫌中の旗振り役である。www」とある。

 

 この評は、彼女のこれらの行動を客観的に的確に評したものといえるであろう。

 

 櫻井氏の批判に集中するため、この薬害エイズ裁判の判決にはあえて深入りしないが、薬害が科学的に解明されてそれを証明する論文が書かれていない内は、最低限の治療さえしていれば医師の責任は問われないと事実上断言した「基本的視点」と安部医師に求められる注意義務は「通常の血友病専門医の注意能力」との結論が導き出されたもので、私としてはまったく容認出来ない。この他にも患者に不利で安部氏に有利に働く視点が目立っている。

 

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 さてやっと『何があっても大丈夫』(新潮文庫)を取り上げることが出来る。この本の親本は2005年2月に出版された。内容は2001年に母と二人でベトナムを訪ねた時、ポツリポツリと父のことを語り始めた母の話を書き留めるつもりで書き始めた本である、と櫻井氏は説明している。書名の何があっても大丈夫とは楽天的な母の口癖であった。

 

 本書によれば父・清は、現在の横浜中華街で生まれた。祖父の信吉は腕の良い洋服の仕立職人で祖母のトキは働き者だった。その為、成功して何人もの職人を使っていたという。しかし大正12(1923)年の関東大震災で焼け出され、その後神戸に移っていったのであった。この典型的な三把刀職人の祖父は、当然のことながら華僑であろう。

 

 更に本書では余り知られていない櫻井氏の家庭状況が詳しく書かれ、父母と兄等、父の愛人と父の前妻の子で櫻井氏の姉に当たる人たちとの思い出が綴られている。ここから分かるように、彼女は台湾人の華僑で品行不方正であった父の後妻の子だったのである。

 

 日頃母から父は素晴らしい人だとの説明と現実の父との間にあるギャップにより、青春時代の兄は大きく動揺しグレかかり立ち直るのに大変な時間がかかったのだが、櫻井氏はそれを知った時の本心は隠したままである。

 

 一部の読者はそこに彼女の強さを見ているが本当は違った。そもそも何故、何があっても大丈夫との精神で自己を切開できないのか。

 

 父を母を紹介したの台湾でサロンを経営していた松尾夫人であった。母は今で言う美容師であった。母は松尾夫人に気に入られその息子との結婚を嘱望されいたのだが、母は断った。それでも一切拘りなしに変わりなく優しく母に接した松尾夫人であったのである。

 

 これらを読めば櫻井氏の父が華僑で台湾人だとの疑念がわくが、彼女は何故かはっきりと父の国籍は特定しない書き方をその後も続けてゆく。この点に読者は櫻井氏の深いコンプレックスを読み取ることが出来る。しかし自分の出自に何の恥じることがあるというのだろうか。人は親を選べない。

 

 まさに生きている限り、希望がある。だからこそ「何があっても大丈夫」なのである。櫻井氏は母に学ばなければならない。

 

 私が思うに、櫻井氏はこのコンプレックスから逃れるため人知れず人一倍の努力をしていたに違いない。そしてその結果が英語へののめり込みであり、ハワイへの留学であろう。だからこそ、日本人以上の日本人になろうとの必死の努力があったと私は考える。

 

 そしてこの必死の努力が先の名誉毀損裁判の過程で否定され、櫻井氏は深く深く傷ついたことだろう。母と二人で台湾旅行をしたのも、『何があっても大丈夫』を書いたのもその深い鬱屈を癒すための行動であったに違いない。彼女は本当に癒されたかったのである。

 

 台湾旅行は何のために行われたのか。勿論、次のステップを目指すためである。しかし次のステップがダークサイドへの転落となった。その努力の方向が生長の家や統一協会を背景とする日本会議への参加になったしまったのは、櫻井氏にとってはきわめて自然な流れであったのだろう。

 

 櫻井氏は現実の日本人の姿から学ぶことなく、理念としての日本人像に迫ったのだが、それまで日本史・日本文化の研鑽に決定的に欠けていた。そのため戦後の日本を批判して明治以来の日本に回帰する運動に魅せられていった。つまり自ら日本文化論が書けない櫻井氏は既成の右翼思想を受け売りする他、道はなかった。無知は如何ともしがたいものである。

 

 政治に関心がある日本人なら、国家神道は神道一般とは違うことを知っている。だが浅薄な櫻井氏は国家神道の負の側面に無自覚である。青春期に日本を離れ日本歴史の研鑽の機会を怠ってきた深刻な付けが、その時の彼女に国家神道の本質を見誤らせたのだ。

 

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 それが『武士道のこころ』を推薦する行動や神社本庁等への急速な接近として現れた。その根拠となる事実がある。その証拠に、2013年12月20日に出版された『迷わない。』(文春新書)では「私は神社のすぐ脇に住んでいます」(同200頁)とある。

 

 これを読んだ人は櫻井氏が神社の近くに住んでいると読み取る。勿論、これ以外の読み取りは出来ない。しかしこの表現が現実に意味する誰もが驚愕の事実とは、東京都港区の一等地にある素盞嗚尊を祀る有名な神社、赤坂氷川神社の境内に住んでいることなのである。

 

 確かに神社のすぐ脇に住んでいる事に間違いはない。一私人が宗教法人である神社の 境内に自宅を建てているなどと一体誰が想像できるだろうか。実に想像を絶することである。しかもその家は赤坂氷川神社の木々茂る東側入り口から境内に入ると、社殿の方へと向かう道脇に衝立で囲われた一軒家である。

 

 建物は白を基調とした外観の巨大な鉄筋コンクリート造りで表札こそ掛かっていないが、そこが本名・櫻井良子の自宅なのである。

 

 リテラの調査では、登記簿に地上2階地下1階、総床面積約520平方メートルの、単なる一私人の邸宅とは思えない豪邸である。因みにこの建物には建築した2004年の翌年、05年に1億7千万円の根抵当権がついていたが、僅か6年で抹消されている。

 

 勿論、問題はその豪邸が建っている土地だ。登記簿を見ると赤坂氷川神社の所有である。つまり櫻井氏は衆議院議員会館近くの徒歩圏である一等地である赤坂氷川神社の境内の一角を借りて、老母と二人で巨大な鉄筋コンクリートの建物に住んでいる。

 

 しかも境内内の建築物は神社本庁の許可、つまり神社本庁の田中総長の裁可が必要なことなのである。

 

 だから次に考えなければならないことは、櫻井氏の評論活動と神社本庁との癒着関係だ。櫻井氏が大分前から全国で約7万9千の神社を統括する宗教法人・神社本庁と一緒になって改憲や歴史修正主義的活動に取り組んできた事は周知の事実である。まさに何かあるのだ

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 そして2015年2月4日、櫻井氏は『日本人に生まれて良かった』という無残な単行本を出版し、その恥多き人生を総決算する。人は頂点に立ったと思う時、堕落が始まる。まさにこれまでの願望が現実となった白日夢ではないか。

 

 今からでも決して遅くない。自分が何故ダークサイドへ落ちてしまったのかを、真剣に反省すべきではないだろうか。

 

 さらに2016年1月からは、全国の神社の境内で行われた憲法改正実現のための「1000万人」署名運動がある。これは神社本庁が改憲団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の運動の一環として行っていたものだが、同団体は神社本庁も参加する日本会議の団体であり、櫻井氏がその共同代表を勤めている事もこれまた公然たる事実である。

 

 したがって人は櫻井氏の神社界(神社本庁)と一体化した言論活動と神社の土地を借りて巨大な建物を建てたこととは、何か深い関係があるのではないかと考えざるを得ない。

 

 当然である。だからこそ櫻井氏は自分が神社の境内に住んでいる事実を隠すのである。

 

 2016年5月2日のリテラでは、「改憲派のリーダー・櫻井よしこは『言論人の仮面をかぶった嘘つき』だ! 憲法学者・小林節が対談を捏造されたと告発」したとの記事を掲載している(https://lite-ra.com/2016/05/post-2206.html)。読者には必読の記事である。

 

 憲法学者の小林節・慶應義塾大学名誉教授は、元々自民党の改憲論議に付き合って来たタカ派の改憲論者である。近年は安倍政権の立憲主義を無視した暴挙に危機感を表明したことで知られ、安倍総理を批判している小林教授だが、櫻井氏の人物像についてこう語る。

 

「元々民主主義の基本は、正しい情報に基づいて国民が国家の方向性を判断するということです。しかし私に言わせると、安倍政権は嘘キャンペーンを張って、国民を騙しています。そのことで櫻井さんが大きな役割を果たしている。美人で、経歴が良くて、表現力もあるから、一般国民はコロッと行ってしまう。このままでは安倍政権や櫻井さんの嘘に騙されて、国民が判断を誤りかねない状況です」「私の経験から言うと、櫻井さんは覚悟したように嘘を発信する人です」

 

 私も小林教授の意見に賛成だ。だが櫻井氏は変節したのでなく、ただ原点に戻っただけである。この一事を知ることこそ、櫻井氏の現在の言動を認識する核心である。