123 | チョースケのNinja日記

123

きょうのテレビで「坪倉優介さん」を知った。

↓ウィキベディアへのリンク↓

http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&cd=1&ved=0CCUQFjAA&url=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%259D%25AA%25E5%2580%2589%25E5%2584%25AA%25E4%25BB%258B&ei=_kdlTY7xEImkugOeo7SrBg&usg=AFQjCNE1QX_Ctu5D8-rJ9kUOUQygSd-qsQ&sig2=WZg5jpDjNb2AqgceSmcxRQ




そのTV番組は 「ザ・ベストハウス123」

http://wwwz.fujitv.co.jp/123/oa.html


----以下記事引用----

※リンク先の文章が読めなくなる事を想定してコピーペーストした。

 

坪倉優介さん、40歳。母と父、3人で暮らす優介さん。一見、特に変わった所は見られない。彼が、記憶を失ったのは、18歳の時。大学からの帰宅途中、不慮の事故で頭を強打。脳から大量出血し、運ばれた時は意識不明の重体。10日後。優介さんは、奇跡的に意識を取り戻した。だが、息子が母に放った言葉に家族は凍りつく。「すみません、どなたですか?」目の前の家族が誰なのか、全くわからなかった。医師が下した診断は、重度の記憶喪失。
一ヵ月後、重度の記憶喪失を抱えたまま優介さんは退院。弟にも、妹にも見覚えがない。だが、それだけではなかった。久しぶりの家での食事。だが、優介さんはじっとしたまま。優介さんは信じられない言葉を口にする。「食べるって何ですか?」食べる。それが、何をどうすることなのかがわからなかった。記憶は、大きく2種類に分けられる。一つ目は、陳述記憶。これは、人の名前や物の名前。英単語の暗記など学習し知識として覚える記憶のこと。もう一つは、手続き記憶。食事の仕方や、泳ぎ方など体験し体で覚える記憶のこと。一般的な記憶喪失は、知識として覚えた陳述記憶が失われる事が多い。だが、優介さんは陳述記憶、手続き記憶の両方を失っていたのだ。記憶を失ったのは、食事に関わることだけではなかった。排泄は、トイレでする。そんなことも忘れていた。お風呂はお湯で入る。それも忘れていた。優介さんは、一日中、じっとしたまま。喜怒哀楽などの感情をあらわす事もなかった。
一瞬で全てを無くし、また一から覚えなおす苦痛。そんなわが子を支えてきたのが、母・慶子さんだ。母は、決意した。「優介をもう一度、育てなおす。」ものの名前とその使い方。全てを言葉にし、丁寧に教えた。だが、目の前にいる母の存在も、その言葉の意味もわからなかった。それでも、母は一つずつ教える事しか方法はなかった。それが、我が子の脳に影響することかどうかなど母にはわからなかった。だが、この献身的な母の行為が、優介さんの脳を再生させる奇跡に繋がる。
一ヵ月が過ぎた。すると、優介さんに或る変化が。質問攻め。一つ教えるたびに、とめどなく質問をかえす。子供は、母が教えることを、見よう見まねで覚えると、次に、その行動の意味を言葉にして尋ね始める。こうして、日常の些細なことについて、記憶を蓄積し、成長していく。献身的な母の努力が、優介さんの脳に成果となって現れ始めていた。
優介さんの脳は、新しく成長を始めていたが、事故前の記憶は何一つ戻ってはいなかった。何とか記憶を呼び戻すキッカケをつかみたい。母は、優介さんに或る物を見せた。幼い頃の写真。母は、優介さんに幼い頃からの膨大な写真を見せた。そして、1枚の写真が、彼の脳を動かした。母に抱かれた幼い頃の優介さん。この時、失われた記憶の中から、掛けがえのない母のことだけが、蘇ったという。優介さんにとって、「お母さん」は「人間」「男」と同じ言葉でしかなかった。しかし、アルバムの写真と目の前の人が優介さんの脳の中で一致。母親が特別な存在であると認知した。母を理解したという事は同時に母にとっての自分の立場を優介さんが客観的に見られた瞬間だったといえる。
3ヵ月後。日常生活にも慣れてきた優介さん。その姿を見た母は、こんな思いを抱きはじめる。「優介を、大学に復学させる。」しかし、誰が誰なのかわからない。講義に出ても字が読めない優介さんは黒板を記号のように写し取るだけ。同級生にからかわれて、胸は苦しくなった。だが、悲しさ、辛さなどの感情の表現方法が優介さんにはわからなかった。心配する母は、大学でのことを聞きたがった。しかし、母の心配が優介さんをどんどん追い詰めていた。優介さんの頭の中には、あらゆることへの疑問が渦巻いていた。そして、ついに、疑問の矛先を自分に向け始めてしまう。僕が生きてる事に何の意味があるのだろう?自分の家に居ても、そこが居場所だと思えなくなった。優介さんは、昼間は部屋に閉じこもり、夜になると優介さんは母を振り切り、家を飛び出そうとした。その時、或る物が優介さんを釘付けにした。母の涙。それを目にした途端、からだの奥が苦しくなった。優介さんの胸の中で、他人の気持ちに共感する回路の働きを促したと考えられる。優介さんの中で起こった感動が様々な変化をもたらしてその後人生を切り開いていくきっかけになった。母の涙を目にしたこの時から、優介さんは変わった。事故から半年。何事にも前向きになり、自分から学ぼうと積極的に取り組むことで、知識は確実に増えていった。
番組は事故後初めて、優介さんの脳を最新のMRIで診断。解析の結果、驚くべき事実が判明した。傷痕は、一切見当たらないという。なんと、事故で受けたはずの、脳の損傷が、母の支えで復活したという。
優介さんの再生した脳は、記憶を失ったかわりにある個性を手に入れていた。それは、独特の才能となって開花する。常識にとらわれない色彩感覚。優介さんが、その才能を生かすため辿り着いたのは染色作家の道だった。現在、草木染め作家として、工房を開く優介さん。自ら染料を抽出し、着物などの色をつける。彼は今更なる新しい色を追い求めている。母の愛が育んだ、優介さんの脳は、これからも、美しいものを我々に見せてくれるだろう。

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この話は、母の献身的な介護で奇跡的に復帰した、大変感動する話がクローズアップされているが、


じつはこの話しには、バイク好きなお父さんの素晴らしい話もあった。


http://www.mapple.net/tw_column/0578.html



この中で、お父さんは語っている。


「事故を起こして怖くなったのなら乗らなくてもいいが、もし乗りたいなら、俺のいるうちに乗れ。今なら俺が教えてやれる。いいか、優介。お前に子供ができたとき、それが何であれ、怖いものか、怖くないものか、教えてやれるのは父親だ。危険かどうかを知って教えられる親になるのか、知らないゆえに教えられずただ止めてしまう親になるのか、それを考えろ」



こんな素晴らしい話が、あまりクローズアップされていない事が少し残念だ。



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