太閤クリニック

TAIKOH neurosurgical service


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53歳は私にとっては一つの到達点でした。いや52歳まで無事に過ごすと言ったほうがいいでしょうか?
誕生日に相応しくない話題ですが 私は父が52歳の時に生き別れをしました。
その時まで父は私を厳しくも愛情を持って育ててくれました。
その時は私は17歳でした。そういうこともあったのか
私は米国の高校に逃されていました。そして最終的には死に目には会えませんでした。
母子家庭で育ち 私は本当はさだまさしじゃないけど 天文学者になりたかった。
進路指導でK坂先生に諭されました。「お前 母子なのに30まで母に仕送りを受けるつもりか」
その夜 風呂に入っている15分位の間に考えました。
「俺は人と関わる仕事がしたい。理系で手に職をつけて母に負担をかけないのは国立の医学部だ。」
と閃きました。なぜそう思ったのか今でもわかりません。
それを母に伝えると「そんなお医者様になれるわけないじゃない。」
説得して「一浪させてくれ 何とかする。」
I田先生は「お前は医大志望の三馬鹿だから絶対無理」とあざ笑いました。

結局俺は入学金10万円と授業料免除で医師になりました。
さて
私には二人の息子がいます。彼らが17歳が無事にすぎるのが怖かった。
自分が52歳の時が怖かった。
53歳になって父の愛情は再認識し ある意味呪縛からも開放された気がします。
これからも仕事と趣味と健康を楽しみます。
あとは謙虚に少しでも「患者さんfirst」でやっていこうと思います。
というわけで 今日も妻と仕事と介護をしています。
妻と家族と素晴らしい友人達に感謝したいと思います。
ある友人は「山の日が祝日になったのは 国民全員がお前の誕生日を祝っているんだろ?」と言っています。
ま そんなことあるわけないけど そう言ってくれる気持ちがうれしい。
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