人生の伴走者であり、
毎日顔を合わせ、
寝食をともにする人、
つまり結婚相手ということなんですが、
みなさんはどのような条件を挙げているでしょうか。
またすでに結婚した人はどのような条件を挙げていたでしょうか。
・容姿
・職業や勤めてる会社
・年収
・学歴
・価値観や性格が合っていると思えること
・尊敬できるところがあること
・思いやりがあること
人それぞれ色々ありますよね。
たくさん条件挙げるのは理想が具体化しますし、イメージも膨らむので良いことですよ!
1回と言わず、2回でも3回でもやったほうが良いと思います。
わたしも旦那さんにするならこういう人がいい!というこだわりポイントをいくつか決めていました。
その内のひとつは『自分は運がいい』と手放しで言える人、というものです。
これって、自己肯定感が低かったり、ネガティブに物事を考えやすい人は言えないコトバなんです。
『根拠のない自信』のようなものだから。
かの松下幸之助も『面接で”運が悪い”と答えた人は、どんなに学歴や面接が良くても、即不採用。』にしたっていうハナシは有名ですよね。
(意図が同じか分からんですが)わたしもグッドルッキングで高学歴、高身長、高収入でも『運が悪い』という人とは結婚したくないなぁ~と思っていました。
どんなに何かに熱心に取り組んでも、最終的に自分の思うような結果にならない、ってコトってあると思います。
この世界は自分だけの意図で動いている世界じゃないからです。
自分と自分以外のみんなの感情と行動から成り立ってるからです。
入試だと、どこでボーダーライン引かれるか、その時の受験者の得点分布によって異なってきますし、
就職関係であれば、どんな面接担当者に当たるかで結果は変わってしまう場合もあります。
何かモノやサービスを販売しようとしても、そのモノやサービスを欲しいと思ってる人と出会えるかどうかですら運の要素は排除できないです。
だから、うまくいくかいかないか、そこはぶっちゃけ運って完全に排除することって難しいと思うんですね。
そもそも『運がいい』と言えるということは、自分の人生に対してかなりポジティブな認識を持っているということです。
偶然の出来事、ささいな出来事に対してもポジティブ思考のメガネをかけて見ているのです。
コップの中に水が3分の1入ってたとして、
もう3分の1しかない、と認識するか、
まだ3分の1ある、と認識するかの違いです。
そして、ポジティブな人には根拠のない自信が根付いてます。良い楽観性とでも言ったほうがいいかもしれません。
なので口でどれだけネガティブなことを言うことがあろうと、お腹の底では『まあ大丈夫』って思ってます。
実際に本当に運で乗り切ってるね~なことも経験しています。
また、ダメだったことに対してぜんぜんクヨクヨしないんです。
誰かが何かで失敗してくよくよしてても『運が悪かっただけだよ~』とさらっと軽やか。
ぜんぜん失敗にこだわらないんです。失敗したけど、でもま~大丈夫、なんとかなる、っていう自己肯定感がしっかり根付いているから。
努力が必ずしも成功に結ばれないことも知っているので、何か失敗した人に努力が足りなかったんだろ!とやたらと責めません。
さらに誰かが何かに挑戦しようとしている時に即座に否定しない。
いわゆるドリームキラーになりにくい人が多い気がします。
そもそも、自分で『運がいい』って言ってるような人は一見ムリめなことに『えいやっ』って飛びこんでることが多いからです。
で、どういう形であれなんとかなってるから、何かに挑戦しようとしている人がいたら前向きなことが言えるんですね。
加えてけっこう『おかげさま』の気持ちがある。
何事も自分ひとりの力で成し得られないということを知っているから。
協力者がいたおかげということが心から言える人だったりもします。
超ネガティブ人間だったわたしからすると、なんかこういう人は遺伝子レベルで人間が違う、と思ってました。
でも、人として信頼できる人、接してて気持ち良い人、どんどん成長していく人が多いように思うので、
おつきあいする相手は『運がいい』とか『運がいいほう』って抵抗感なく言ってるくらいのほうが、
長期に良い人間関係を作っていける可能性が高いんじゃないかな~と思ったんですね。
なので旦那さんにするなら『運がいい』ってストレートに言う感じの人がいいな~と思ったわけです。
もしも次出会いたい人をほわっと考えている人は、『運がいいって言ってる人』っていうのも要素として追加してみても良いんじゃないでしょうか。
ちなみに自分で『運がいい』というような人の周りには、類は友を呼ぶのか、朱に交われば赤くなるのか、
『あいつは景気いいな~』とか『あいつは運がいいよな~』という感じのヒトが多いですね。
まーネガティブ思考な人はこういう人とあまり付き合いがなかったらかなりとっつきにくかったりします。
何故かという理由もお伝えできるのですが、来年お伝えする機会があればします。