「空を見上げて」を閉鎖します
ありがとう
さようなら
現実で私を知る人にブログを読まれていることがつらくて
私は大切だった前のブログ「私のイバショ」を捨てました
好きだったsoraという名前も捨てました
その人のことがキライとかそういうことではなく
私は、現実社会では本当にこころを開ける相手にしか
私のこころのうちを開くことはしません
その人はそういう相手ではなかったのに、私が素直に綴る言葉が
知らないところでその人の目にとまっているということが
自分の気持ちの自由な表現にブレーキをかけ
本当にくるしくなりました
私はあたらしい場所をもとめて他のブログにもいきましたが
やっぱりアメブロでつづけたくて
もういちど、hanaという名前で
「空を見上げて」をはじめることにしました
でも結局
また探し出されて
去年の8月の終わりごろ
私は勇気を出してその本人とメールのやり取りをしました
本当につらくて悲しかったけれど
その人のためにまたここを捨てる勇気はなく
そのとき、その人に対して毒を吐いた私のブログを
もうきっと読みにはこないだろうと思うことにしました
でも彼はそれからも私のブログを訪問していました
そしてこの間も
隠れて見に来ていたことがわかり、
私はその現実が変わることを願い勇気を出して動くことにしました
私はそのたったひとりのために
いつまでも小さなしこりをかかえながらブログを続けていたんです
もうそんなことからは抜け出したかった
それまで、アメンバーにすることやパスワードブログに引っ越すことも勧められましたが
私の中ではそれは、私のブログを書いていく姿勢とは違うと感じていました
私はカタチだけの友達や読者作りには興味がありません
私の言葉を読んで何かを感じてくれるそういう誰かとつながりたいと
いつも思ってきました
だから、今の時点でパスワードをかけたりアクセス制限することは
私のこれから出会う誰かとのつながりは何もないことになり
私にとってはそれがとても悲しいと思いました
その人に私のブログがわかってしまって
今もなお、こんなふうにつらい思いをしていることが
私は本当に悲しいです
私はその人の良心を信じたいと思いメールをおくりました
その人がどのブログを見ようと私にはそれを批判することはできないのはわかっています
でも私がイヤがっていることはもうやめようと思ってくれるような
良心が働くことを信じて、メッセージをおくりました
「姿を隠して見に来てもわかってしまってますよ。
私はずっとそのことが苦痛です。あなたに良心があるなら
人が嫌がるとわかっていることを続けるのをもうやめてください。
あなたの良心を信じたいと思います。よろしくお願いします。」
でも彼には通じませんでした
「仮想現実で批判を受けるのは我慢できません」というような返事でした
そのあとのやりとりでも
彼からは「誹謗中傷」などと思いもよらないことを言われています
苦しいです
私から見れば本当に意味がわかりませんが
彼にとっては本気でそう思っているのだと思います
怖いです
おびえています
気持ちが悪くなります
今後彼がここにもう足を運ばないとしても
やっぱり私はもうその存在から姿を消してしまいたくなります
また閉鎖をしても
彼は「自分がどこかで誹謗中傷されているのでは」と恐れて
私のブログを探すのかもしれません
私はそんなことはしない、と言ってもわからないのですね
私はただその人に読まれるそのことが嫌なだけで
私のブログを読まなければ全くどうでもいい関係のない人なのです
それなのに、彼は「現実社会で私から何かされたときには関係各所に話せるように」
などと言っています
なんなのでしょうか
私は人はわかりあえると信じたいのに
こうやって被害妄想が激しくて相手を必要以上に攻撃してくる人と接すると
人が信じられなくなります
私はそういう人もいると学ぶときなのでしょうか
また苦しくて悲しい時間です
私はまたここで築いてきた大切な時間を
ここでとめなくてはいけないようです
ここで出会ったすべてのあたたかい人達へ
たくさんのありがとうをこめて
やさしくてあたたかいみなさんに
幸せがたくさん届きますように
ありがとう
さようなら
hana