パカッ!外から外から。 | 頭ん中へようこそ

パカッ!外から外から。

世の中を、上手に見れている人は凄いと、バカな私は思うのです。


“上手に”と言うのは抽象的ですが、自分の目を持ちつつも、一歩引いて見たり、或いは人とは違う視点を持っていたり、そんな感じのこと。


ある方のブログを読んでいたら『“私だから、こうなった”という風にとらえるようになった』と書いてあり、そういう強さとか割り切り方とかある種の悟りは素晴らしいと思いました。


他人の意見ばかり目についてなかなか自分なりの考えが身に付かないんですけど、人の意見や経験から学んだことを耳にするのは勉強になる。


何故私には私なりの意見がないのだろうと考えたのですが、恐らく『きっとこうなんだ』と思ったことを経験していないからだと思う。


設計図はいくらでも書くんだけど、実際に自分の手で作らないから、その設計図が正しいのか否かも解らなければ、完成を目にすることもない。すなわち何も学べないということです。よって自分の考えも定着しない。


楽な生き方と言えばそうですよね。考えなくても経験しなくても他人の意見をなぞってりゃぁいいんだから。


それで道を誤っても、100%自分を責めなくてすむ。どこかで『これは私の意見ではないんだ。』って逃げられるもんね。


それでいいのかって話。


いつも闘ってるのは“天使と悪魔”ではなく“理想像と現実像”


いろいろ考えたけど、私は私自身を評価して認めたいのは勿論、人からも評価されたいし認められたい。必要とされたい。それが社会に生きることだと思った。


よく“自分の好きなことをやっているだけ”と言うけれど、じゃあ何故外に向けて発信するのか?って思う。


本当に自己満足でいいなら部屋の中で一人で楽しんでいればいい。そうしないのはどこかで人と繋がっていたいからじゃないの?必要とされていることを感じたいからじゃないの?


比重がね、違うだけだと思う。自己評価と他者の評価との。


人に必要とされたいという思いが、社会貢献になったり、人助けだったり、楽しませるだったり形を変えて、結果自己満足に繋がるのではないかな。


言っていることが分かりませんが、よっぽどの人間にならん限り私の代わりなんていくらでもいると本気で思っています。家族には口が裂けても言えないけど…。親が泣くから…。


例えそうだとしても、やはり必要とされたいのは嘘じゃない、評価されたい。繋がっていたいよね。


この考えに執着するつもりはないけど、本音だ。


実は、学生の頃にいろいろあったからなんだと思うけど、この考えを抑えて生きてきたんだよね。


一人が好きなのは事実だが、本当は一人でいいなんて本気では思ってないよ。


羨ましく思うことも沢山あるし、人と一緒にいたい時もあるさ。


宮崎駿監督の作品って必ずメインは男女ペアなんだけど、それは人が生きていく上での真実の姿であり、自然な姿なのかもしれない。


それが人それぞれ人生を歩んで行くうちに、なんらかの原因で一人ぼっちになったり、天涯孤独になったりするのかも。


それが悪いと言っているわけではありません。選択の権利は個人にあるわけですから。


私はこれからは少し素直にシンプルに生きていこうと思います。


ま、元々計算して生きられるような器用な人間ではございませんし、素直と言うよりわかりやすい性格なんですけどね。


悟空とケンシロウは永遠の憧れだわ♪






パタンッ(υ人υ)