さて、とにもかくにも、始まってしまったからには僕は書かなくてはいけない。
これは、僕の心の記録と記憶。
「きみはいつ死んでもおかしくない身体だ」と医者に宣告され、
「いつ死ぬか分からないならば、いつ死んでもいいような生き方をしていきます」と宣言した。
少年期のこの体験は、人前で弱みを見せずに生きることを決めさせるには充分過ぎるキッカケだった。
強き者が生き残り、弱きものが敗れ去る。いかに合理的に端的に結果を出すか。
そんな価値基準でしか生きてこれなかった。
全くもって人間らしさがなかった。
そんな自分を変えるキッカケを与えてくれたのが「演劇」だ。
最初は気付かなかった、演劇活動をする上での多大なる恩恵。
人の心を読み取り、汲み取り、感じ取り、人の心を動かし、操り、表現する。
そんな心のやり取りを繰り返すうちに、いつしか自分の心を取り戻せた気がした。
少しだけ、人間に近づけた気がした。
人はロボットじゃない。
合理的に考えたら絶対に間違っていることも、時として選択してしまう生き物だ。
自分のパートナー、仕事、進路、人間関係など。
何より自身の生き方において。
その、時として後悔を伴う様な選択も、自身の心が決めたことだから仕方がない。
その心の動きこそ、人間の最も愚かしい瞬間なんだけれど、同時に愛おしくて、尊くて、最も美しい瞬間だ。
その時の自分の心の「どうして・・?」を、これからも最大限愛していこうとも思う。
いつ死ぬか分からない身体なはずなのに、いまだ生き長らえている身体だ。
その瞬間を迎えるまでは、せめて人間らしく生きてみる。そうしてみる。
本日はお忙しい中、ご来場下さいまして誠にありがとうございます。
僕がこの物語に向き合うのは、大きく言うとこの度で5度目。
その度に、世の中の流れや価値基準は大きく変わり、この作品に対する想いも都度変化を遂げて来ました。
今回はどんな想いを宿してくれるのだろう。
どんな景色を見せてくれるのだろう。
時代の流れは変われども、人の心には普遍の感情があります。
それはとても単純で、気付けば当たり前の様にあるものなんです。
例えるならば、あの太陽の様に。
僕はそう信じます。
そんな普遍の感情をエネルギーに変えて、この船は突き進みます。
もちろん見届けて下さるお客様方への感謝、そして、自分を人間に近づけてくれた「演劇」への愛もたっぷり込めて。
出演者・関係者一同、全身全霊で挑む、
愚かしくも醜くも美しいこの人間賛歌。
愚かしくも醜くも美しいこの勇気の賛歌。
どうぞ最後までごゆっくりお楽しみ下さいませ。
それでは、まもなく。
出航致します。
鈴木洋平