津上研太のブログ

桃李もの言わざれども、下自ら径を成す


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「生徒の会」と称する「宴会」がまたひらかれる。人によっては「発表会」「Student Live」など呼び方は色々だけれど、とにかく年一回の僕のサックスレッスンの生徒さんが一堂に会する日だ。

僕のレッスンはマンツーマン形式でやっている。その方がそれぞれに合ったレッスンができるからだ。
僕はそもそも人に何かを教えるなんて出来ないと思っていた。初めは半ば嫌々やっていた。だから、もちろん発表会なんて絶対にやりたくなかった。だってめんどくさいじゃん。

教室を始めて何年目かに生徒の一人のS氏が
「先生、発表会やりましょうよ。」と言ってきた。

「やだよ。やんないって決めてんだから。」
「やれば、生徒のみんなの横のつながりができますよ。」
「いいよ。やらない。」
「どうしてですか?」
「だってめんどうじゃん」
「なにがですか?」
「ほら、生徒のリスト作ったり、ミュージシャンを頼んだり、会場を押さえたりさ。おれ、そういう事務手続き苦手なんだよ。」
「そんな理由ですか?本当にそれだけの理由ですか?」
「うん。」
「じゃあ、その辺は私がやります。先生は当日来てもらうだけでいいですから」

半ば強引に押し切られた。

「じゃあ、一回だけね。」
「はい!とりあえず一回やりましょう。」

ところが、ふたを開けてみると、ただ行くということだけではすまなかった。

マンツーマンでやっているのでみんなは僕を知っているけれど、生徒同士はほぼ初対面だ。一種異様な空気が漂っている。どうせなら楽しんでもらいたいからいろんな席に顔を出して「どう?楽しんでる?どうよ。楽しい?」と聞き回っていた。
(今となってはもう回数を重ねているのでそんな気苦労はなくなったけどね)

それに生徒と共演してくれるミュージシャンには本当に頭が下がる。とにかく生徒はみんな(どちらかといえば)下手なわけで、SAXのようにフロントが下手(どちらかというと)だとサイドマンはくたびれるものなのだ。
それを約20名分付き合わなくてはならない。しかも本当に雀の涙のギャラで。(再び頭が下がります)
20人が一人10分演奏したらそれだけで200分だ。つまり3時間20分休みなく下手くそ(どちらかというと)なSAXに付き合わなくてはならない。
僕だったら、(空が割れて落ちてこようとも)絶対にそんなオファーは受けない。


生徒にとっては本物のミュージシャンと共演できるチャンスだし、人前で演奏する独特の緊張感を味わうことができる。いわゆる「発表会」だと練習したことをやるだけになってしまいがちだが、ここではミュージシャンと一緒に「共演」するわけだからハプニングも起こる。それがまた良い経験になる。

年に一度の音楽の「場」である。

生徒さんと一口に言ってもいろんな人がいるわけで、(この会ではなにをやっても良いといってある)中には自慢の手品を披露する人や、SAXではなくギターを弾く人、歌う人、はたまた生徒の奥様が歌ったり、チェロを弾いたり、友達を連れてきてその人が歌ったりドラムを叩いたり・・・。まぁ何でもありな会だ。(今年はどうやらサンボーンのコスプレまで登場するらしい)

当初は一回きりと思っていたが(もちろん一回やっちゃうともう止まらない。)なんだかんだで今年で第五回目だ。



このブログをやれやれと進めてくれたO氏とU氏は特に気合いが入っている。このお二方は口だけは達者で(良い意味でですよ)とにかく全てをポジティブに考える。おまけに負けず嫌いだ。(前出のサンボーンのコスプレはこのO氏だ)
頭の中のイメージでは自分たちは一流のミュージシャンで、すぐにでも一流ライブハウス(ブルーノートのような)からオファーが来ると思っている。(思っているなんてもんじゃない。信じ込んでいるようだ)もちろんSAXは上達してきてはいるのだが、ずぶの初心者から始めて数年で彼らの思い描く一流ミュージシャンと肩を並べられるほど上達するわけがない。
しかしながらかれらにとってもこの「会」は紛れもなく音楽の「場」なのである。
とにかく、この「会」を楽しみにしていて、(楽しみを通り越して生き甲斐のようだ)それにむけて一年前---つまり前回の「会」が終わった直後から準備してきたといっても過言ではない。あまりに気合いが入りすぎていらっしゃるので、どうか空回りしないでと願うばかりだ。


毎年感心するのは(O氏とU氏ももちろんだが)ちゃんとみんな上達してきているということだ。歩みは遅いかもしれないが確実に一歩一歩進んでいるのを感じる。そういう姿を見るにつけ、「あー、やってて良かったなぁ」と思うわけだ。

さー。今回はなにが飛び出すのかなー。あんなにやりたくなかったのにいつの間にか楽しみになっている自分がいる。きっかけをくれた幹事長のS氏に感謝しなくちゃな。
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かれこれSAXの教室を始めてから8年くらいになる。今までたくさんの生徒さんが出たり入ったりしてきて多くの人たちとの出会いがあった。(もちろんずっと通ってくれる人もいるけど)
よく「人に教える作業は自分も教わることがある」というけれど(え?いうよね)確かにそれを感じる。

どんな風に吹いたら楽器が鳴るか、響くか。どんな吹き方は良くないのか。力の入れ方はどうか、などなど教えることは多いのだが、その際自分はどんな吹き方をしているのか、どういう風に思って音を出しているのかということを自問自答することになる。

人に教えるということは、自分を見つめることなのだ。

それに、ぼくも教わった経験上、先生の演奏を参考にした。フレーズとか休符とかニュアンスとか。
言い換えれば、僕の演奏が直で生徒さんの参考になっているということだ。だから下手なことはできなくなる。いつでも本気で取りかからないとまずいことになってしまうのだ。
(もちろん、『手を抜く』なんて出来ない。なぜなら『手を抜く』にはそうとうの技術が必要になる。そんな高度なテクニックは持ち合わせていない。)
それに、レッスン代と称してお金をいただいているのだ。失礼なことはできない。

最近、レッスンをしていて一つ気が付いたこと(思い出したことというか)がある。
それは、ある生徒とのレッスン中の出来事だった。

アドリブをしているとき何を考えているか、みたいなことを話ししていた時だ。

アドリブしているとき、実は僕は何も考えていない。それはどういうことかというと、例えば普通におしゃべりしているときに、しゃべる言葉を(フレーズを)いちいち考えたりしないのと同じだ。なんの話題でなんの話しをしたいかは心のどこかにあって、それに向かって言葉を繰り出してゆく。(その場で響いているサウンドややっている曲を聴きながらフレーズを繰り出すということに置き換えられるか。)
そう考えると、しゃべる行為とアドリブはとても良く類似していると思う。

と、そんな話しをしていた。

そのとき急に思い出した。ぼくが高校1年の頃のことをだ。

その頃僕はあまり社交的な子供ではなかった。ひどく人見知りだった。自分のことを誤解されるのを嫌悪していたのだ。(今となっては考えられないけれど。)その時思っていたことは、「言葉なんて信用できない。自分の言いたいことを表現するには言葉では足りない。」
例えば目の見えない人に「赤」を説明してください、と言われたらあなたはどうするか。極論するとそういうことだ。
だから、それをきっかけに言葉を信用しなくなった。所詮自分の言いたいことの数%しか伝わらないのだ。
でも、音は違うぞ。音楽は直接感情に訴えかけてくるものだぞ。とそう思って音楽の世界を志した。

そんなことを思い出したら、またやる気が出てきた。今となってはあの頃ほど言葉を信用していないことはないけれど、今でも音楽は信じている。

こういう自分再発見があるから人との出会いはやめられないのだろう。教わったり気が付かせてもらうことは続くのだ。
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「あなたは、ステージ上で演奏中に何を聴いて(聞いて)いますか?」

という質問を受けたことがある。もうかれこれ7~8年前だ。

その頃、大友良英さんという音楽家とよく演奏させてもらっていた。
大友さんとの共演はとてつもなく刺激的で、いつでも発見に満ちていた。そして結果僕は、とても大きな影響をうけた。
いまでも尊敬する音楽家だ。その大友さんからの質問がこれだった。


「あなたは、ステージ上で演奏中に何を聴いて(聞いて)いますか?」



最近。この質問を思い出して、「今ならどう答えるかな~」なんて思いを巡らしていた。
そこで読み返してみた。
結論としては、あの時に答えたそのまんま、今でもそのように考える。

そこで、許可をいただいてその記事を全文ここに転載したい。
以下の文章は7~8年前に考えていた(そして今でも鮮明にそのように考えている)「ステージ上で何が起こっているか?」ということの(一つの)僕なりの答えだ。



******************************


【大友さんからの質問】
「あなたは、ステージ上で演奏中に何を聴いて(聞いて)いますか?」
 作曲作品、古典、即興、バンドでの演奏等々ではそれぞれ異なるかもしれませんし
 また、ソロの場合と他の人と共演の場合でも異なるかもしれませんので
 個別のケースを書いてくれてもかまいません。また演奏との関連を書いてくれても
 OKです。 答えは漠然とした印象でも具体的なものでも何でもかまいません。
 長さも問いませんので、自由に書いてください。
 「そんなこと考えたこと無い」というような答えでも実感を書いてくだされば無論
 OKです。




【私の答え】
 この質問を受けて、私なりにそのことについて思いをめぐらしました。
音楽は「きく」ということから始まるのだと思います。そして発声発音すると音の集まりは音楽になっていくんですが、その結果、会場全体にどんなことが起こっているかということについて私の考えを以下に書きます。

 私は演奏中に「聞く」と「聴く」という二通りの行為を同時にしています。

1.「聞く」
  演奏中は共演者同士で演奏状態を共有しています。そして演奏の今後を左右する出来事が次から次ぎへと起きています。演奏中はその演奏状態の全体が(全体ということは自分の発する音も含めて)フェアーに(特別なスポットを当てずに)聞こえています。つまり、「聞く」ではなく「聞こえている」または「聞こえてくる」という言い方のほうが近いかもしれません。「聞こえてくる」のはめくるめく沸き起こり刻々と変化する音に表現された出来事です。

2 .「聴く」
 ところがその音音の中で自身のコントロールが利く音は自分の音です。自分の音は自分で決定しています。でも、その直後にどんな音を出すかということについていちいち考えたりはしていません。おしゃべりをしている時に、例えば「あのさぁ」と言葉を発する時に「あ」と発音して「の」と発音して・・・という風にいちいち考えたりしないようにです。では何を根拠に音を発するか?という事ですが、私の場合「内なる音」に耳を傾けます。この行為こそ「聴く」ということです。内なる音に耳を澄まし、それが音楽の衝動となって音を発するのです。内なる音は周りから聞こえている音に強く影響され、かつ流動的で、演奏直後には周りの音に影響していきます。聞こえてくる音と内なる音は互いに密接に繋がっているのです。

3 .「音色」
 音色も自身でコントロールできる要素の一つです。音色は、「聞く」「聴く」というより行為より「感じる」といった方が近いです。極論かもしれませんが、突き詰めると音楽は音色の集合体です。その集合体のなかで自分の音色が何の効果を出しているか、又はどのような影響を周りに与えているか、といったことについて感じています。

4 .「オーディエンス」
 さて、そうして演奏者は内なる音に耳を傾けながら 聞こえてくる音とともにステージ上に存在します。ただしそれはステージ上に限った話で本来はオーディエンスがいて、彼らから発せられるエネルギーもとても重要なファクターになり得ます。そのエネルギーは音ではないので直接は聞くという行為をしていませんが、内なる音に多大な影響を及ぼします。そういう事が顕著に現れるのがデュオやソロなど共演者が一人とか0人の場合です。

5 .「体験」
 「内なる音」と「聞こえてくる」音を「聴き」、「音色」を「感じ」、発声すればそれは演奏状態となり、オーディエンスを巻き込んでエネルギーみたいな物のやりとりが起こると音色の集合体は音楽に昇華します。ここで言うエネルギーとは感情の動きと言い換えることができるでしょうか。音の集合体を耳にした人に、なにかしらの感情が起こるとそれが波のようになって「場」が動き出します。演奏者が発声して、オーディエンスに届き、感情の動きが起こり、演奏者に戻ってきて・・・というサイクルがぐるぐると繰り返され音楽の密度がより濃くなっていきます。私は音楽を演奏したり鑑賞したりする行為は一つの「体験」と考えています。

演奏中になにをききますか?という問いには答えとなっていないのかもしれませんが、私の場合、演奏中は自らが音楽に参加し、同時に体験する中でこれらの行為を同時に行ってたり感じたりしています。

以上です。まったく文章としてはまとまっていませんが、なんとなくストライクゾーンには入っていると思います。


******************************


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僕は、元来飽きっぽい性格だと思う。だと思うと書いたのは、自分のことを自分で評価することなんてできないものであると常々思っているからだ。

子供の頃から、なにかと物事が続かなかった。継続して物事に取り組むということが出来ない子だった。
ピアノ教室、少年野球、モデルガン、カメラ・・・。挙げればキリがないくらい色んなことに興味を持ち、「え?」というほどあっさり手放してきた。

だけど、サックス(を通した音楽)だけは、「辞めたい」と思ったことがない。うつ病で具合の悪い頃は生きることさえ「辞めたい」と思ったのにだ。こんなに飽きっぽい自分が音楽だけは続いている。なぜかはわからない。ただ、辞めたいとは思わないのだ。

音楽は、最高の「趣味」だと思う。(僕の場合、趣味の域を通り越しているけれど。)なにしろ年齢制限も国境も人種も関係ない。(最近なにかと話題になっている「引退」もない。)だれでもずーっと続けれられるのだ。しかも続ければ続けるほど音楽の「深み」を知る。「こうすれば、合格」とか「優勝」とかとは無縁である。ゴールはない。結果もでない。だからこそ一生の「趣味」であり続けられるのだ。

僕が掛けだしだった頃、今は亡き古澤良治郎さんが教えてくれた。「良いミュージシャンになるには、『辞めない』ことなんだよね。だけど、この『辞めない』ことが案外難しいんだよ。ケンタ、おまえそういうこと出来る?」「だけどね、最初に『音楽やりたい!』って思った衝動を忘れなきゃいいんだよ。」と。

辞めちゃうのは簡単だ。辞めちゃえばいいのだ。しかし、いろんな苦難を乗り越えて「続けること」はなかなか難しい。だけど、「辞めたい」と思わないんだから仕方がない。
それは、きっと音楽の持つ「力」なんだと思う。音楽には計り知れない力がある。別に人に勇気を与えられるとかそういうことではなく、なんとも言葉では表現出来ない「魅力」があるのだ。

僕は決して「天才」でも「秀才」でもない。(これだけは間違いない。いくら自分のことを自分で評価することなんてできないとしてもだ)しかし、「辞めない」ことに関しては才能があると思う。
これからもずーっとやり続けて、音楽の更なる「深み」を知りたいと思う。

このブログも辞めないようにしないとね。
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やらなければならないこと。それはもちろん受験を成功させることだった。
母親には「合格したらなにか好きなモノを買ってあげる」という『にんじん』をぶらさげてもらっていた。もちろん、買って欲しいモノはあの渡辺貞夫のレコードだった。

このころの僕は自分の人生について深く考えるようになっていた。まだまだ社会はいわゆる「終身雇用」の社会で、「良い会社に行けば人生安泰。それには良い学歴が必要」というのが通説であった。しかし、この考えにはなぜか僕は疑問を持っていた。「いったい、自分のやりたいことをやらずになにが幸せなのか?エスカレータのような人生で終わりたくない。どんなにきつくても良いからやりたいことをやりたい。死ぬ時に『我が人生に悔い無し』と言えるようになりたい。」というのがこの頃の僕の人生哲学だった。(これは今でもかわらないけれど)どうしてこういう考えが生まれたのか。たぶん他人とは違う事をしたかったのだろう。だから、サラリーマンだけにはなりたくなかった。

だけど、いくらなんでも高校は出ておきたいと思い受験勉強に励んだ。もちろんこういった「決意」は心にしまっていた。もし、「サラリーマンだけにはなりたくない」なんて一言でも言おうなら潰されてしまうほどに、まだまだ僕の夢(決意)は、か弱いものだったのだ。

今でも信じられないんだけど、県内でも難関といわれた県立高校に進学出来た。親は両手放しで喜んだ。

進学した高校でも部活に入部することは「義務」だった。(もちろん幽霊部員も多数いたのだが)
僕はそこで写真部に入った。もともと写真には興味があったし、詳しくは書かなかったけれど写真家になろうと本気で考えていた頃もあった。運動部にも興味があった。だから一年生の時に同じクラスになってやがて親友となったクラスメイトに誘われるがまま、器械体操部にも入った。こうして僕はそれなりに充実した青春時代を過ごすことになる。

だけど、ブラスバンド部にはもう飽き飽きしていた。そもそも、僕のやりたい音楽はフュージョンやジャズだったので、ブラスバンドには興味は湧かなかったし、あのブラスバンド部独特の人間関係に嫌気がさしていた。だからブラスバンドには入らず、音楽の方は自分で何とかしようと考えていた。問題もあった。楽器を持っていないのだ。中学生の時は学校の備品を借りていたし、「楽器を買ってくれ」なんて口が裂けても言い出せなかった。決して安くはないのだ。だから入学したての頃はよく中学校にOB面して行き、サックスを借りて吹いていた。

そんな僕の様子を見ていたのだろう。母親がクリスマスに楽器代を「立て替えて」くれると言い出した。いや、僕からお願いしたのかもしれない。バイトをして分割で返すというのが約束だった。
(ちなみにその約束はいまだに果たされていない。お母さん、ごめんなさい。)
ついにあの渡辺貞夫と同じ「アルトサックス」を我がモノに出来るのだ。これで好きなときに好きなだけサックスが吹ける。もう、有頂天だった。買いに行った日の晩は、そのサックスを抱いて寝た。
高校合格の時に買ってもらった渡辺貞夫のレコードはアドリブソロを歌えるほど聞き込んでいた。あとは自分で上手くなるだけだと思っていた。


だけど、音楽の道はそんなに甘くはなかったのである。

つづく・・・
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ジャズには即興演奏というものがあり、他の音楽とは違い大きくクローズアップされる。
もちろんそれがジャズの醍醐味であり、ジャズという音楽の善し悪しを決定する要素に成りうる。

ぼくもご多分に漏れず、即興演奏(アドリブ)を磨いてきた。
だけど、最近よく思うのだが、ジャズであれクラッシックであれ音楽であることは違いがない。

ジャズ演奏者はアドリブという難関を突破すべく、ありとあらゆる手と知識を導入しそれに挑んでいく。だから、どうしても「アドリブ至上主義」になりがちだ。アドリブが上手くなればそれでよし!といった具合に。

だけど、本当にそれでいいんだろうか?

音楽とはその音が人の心に直接訴える(何かの感情を作り出す)時に生まれるモノだ。音を聞いて何にも感じなければ、それはただの「音」にしか過ぎない。しかしながら「音」の連続が何かの作用によってサウンドやメロディーに聞こえたとき「音」の集合体は「音楽」へと昇華する。
だから、音楽全体をしっかり感じるようにしなければならない。バランスも大切になる。

この考えをしっかり持っていないと、ジャズはただの「上手競争」になりがちだ。

楽器が上手にならないと音楽はできない。しかし、上手になっちゃうと音楽がつまらないものになる。
ついついテクニックに頼って音楽の本質が見えなくなってしまうのだ。だけど、上手にならなくちゃならない。それは音楽上どうしても必要なのだ。

いかに音楽全体を(俯瞰で)見られるか。自分の演奏を(リアルタイムで)他人の演奏を聴くように聴けるか。自分の「音」がどのように環境に作用し影響を与え「音楽」になっているのかいないのかを聴ける心意気がとても大事だと思う。

ってな事はわかっているのだが、結局は「な~んにも考えずに演奏する」ときに良い音楽が生まれるんだと思う。だって、感覚に訴えるものだから感覚でやるしかないのだ。考えても良いことは一つもない。

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運命的出来事はそれだけではなかった。

数日後、今度はTVだった。スティービー・ワンダーの武道館コンサートをTVで放送していた。
もちろんスティービー・ワンダーが誰かなんて知らなかった。
(観ながら姉貴にいろいろ教わったんだと思う)

そのコンサート(たぶんHotter Than Julyのツアーだったと思う)の最後に「Happy Birthday」というマーティン・ルーサー・キング牧師に捧げた曲を演奏した。
そのエンディングに「♪Ha~~ppy~~ Bir~~thday~~」とリフレインしながらスティービー・ワンダーがステージから降りると、満員の客がそのリフレインの大合唱を始めて、アンコールを求めた。しかしアンコールはなく、武道館の客席の電気(その頃は蛍光灯だった)がパッと灯った。
その時に聴きに来ていた客の様子が映し出された。
ほんの一瞬だったのだが、その客の表情が「あ~、終わっちゃうのか~」という感情と「楽しかったぁ~」という感情が入り交じった何とも言えない顔をしていた。その顔を見たとき、またもやあのなんだかわからない涙があふれてきた。
家族に泣いているところを見られるのが恥ずかしかったので自室に駆け込んで、息を殺してむせび泣いた。

「僕は『これ』をやろう!」

どこから湧いて出てきた決意なのかは未だにわからないのだけれど、すでに結論だけは出ていた。
たまたまブラスバンド部の備品であるサックスを家に持ち帰っていた。
蓋を開け、サックスを取り出して、僕は音楽家になるんだと強く強く思った。

すぐにでもサックスを吹きたかった。しかし、僕にはやらなければならないことがあった。受験である。人生には「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の二種類があるんだと思った。時にその二つは相容れないことがあるのだ。

つづく・・・
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「ぼくと、音楽との出会い2」からの続き


その課題曲はたしか「フェリスタス」というタイトルだったと思う。
アルトサックスの高い音の「シ」のロングトーンから始まる曲だった。
この辺りの音域はピッチをとるのが難しい。ちょっとした口の加減で音程がすぐ上がったり下がったりしてしまう。もちろんこちとら中学2年生なので、技術もなければ正しいピッチを聞き取る耳も持ち合わせていない。今考えたらぞっとするようなチャレンジだ。
合奏の練習のときには顧問の先生に「それは高い」「それじゃぁ低い」とそのたびに注意を受けるんだけれど、僕の中ではいわゆる「感」で演奏していたように思う。

そして、いよいよコンクールの本番になった。朝練のあと本番用のリードを選んで市民会館に向かった。そして出番の少し前にリハーサル室でチューニングをしていた。
その時だった。「バリッ」という音とともに本番用のリードが裂けてしまったのだ。制服のどこかに引っかけてしまったようだった。
うら若き少年には、あまりに不幸な出来事だった。
しかたがなく練習用のリードで本番に望むと考えるのが精一杯で、頭は真っ白。本番も良く憶えてない。気が付いたら演奏は終わっていた。結果は勿論参加賞。惨敗だった。

この体験がトラウマとなって、今でもリードを守る為にマウスピースキャップは手放さない。

さて、ブラスバンド部の日々は健やかに過ぎていった。中学3年生になった夏にもう一度コンクールに出て、秋に文化祭があり、そこで3年生は引退となる。そこからはひたすら受験勉強に力を注ぎなさい、というわけだ。
僕もご多分に漏れずせっせと受験に向けて勉強するようになった。このころから深夜ラジオを聴くようになる。なんだか、少し大人になった気分だった。

ある晩秋の土曜日、いつものように深夜勉強していると普段はAM放送を聴いていたのだが、たまたま切り替えスイッチがFMになっていて、そのFM放送からサックスの音が聞こえてきた。その演奏は客らしき大勢の拍手とともに聞こえたから、どこか大きい所でのライブだと思った。それにしても熱い演奏だった。誰かはわからないけれど、こんなにサックスはかっこよくできるのか!!!

雷に打たれたような衝撃を感じた。なんだこれは?気が付くと僕はポロポロと涙を流していた。痛かったり辛かったり悔しかったり悲しかったりの涙は知っていたが、この涙の意味はわからなかった。「なんでオレは泣いているんだ?」「オレがこんなになるなんて、いったいこのサックスは誰なんだ?」たぶんショックだったのだろう。気が付いたときはその番組は終わってしまっていた。今のように番組の内容を調べる手だてが無かった時代だ。だが、そのメロディーは不思議と心に残った。
運命はあちら側から突然やってくる。その翌日の日曜日だった。毎週日曜日に塾に通っていたのだが、その帰り道になぜだかいつもと違うデパートを通り抜ける道を帰っていた時だった。昨夜聴いたのと全く同じ曲がそのデパートのレコード屋から流れてきた。そんな偶然があるだろうか?一日のうちに何曲もかけるだろうレコード屋で、いつもとは違う帰り道で、さらに昨夜たまたま聴いたその曲がその時に流れていたのだ。だいたいレコード屋なんて入ったこともなかった僕はちょっと緊張しながらその店員に「今かかっているのはなんですか?」と質問したことをよく憶えている。すると店員は少し面倒くさそうに僕の肩越しに指を指し「あれですよ」と言った。振り返ると「渡辺貞夫 How's Everything」と書いてあるポスターがそこここに貼ってあった。「今かかっている曲はなんて言う曲ですか?」と尋ねると店員は初めて僕の顔を見て仕事の手を止めた。そしてレコードプレーヤーに顔を埋めて「Sun Dance」とだけ言った。「ありがとうございました」と言った僕は、店員の冷たい態度もなんのその、有頂天で家路に急いだ。

初めて音楽を聴きたいと思った瞬間だった。


つづく・・・
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デートコースの怒濤の二日間が終わった。
フジロックもリキッド・ルームも大変盛り上がった。
演奏も良かったと思う。

デートコースのような大人数の大音量バンドで演奏するときに前々から感じていることなんだけど、力の入れ具合が難しい。
DUOやTRIO、QUARTETなどの小さいバンド(こういう表現が合っているかどうかわからないけれど)では、このところリラックスして演奏できる。音量も音圧もサックスの生音が聞こえる範囲だからだと思う。自分の音が全体のどこにいるのか、どんなサウンドをしているのか、演奏状態にどれくらい影響しているのか、などなどわかりやすいのだ。

しかし、デートコースのような大きいバンドになると、そういった要素がつかみにくい。音量も音圧も比べものにならないし、バンドの人数も多い。そういった環境で、いかに自分を「保つ」か。もっと簡単に言えば、「力まずにいられるか」ということが今の課題だ。
どうしても、生音は聞こえにくいし、自分のプレーが演奏状態に与える影響がわかりにくい。だからついついオーバーワークになってしまう。そうなると良いプレーは望めない。アップアップの状態では演奏状態に入り込めないのだ。

今回、モニタースピーカーの自分のサックスの音量を上げ目にしてもらった。そうすると自分の音が良く聞こえるので、力まずに演奏出来ると考えたからだ。
しかしながら、こんどはみんなの演奏がその分聞こえなくなってしまった。
良いバランスを見つけるのはなかなか難しい。ウェイン・ショーター氏などは(例えばウェザーリポートの時など)どうやってんだろ。



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