Memories

日々のつれづれを綴っていきます。


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今朝の新聞のコラムを読んでいて、20年前と15年前の出産の時のことを思い出したので

書き留めておこうと思います。


20年前に長男を出産の頃はまだ母もギリギリ健在で、当時予定日の1週間前お正月に

なってから実家に帰ったような気がします。

そして予定日から1週間遅れて15日の早朝3時頃に破水。

父の車で30分以上かけて産婦人科へ。

調子のよくなかった母も一緒に車で付き添ってくれました。

で、なんとそれから22時間も苦しんでやっと出産。


ちなみに夫は出張で東京にいて、私が苦しんでいた頃、親戚の家でラグビーの日本選手権

を観ながら飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしていたらしい。。。


それはともかくも、実は不運にも長男が生まれたまさにその日、母の最後の転移の兆候が

見られて、私は産後そのことが心配で心配で自分のことどころではなかったです。

それでも母は毎日病院に来てくれて、退院してからも我家へ来てできる限りのことをしてくれました。


が、私は母の病状の方が心配で結局は動き回ることになり、産後あっという間にもとの体重

よりも痩せてしまいました。育児の合間に病人の心配・・・という二重の心労だったなぁと今と

なれば思います。

しかしこんなときにオトコというのは全く役に立たなかった・・・(以下自粛)


そして母が私のところに居る間、とうとう父が秘密兵器の人を連れてきてしまったのでした。

最後の手として考えていた人らしく、父も相当悩んだのでしょう。

県北のとあるおじいさんで、その人の調合するナニやら奇妙な液体をカラダに塗ると、

死にそうな人も蘇ると当時話題になっていた方。(本当の話です)

それを母にも試してみたのです。

2回位いらしたでしょうか。


ソレが不思議なことに、GW頃には母は長男をベビーカーに乗せて散歩できるほど元気に

なったのです。

そしてその勢いで、兄の結婚式で東京にも行きました!

しかしその後ガタガタと崩れ落ちるように悪くなり、母は8月上旬に亡き人になってしまいましたが、

今思えば、兄の結婚式までは・・・という気力だけで生きていたのかもしれません。


でももしかしたら、その怪しいおじいさんのおかげもちょっとはあったのかも?(笑)

その効果を感じたときもあったので・・・。

(でもそのおじいさんはのちに逮捕されてしまいました。。。)



そんなこんなで、長男が生まれてから半年位は、育児どころではなく母のことで頭が一杯で、

初めての育児を楽しむ余裕とは程遠いところにいました。


その5年後、次男を出産することになり、今度は育児を楽しめるだろうかと期待していたのです

が、母亡き後の妊娠・出産というのはとても心細く、改めて長男の時半病人でもいてくれたと

いうことがどれだけ自分の支えになったのかを痛感したのでした。


本当に親というのは、生きていてくれるだけでイイ!と思います。

外国に住んでいても、寝たきりでも、いてくれて会話ができたらそれだけで。


そして次男が生まれるときには、人の手を借りられない焦りでいっぱいでした。

8月12日予定日だったのですが、念じて念じて長男の夏休みが始まったら生まれて欲しい~~

と思っていたら、なんと7月28日に破水。そのとき本当に神様はいるんだ!と思いました。

床下収納庫をうんこらしょっと持ち上げた瞬間の出来事でした!(笑)

その後長男を連れてタクシーで病院へ。

長男を義父母のところへ預ける為、義父母の家に電話して病院に来てもらうことに。

その日、実は長男が熱っぽくて、午前中に小児科へ行った際そこで会った知り合いに、

「何だか今日はカラダが変なのよね~まさか今日生まれたりして~。」

なんて冗談を言っていたのでした。


そして長男は、その日から私が退院する日まで6日間ずーっと熱を出しっぱなしだったのです。

退院の日、一回り痩せて青白い顔で私の元に駆け寄ってきたのを見て、とても不憫で切なくて

かわいそうなことをしたなぁと今でも懐かしく切なく思い出されます。


そういえば次男の出産の時も、夫は出張でした。(笑)

真夜中に一度出張先から病院に来てくれたのですが、痛みと戦う私にとって夫は不要でしたので、

出張先に戻るよう私に追い出されました。

(女の勝負の時にはオトコは不要。我家には立会い出産はありえませんでした)


その後退院して自宅に戻り、父の後妻さんが時々手伝いに来てくれました。

が、、、、それが私にとってとてもストレスになり、産後ものすごく痩せてしまい、

更に大出血を繰り返し。

入院には至りませんでしたが、本当に辛かった日々でした。


そんな中救われるかのように、長男の幼稚園時代のお友達がお惣菜を作って持ってきて

くれたり、ご近所の方が差し入れをしてくれたり、本当に助けていただきました。

もちろん父の奥さんにも感謝していますよ。

それを素直に受け入れられなかった私自身が未熟だったのかもしれないなぁと今となれば

思います。


長男の幼稚園が始まった時、何事もなかったかのように長男の送り迎えをする私を見た人

たちがびっくりしていた姿が今でも思い出されます。(笑)

「えー?いつのまに生まれたのー?」って。

(次男は家に寝かせたまま送り迎えをしていた・・・今だから言えること)


もし将来わが息子が結婚して子どもが生まれたら、

私は望まれたら家事でも子守でもなんでもしますけど、押し売りは絶対しないと決めています。

産後の女性のココロとカラダはとてもナイーブです。

どんなに優しいお姑さんでも、うまくいかない時があると思うんです。

そのときはやっぱり実のお母さんの出番だと心から思います。

世の娘を持つオカアサンたちは、娘の妊娠出産が終わるまでは健康で元気でいなくては

いけませんよーーー!!私のような思いをさせてはいけませんよー!


今思うと、がんばってもう1人生んで子育てをしたかったなぁと。

子どもをかわいいと思って子育てしてみたかった。

うちの息子たちの子育ては、かわいいと思う暇なく過ぎていき、それ以前に自分自身が未熟

だったと反省ばかり。夫に対する不満もその頃がピークだったかもしれない。

今になると本当に夫にも申しわけなかったなぁと思います。


今日自分の誕生日を迎え、子ども達への思い、夫への思い、父母への思い、義父母への思い、

などなどいろんな思いが湧き上がっています。

いろいろ不満だったり不幸だと思い込んでいたり、そう思っていたことはそうではなく単に自分自身

のための試練だったんだな、と今となれば実感できます。


何事も考え方ひとつ。

物事を良くするのは自分の考え方次第。

そして人に対して感謝できる人になれるかどうか。


20年位かかってやっと人並みの考え方ができるようになってきたでしょうか。

45歳過ぎてようやく大人になれたようなそんな感じです。

これからは年相応の大人の女性として切磋琢磨していけたらなぁと思います。



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今年の元旦に、久々に実家に行ってきました。

新年の挨拶と、もう一つしなくてはならないことがあったからです。


それは、母の和ダンスの着物の整理です。

父は母の3回忌の頃に新しい奥さん(私と一回りしか違わない)と

再婚して別のところに住んでいて、今は父母の部屋は空き部屋に

なっているのですが、そこにある母の和箪笥を20年近く放置して

いたため、古い着物何着かにカビが生えてしまいました。(箪笥の下の段)

それで父の奥さんが2年前にそれらをクリーニングに出して箪笥の整理を

してくれていました。

その際、

「あなたが手をつけないとこのままだろうから来て好きなもの全部もって

行きなさい。」と言われていました。

でも、兄嫁に気を遣うところもあり、なかなか2年間行くにも行けずままならなくて。


でも、今回思い立って意を決して行き、兄嫁と一緒に箪笥の整理をして

きました。


比較的新しい着物や喪服・留袖;コートなどは、兄嫁に置いて

私はその他の昔の母がよく着た古い着物を持ち帰ってきました。

自分では着ないかもしれないけれど、いつかなんらかのカタチで

生かせるかもしれないなと思って。


兄嫁に置いてきた理由は、やっぱり着て欲しいという思いがあったから。

兄嫁が持っていないから、とかそういう理由ではなくて、母の着物を着て

欲しかったんです。

ちょうど母が着ていた頃の年代になった兄嫁に、

母の遺志をちょっぴりでも受け継いで欲しいという思いと、兄に対しての思いと。

兄はきっと妻が母の着物を着たら嬉しいと思うから。


そして、兄嫁や途中から加わった姪と和気藹々と着物の整理をしていた

ところ、引き出しに写真が数枚しまわれているのを見つけました。


そこには、2番目の兄の結納の時の写真などが。

東京のホテルで撮られた写真の数々・・・初めて目にした写真でした。

母が亡くなる1年前の写真です。

すでにこの頃はもうカラダも良くなかったこともあり、仏様のような顔で写って

いるのに驚きましたが・・・。


他には、孫達の赤ちゃんの写真。

これは恐らく居間に置かれている兄嫁が作ったアルバムからこっそり抜いた

ものだと思われ。。。


他にも私の妊娠中の写真や我家が新築の時の写真、祖母と長男の浴衣姿の写真、

そして東京で兄の結納前に着物姿で靖国神社にお参りに行った写真。

このときも2人でお参りに行ってたんだ・・・と思うと涙が止まりませんでした。

母の父親(私の祖父)は、戦争で亡くなり靖国神社に奉られていると聞いていて、

いつも上京の際にはお参りに出かけていたようです。

(実は私は最近まで知りませんでした・・・)


私がずーっと知らなかったことが、今頃写真を通して知ることになったのです。

20年も経ってしまってから、当時に記憶が引き戻されましたが、もうずいぶん

前のことなのですよね。


亡くなって20年も経つのに、また記憶の彼方から引き戻され故人を想うことと

なった今年の始まり。

何か意味があるのでしょうか。


そうしているうちに、私は母の亡くなった年にどんどん近づいて行きます。

もう少しちゃんとした大人の考え方ができる落ち着いた人になりたいけれど、

なかなかまだまだ・・・。


次男の卒業式には、母が選んでくれた紋付の色無地を着て行こうと思っています。

それは短大の卒業式で袴と一緒にに着た着物です。

明日も友人宅の着付け教室で着る練習をします。

着物も帯もちょっと若すぎるかな?(笑)

(画像は久しぶりに袖を通して先生に手伝ってもらいながらのヘタクソな着付け)



Memories-紋付色無地



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Memories-平岡さん
先日ぶらりと入った展示会で、作家の平岡素子 さんのシルクスクリーンプリントされた

タペストリーを見つけて、ココロが踊ってしまい思わず購入してしまいました。

まだ下げる場所が決まらないので、とりあえず電子ピアノの上にパラりとかけてみました。


展示会でみた瞬間、ビビッときたのです。

柄のやさしさ、色合いが好み、そして布地の柔らかさにも魅せられました。

その場で、「これは販売していただけますか?」と尋ねてしまったのでした。

(OKいただきましてラッキー!)


元々布にこだわりがあります。

今も本当は、こだわりの布を刺したい気持ちでいっぱいなのですが、なかなか時間が

持てなくて。


今年の目標は、やりかけたリネンのランチョンマットを6枚縫いあげることです。

この平岡さんの布は、ランチョンマットの模様のヒントにもなりました。

(ブティの手法で作ります)



さてさて、画像にもあるように、

最近私がはまっていることの一つに、アロマキャンドルを灯すことがあります。

今までは、アロマがすでに入っているキャンドルを購入していましたが、最近は

自分で精油をブレンドしてその時々の気分で香りを使い分けるようになりました。

子どもらも結構楽しんでいるみたいなので、いろいろ香りを使い分けられるように

なるのも今年の目標の一つです!

しかし、キャンドルの消費がままならず、そろそろ仕入れにいかなくてはなりません!

みつろうキャンドルにはまったら、もうこれでなくては・・・となってしまいました。


長い北国の冬のお楽しみとしてのアロマもいいものですね。

そして、心くすぐられる布の作品もまた、気持ち楽しい冬のアイテムになってくれ

そうです。


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