李栄薫氏 ソウル大学教授
「我々は1970年代、国定教科書体制として切り替えながら、
『仮想の歴史』を作って来た。旧韓国末期に対する歴史歪曲も深刻で、
日本の帝国主義時代の歪曲も厳重だ。
このような事を何らの検証無しで教科書に書いているのだ。
これはあきらかな反知性だ」
朴承復氏 センピョ醤油会社会長
「横尾先生に私は何故か特別に可愛がってもらいました。
商業美術の先生で、授業時間以外にも個人的にもよく教えて下さいました。
いろいろな相談にものっていただいた大恩師です。
戦後韓国の大統領もみな、来日した折に昔の日本の恩師を訪れていますね。殖産銀行に勤めて数年たってから給料袋に100円札が入っていた時には、
本当にうれしかったですねえ。
一般の人では100円札はそうそう見ることができなかったですから。
日本人、朝鮮人の差別なく公平で、本当に真面目に仕事がよく出来て
能率の高い人にたくさん支払われていました。
殖産銀行に勤めていた時代は、まさしく夢のような時代でした。
最高の待遇を受けていたので、
終戦に至るまで生活に困ったことはありません。
大東亜戦争がおきると日本人は次々に軍に徴用、つまり徴兵されました。
自分にも赤紙が来たんです。それを知った滝支店長が怒って、
知事に対して抗議をし、徴用を撤回させたんです。
自分にとっては一生の恩人です」
呉善花氏 評論家
「母はまた、日本人はみんな親切で、道に迷って「駅はどこですか」と
尋ねたりすれば、老若男女だれもがとても丁寧に教えてくれると言っていた。
親以外のまわりの大人たちから聞かされた話もまた、
日本に対して悪い印象を語ったものはほとんどなかった。
従兄弟の一人は、当時のことを鮮明に覚えていて、
私に次のように語ってくれた。『日本人の同級生とはとても仲良くしていたし、
差別ということはまったくなかった。学校以外でも日本人はみんなやさしくしてくれた。死ぬまでになんとかもう一度日本に行って、あのころの日本人の友人たちに会いたい』」
「日本統治時代に生活していた韓国のお年寄りには、
日本人に悪感情を抱いている人は圧倒的に少ないと言えます。
例えば『学校での生活はどうでしたか?』と聞いて大部分の人が
日本人の先生にいい先生が多かった。といいます。
それに敗戦後、日本人が日本に帰る時に、日本人に対する
暴動も起きなければ略奪行為もほとんど起こっていないのです。
私が韓国にいた間、昨今言われるような『従軍慰安婦』の話を
いっさい耳にしたことがなかった意味がようやくわかったと思いました」
朴鉄柱氏 韓日文化研究所
「日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、
アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
日本の戦争こそ、聖なる戦争であった」
朱耀翰氏 韓国元国会議員
「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき
これに反対し削除したのはどこの国だ?
黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせず
アフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?
しかし君らの悪運はもはや尽きた。
一億同胞なかんずく半島の二千四百万は
渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている」
金完燮氏 評論家
「日本の統治により朝鮮は多大な発展をとげた。
30年余りの間に1000万足らずだった人口が2500万に増え、
平均寿命は24才から45才に伸び、
未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに
近代的な資本主義社会へと変貌した。
日本人は朝鮮と台湾を統治するにあたって
おおむね本土の人間と同じ境遇を与えた。
特に朝鮮に対しては大陸の入り口という地政学上の重要性の為に
むしろ本土以上の投資を行い、
産業施設を誘致するなど破格の扱いを与えたのである」
金満哲氏 評論家
「韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって
成し遂げられたものである。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのに
アメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ」