その無形のようで、有形なるもの | 爆風銃 - BOP GUN -

爆風銃 - BOP GUN -

伝説のNo.1 Funk Band「爆風銃(Bop Gun)」
惜しまれつつも、1983年に活動を休止した。
再活動を望むファンのための応援ブログである。

不思議なもので、若さとは、その目標に対する思いが強ければ強いほど、仲間を傷つけ、傷つけられるという、失敗をしてしまう。
私もその例外ではなく、今考えれば、「もっと、こういう手段もああいう手段もあったな」と後悔してきた。
経験則がないということは、たしかに得るものもあるが、失いたくなくても失ってしまうことのほうが多い。
爆風銃もその例外ではない。メンバーひとり一人の強い思いを乗せて船出はしたが、結局難破してしまった。

歴史に「もし?」はないと言われるが、もし爆風銃がメジャーデビューしていたら、今回のようなスーパーセッションは実現しなかったかもしれない。多くの人々に晒されることにより、個性の強い6人は、もっとぶつかり合い、もっと傷つけあっていたかもしれない。
しかし、幸運なことに爆風銃が世間に認知されなかったお陰で、その楽曲のすべての評価は、これからの時代に受け継がれた。夢には続きがあったのだ。

現在のメンバーたちの多くは、爆風銃から別れ、音楽業界で日本屈指の音楽家に成長した。しかし、彼らがどんなに優秀であっても、例えばファンキー末吉が他に素晴らしいミュージシャンをメンバーに配したとしても、爆風銃を名乗ることはできない。
それはファンが絶対に認めないからだ。
やはり、最終型のメンバーが集まらなければ、爆風銃ではない。爆風銃の曲をいくら演奏してでもだ。

「この無形のようで、有形なるもの」は、まるで生き物のように存在する。
人間でいうそれぞれの部位をメンバーたちが形成している。どこ一つ欠けても人間でないように、爆風銃もどこ一つかけることはできない。
一度は死んだ人間が、科学技術のお陰で再生することは不可能ではない時代を迎えようとしている。
爆風銃もまさに冷凍保存され、28年の歳月を経て、解凍され蘇ろうとしている。

今のメンバーを見ると、それぞれが音楽を愛し、純粋であるが故に、不器用に音楽を続けている。
実は、僕はファンキー末吉という人間は、爆風スランプで成功した後、つんくや小室哲也のような存在になるのではと思っていた。しかし、彼は日本の音楽業界ではなく、中国へと旅立った。
ファンキー末吉は、あるインタビューの中で『ちょうど「イーストウェスト」から10年経ったときで、まあまあ成功してお金持ちにもなって。でも、何かを置き忘れてきていると感じていたときだったんです。田舎モンで、「イーストウェスト」だけが夢で、東京に出て来て、グランプリを取ってから、どんどん変わっていって。グランプリを取るまでの僕は、田舎から来た友達もいない1人のミュージシャンが、「本当にプロになっていくんだ!」という思いだけ抱えてやっていた。そういう時の気持ちが中国のバンドから伝わって来て、なにか懐かしかったんですよ。自分の10年前を見ているようで。』と答えている。

あの鮮烈な青春時代!
誰もが味わうことのできない喜びと挫折。
彼は不器用にドラマーを続けている。僕の予想を裏切って、売れっ子プロデューサーにはならなかった。いや、ならなかったからこそ、こうして一緒にプレイできるのかもしれない。

世の中は変わった。
でも、メンバーひとり一人の心は変わっていない。帰るべき故郷がある。そして、その故郷には、メンバーを向かい入れる多くの人々が、その帰りを待っている。

夢の第2幕が始まろうとしている。今度はどんなエンディングを迎えるのでしょうか?
ワクワクしませんか?(笑)