堺屋太一『豊臣秀長、ある補佐役の生涯・上巻』のまとめ | 朝礼・商談・接待のネタ帳!ビジネス書を超読み解く

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いつも仕事が忙しいビジネスパーソンへ。本を読む時間のない人向けとして私が読んだビジネス書を解説をしています。

※要旨



・豊臣秀長が果たした功績は非常に大きく、握った権限は著しく強かった。

彼は、116万石の大封を得、従二位権大納言の高位に至り、

天下の政の中枢に深く関わり、百戦不敗の武功を誇り得た。



・秀長は、単に「太閤の弟」という縁だけで出世したのではない。

その才能と人格の高さ、豊臣政権の樹立と維持に果たした貢献の大きさについては、

全ての歴史家が等しく認めるところだ。



・彼は、豊臣家という軍事・政治集団の中でナンバー2の地位にあった。

秀長は豊臣家の外的発展と内部調整において多大な功績を残した。



・豊臣秀吉が足軽の組頭であったころ、秀長は兄を補佐した。

彼が精を出したのは、喧嘩・揉め事の仲裁だった。

苦情処理と揉め事の仲裁は、生涯、彼の最も得意としたところである。



・織田信長の身辺で小まめな忠誠に続く秀吉の功名は、

情報収集とそれを基礎とした調略活動である。

秀吉の情報・調略活動が最初にあげた顕在的な成果は、

「野武士」蜂須賀小六一党の懐柔である。



・壮烈な覇気と行動力を持つ織田信長には、緻密で辛抱強い一面もあった。



・滝川一益は、秀吉が美濃攻略でしている仕事の全てを、北伊勢で大規模にやっている。

つまり情報収集、調略、拠点の守備、そして前線司令官だ。

その上、この男には特殊技能がある。

鉄砲というものを巧みに操るのだ。



・信長は自分の三男・信孝を、北伊勢の名門である神戸家に養子として押し込み、

次いで神戸具盛を隠居させて信孝に家督を継がせた。

つまり神戸家を滅ぼして所領を奪うのではなく、所領もろとも神戸家そのものを乗っ取ったわけだ。

中小豪族が多数分立している伊勢を治めるには、名族・神戸の名を利用するほうが、有利と判断したのだ。



・外交では卑屈なまでに謙った織田信長だが、その意気は高く、

心に定めた未来図はきわめて斬新かつ明確だ。

戦国の英雄豪傑は数多いといえども、信長ほどはっきりとわが求める天下のビジョンを示した者は他にいない。



・織田信長は一瞬も休まない。

彼はまず、膨らんだ財政収入を利用して、各地の復興に着手した。

なかでも力を注いだのは宮中の造営である。



※コメント

やはり戦国時代はおもしろい。

信長、秀吉、秀長、家康と個性あふれる登場人物がたくさん出てくる。

そしてそれらをもり立てる数々の武将が、これでもかというほどわんさか出てくる。

彼らの伝記を読むだけでも一苦労だが、これがまた面白く、勉強になる。



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