平成15年2月5日、退院の次の日、母は調子が芳しくありませんでした。

点滴が終わると、顔を拭くタオルでいつも気持ちいいと連発しました。

しかし今日はタオルをいらないと言います。

朝食もほしがりませんでした。結局、昼頃まで寝つづけ昼食も食べませんでした。

最近はこういうことが少なかったのでさすがに私も心配になりました。

母は「昨日、病院に行ってから帰るまで随分待ったから疲れたかな?なにもすることなかったし、だらだら待つだけだったから。」と言いました。

母は自宅では母なりに役割があり責任も持って動こうとしています

動けなくても孫のことで私に助言したり、掃除はここをもっと綺麗にとか自分が食べなくても食事の内容を一緒に決めたりします

確かに、私自身病院の椅子に朝から晩まで座ると次の日は決まって腰痛です。昨日も結局10時についてから退院まで5時間30分、一つのことが済むまで看護師が代わるとまた一からの伝言ゲームになりました。

 今の病院のシステムでは仕方ないのかもと思いながら、退院の余波が次の日まで続くとは思いませんでした。

自分が看護師ながら、もし母が亡くなったらまた看護師として働けるだろうか心配でした。

患者・家族の主体ではなく、病院のシステムに流されたり、クールな人間になったりしていつしか医療者主体の看護師にならないか…。自信をなくした日でした。

 

今日も夜10時から高カロリー輸液を始めました。その後私は台所の片付けや明日のお米を洗ったりしていました。

母は、「いつもごめんね。遅くまで大変。」と言います

私は心の中で思いました。

今までずっとお母さんがしてたやん。無理させてたのは私。本当にごめんね。』と。

主人、私、息子Tは阪神・淡路大震災で両親が自宅を再建したので一緒に住むようになりました。私が働いていたので息子の朗史の保育所の送迎は母がしてくれました。病院通いも母でした。

私達家族のせいで両親が病気になったのではと思ってしまうのです

だから、母の介護は私が最期までどうしてもやり遂げたいと思います。今母を看ないと一生後悔するでしょう。もう病院に入院することはないので、自分に言い聞かせました

『在宅が終わるときは母が亡くなった時。毎日母のしたいように私が支えよう。』と。