入院前と入院中は、どうしても休まないといけない時は年次休暇と看護休暇を取得していました。看護休暇は有給ですが1年で10日のみでした。

正直言うと入院中から介護休暇を取得して休みたかったのですが介護休暇は在宅が対象であり、又社会人としてはそうそう自分の都合ばかりで休むことはできませんでした。日々同僚達が、特に主任のA看護師とT看護師はいつも励ましてくれていました。

 退院で、すなわち在宅で様子を見ることになった時、I看護長は心良く介護休暇にゴーサインを出してくれました。緊張しながら行った看護部長は

「お母さんのことをしっかりみてあげてね。それがあなたに今できることよ。」

と言ってくれました。

この休暇を取得するということは、今度復帰する時は母の死を意味します。又は期間の六ヶ月を過ぎても母が生きていたら、自分が今度は退職して母を看ないといけない事とも意味するのです。複雑な気持を持ちながら、やらなけばならない仕事を済ませました。しかし、自分が関わりを持っている患者・家族の方達に暫く関われないことがとても寂しく、又中途半端な事をしているようで辛い気持を持ちました。そして自分が関わりを持っている患者・家族の人達に何も言わないまま休暇に入ることは当然ですが、本当は私としては長期の休みに入ることをちゃんと言いたかったのです。(何も言わなくて休暇を取って当然という表現は誤解を生むかもしれませんが、自分のプライベートな理由を患者・家族の方々に説明して休むということは出来ないという事です。)

 介護休暇のためのもろもろの書類も済ませ11月29日から残りの看護休暇を取得し、12月5日から介護休暇に移行しました。母は私が介護休暇を取得することにとても驚いて途端に元気がなくなりました。なぜなら、父の時は状態がかなり悪くなってから取得したので自分がそんなに悪いのかと思ったようです。私自身は、下血や体力的な事、抗癌剤を使用してない事で決して元気で帰るわけではないと考えていたのですが、母自身としてはそれほどと考えていたようです。そういう訳で退院は母にとって嬉しい反面、複雑な気持ちでもあったようです。私は母には隠さず言っているつもりでしたが、時として母の性格や医療者とそうでない違いがあると思うのですが解釈の違いでドキッと思うことがありました。

 腫瘍マーカーという各癌の指標があります。必ず数値が大きくなるから癌が進行しているとは限りませんが、母はずっと低地でした。しかし11月頃から数値はどんどん上昇していきました。抗がん剤を辞めてからすぐのことでした。今後、在宅で看ながらどういう方向へ向かうのか、私の中ではすでに在宅ホスピスと考えていましたが、希望があるなら抗癌剤治療も考えていました。母は特にそうだったと思います。こんな私で母をちゃんと看ていけるか不安がないわけではありませんでした。しかし、もう始まっているこの状況から逃れることはできるわけでなく、自分の最大限の力を出すしかありませんでした。反面、母を在宅で看れることは嬉しかったのです。次回のS病院受診は、12月6日の大腸カメラで後日診察予約が入っていました。

※胃がんが判明する4ヶ月前。息子の保育所の卒園式で。亡くなった時は体重がこの時の半分だった。