あの阪神淡路大震災後、自宅が再建したわずか3年で父が白血病で亡くなりました。主治医・数人の看護師と上手く関係が持てず父の死を受け入れることが出来ませんでした。
その2年後母が胃癌になり母の強い希望で最期は在宅ホスピスとして娘の私が自宅で点滴・麻薬の管理をしながら平成15年3月4日家族に看取られながらこの世を去りました。
確かに両親供が亡くなったことは悲しいことでしたが、母の時は素晴らしい開業医に恵まれました。患者・家族主体そして痛みを無くす医療に重点を置き、母は最期まで患者ではなく一人の人間として自宅で役割を持つ日々を過ごすことが出来ました。
在宅で病気の人間が生活を送ることは家族の協力なくしては実現しません。けっして感動的なことばかりではありません。しかし、死という最期の一瞬の場所を選択することで人間が人間らしく過ごし最期を迎えれる選択があることを少しでも多くの人に知ってもらいたいと思いこのブログの開設に至りました。
この3月に看護師生活14年に一旦ピリオドを打ちました。暫くは現場ではなくこのブログから沢山の人に‘自分の死’について考えて頂ければ、そして在宅で最期を看取るために奔走している医師・看護師がいることも知ってほしいと思います。
- 野木 裕子
- 「ホスピス」という選択