先週行った出雲大社で、さざれ石のいわおと逢った。


今、出た。-さざれ石のいわお

出雲大社にあるんだけど、こいつは元々揖斐川にいたらしい。
(そう言ったらぎーの奴に「いびがわからない」と言われてしまったが)


そういや、
出雲大社に着く前に渡った、ヤマタノオロチの血で赤く染まった川の名前が斐伊川だったな。
何か関係あんのかな?

知らね知らね。
どうでもええ。
明日も走るぞ。


さざれ石のいわお君の活躍
最近加齢のせいか、節電で暗いのに慣れたのもあってか、
薄暗い中で漢字を読む時「形で適当に認識して」よく間違える。

先週も生協の箱を開けてしまっていると、
「磯レーズン」という袋を発見。
「お、ずいぶん渋いもの頼むじゃん。
塩辛いのかな?」 ワクワク…




今、出た。



えー、話は変わってだ、

近所の家電量販店で買い物した。
ここは以前コー●ンがあった頃はよく通ったものだ。
今の店に変わってからも洗濯機を買ったり最初はよく使っていたが、
最近は豊洲のノ●マに行く方が多くなってた。

それにしても、いつ以来だろう?

ポイント切れてないかな??

どれどれ??

ポイントカードの日付を見て愕然とした。

「2008年11月…」

なんかまるで、ボーっとしたままあっという間に3年間が経ってしまったような錯覚に襲われて、とてもたそがれてしまった私でした。


今、出た。


写真は更新後。
今度は切らさないぞ!


今、出た。


クリスマスカードを刷るために、インクの詰め替えをした。
今使ってるブラザーのプリンターは、家にあった新しい方のプリンターと同型を、
年始にオークションで980円で手に入れたもの。
さらにこれに、200ml1000円の詰め替えインクを入れて使ってる。
コストパフォーマンス抜群である。

ただ、詰め替え作業の際に、手や服や、気をつけないと周りも、インク色に染めてしまうのだ。
だがここで、素晴らしい作業着があるのに気付いた。


マラソンシャツ!!

大会に出るたびに増える、通気性はいいけどデザインも日常着にもちょっとな…なシャツの数々だが、
こういった作業にはうってつけではないか。

ほれ、きれいに染まったぜ!


今、出た。


今、出た。-土佐の漁師のたれ


ここで問題なのは、

1)「土佐の漁師でできたたれ」なのか、

それとも、
2)「土佐の漁師にかけるたれ」なのか、
である。

どっちなん、はっきりせいや! である。

ちなみに私は昨日、
これをマグロのたたきにかけて食ったので、

1)ならば人道上問題であり、
2)ならば用法に誤りがあった、
ということになる。


最近は小難しいことばかり考えて、肩が凝ってしまいます。
湾岸WITメルマガ
2009/8/6━━┛
☆☆☆

8月。
今年も平和を考える月がやってきました。

皆さんこんばんは。
ニコちゃんです。

****

稽古場に遊びに来ませんか?

夏休みの間、ちょっとさびしくなるので、稽古場が賑わってくれるととても嬉しいです。

毎週日曜日、18:30~21:15まで、門前仲町の富岡区民館でやってます。

「ちょっと寄ってみるか」

http://park10.wakwak.com/~wittokyo/m/keikoba.html

****

■4
演劇とは何か?
何のためにあるのか?

はじめに、おたよりの紹介。

****

自分は、毎日キャベツをつまみにビールを飲むのが、最高の幸せ。

だから、キャベツ畑を見るのが好きなんですよ。
キャベツ畑、食べる人はいい人だろう。
キャベツ畑、作った人もいい人だろう。

そう、自分の中では、キャベツ畑とWITがイコールかな。

それと、宮沢賢治の『農民芸術家概論』とてんこさんが重なるんですよ。

毎日、子どもに稽古付けてもらっていますよ、なんて平気で言われたら、
参りましたとしか言いようがありません。

****

ありがとうございます。

キャベツの美味しさ、実は大人になるまであまりわからなかった。
白菜よりレタスより、匂いがあるし、どちらかと言うと使いづらい食材でした。

この認識こそが、知らなかったって証明ですが(笑)

キャベツがすごく美味いんだって気づいたのは、広島でお好み焼きを食べてから。
じっくり蒸されたキャベツが、甘くてやわらかくて、でも独特の歯ごたえがあって…
「キャベツってこんななんだ…」って。


さて、本題に戻ります。

演劇とは何か。
mixiの演劇関係のコミュとか見ても、

「芸術か娯楽か」
「お客様の満足が、どうたら」って話ばっかりで、

「え?何の商売の話?」

思わず目を疑ってしまいました。
求めている答はその中には見つからず。


「演劇は、運動である。」


私はそう認識している。


それが人々に警鐘を鳴らすものであれ、
世の理不尽を告発するものであれ、
新しい世界を築いていこう!というものであれ、
収穫祝であれ、
伝統を継承するものであれ、
村おこし、町おこしであれ、

演劇・芝居というものは、
今までも、そしてこれからも、運動であると。


「運動とは」
平たく言うとどういうことか?

「運動」というと、カッコつきで語られる、ごく一部の組織的なものを連想しがちで、
多くの人はそれで引いてしまいがちだが、
本来限られた狭いものではなく、私たち人間が誰でも関われることである。


「運動とは、運命を動かしていくことである。」

私たち自身や、住む街や国や職場、などなどの運命を、自分の手でつかんでいくことだ。


人々を意のままに操りたい金や権力を持つ偉い奴らは、
そんなことされまくるのは嬉しくない。

だから、何かにかこつけて、規制を加えたり、変質させたり、
提灯持ちに仕立てようと手を伸ばしてくるが、

負けないぜ!


「演劇の果たすべき役割って何だ?」


人間が人間であり続けること、
あるいはそれを取り戻すこと、
そのために演劇はある。


私が生まれてくる前、日本に戦争があった。

この国を、二度と戦争にしてはならない。

わが町を、二度と戦火に晒してはならない。

人々を、未来を背負う子どもたちを、二度と戦場に送ってはならない。

そういった思いの中から、戦後の演劇は出発したはずだ。

忘れてはならないことだ。


私たちの住む日本は、民衆が自ら独立や民主化を勝ち取った国ではない。

だから常に誰かが、意識して声を上げていかないと、強い者に絡め取られてしまう。


戦争が起きるのは、それで儲かる奴がいるからだ。

そいつらに煽られて、踊らされてはいけない。

今や金の亡者たちは世界中を荒らし尽くし、
その収奪の波は日本にまで襲い掛かり、
地方から都市へ、都市からどこの国かもわからない闇へ、
われらの血と汗と涙を吸い上げていく。

人々をただ希望なく漕ぎ続け、疲れて休めば棄てられるラットレースに追い立てる。
不満が溜まり、絞る血がなくなってくれば、敵意を煽り立て、戦に希望を持たせようとする。


だが俺たちの運命は俺たちが動かしていく!
演劇はそのためにある。


キャベツの味わいを知るように、
美味しい食べ方を皆で出し合おうじゃないか!!


次号に続きます。
湾岸WITメルマガ
2009/7/22━━┛
☆☆☆

「上手い演技が見たいから?
ストーリーに感動したいから?」

そうとも限らないと思います。

こんにちは、
ニコちゃんです。

■3
「うぃっとの芝居で、大切にしたいこと」

人は何を求めて劇場に来るのだろうか?


上手い演技?
感動的なストーリー?

それも否定はしない。
でも何かよそ行きの答のようにも感じる。


もちろん作り手としては、作品の質を上げていく努力は必要だ。

が、「いいものを目指して」落ちてしまう罠も作り手にはある。
そう思う。

審査員がいて、コンクールやってるんじゃない。
そういう類の表現と、われらの芝居はかなり離れてるし、
お客さんも「江東区第7位に輝く劇団W.I.T.の芝居」を観に来てるわけではない。
断じて、ない。


現在うぃっとに来る人のほとんどは、
「メンバーの誰かのやっている芝居」を観に来てるのだと思う。


誰かが元々知ってる1人の場合もあれば、
通ううちに興味を持った他の役者もいるかもしれない。
全員を楽しみに来てくれたなら、ボスとしては一番うれしい。


「それって知り合い呼んでるだけじゃん」
「内輪ばかりで広がらないじゃん」
「自己満足じゃん」

やってる側はそういう否定的な捉え方になりやすい。


たしかに、多くの人、知らない人にうぃっとを知ってもらい、劇場に足を運んでもらう、
そのためにどうするか、考えて行動する必要はある。


だが「知ってるから観に来る」を否定する方が、実は独り善がりだと最近気がついた。


今実際に来てくれるお客さんにとっては、
新しいお客が来ようと来まいと実はあんまり関係ない。

客席が寂しいと来づらいってのはあるとは思うが、
今よりよそよそしくなってほしいって人はあんまりいないだろう。

「俺は知ってるお前の芝居を観に来たんだ。
いいからさっさとやれ」
ってなもんだ。


…で、「安心感」ってキーワードが浮かんできた。


人はうぃっとの芝居にいろんなものを求めているのかもしれない。

感動、
刺激、
ハプニング、
やらかし…

だがそれらはすべて、
「安心感」というベースの上にあるのではないか。
「期待を裏切る意外性」さえも!

私たちは、それを見失ってはいけない。


→そこでその安心感を形づくる、うぃっとの芝居のいいところ、
大切にしたいところについて考えてみた。

前回の他劇団の例と逆になりますが、挙げてみる。

※好みの問題もあるし、どちらかに絶対的な優劣を付ける意図はありません。


○息が詰まるような緊張感があまりない。

○役者の立ち位置も、タイミングも、明かりや音も、ちょっぴりずれてる。
キチキチじゃない。

○いつの間にかシーンが転換し始めてる。

○アニメとかゲームとか、よそ探しても、こんなの絶対ない。

○隙あらば、眠ってしまうこともできる。
むしろ、美声の役者揃いなので、気持ちよく眠れる。

○時々、どこでも聞いたことのないネタやジョークが飛んでくる。
あまりの寒さ、くだらなさ、それゆえの斬新さに、笑いのツボさえ超越してしまう。

○すごく身構えないかぎりは、あんまり疲れない。

○アラよりも、いいところを見つけたくなる。


…はい、よくわかりました。


「何度観てもわからないんだけど…」

不思議に思ってたあなた、大丈夫です。
演劇教室ではないし、あらすじ書けなんて言われませんから!!







追伸。


安心感と言っても、「無難なもの」に甘んじるつもりはさらさらありません。

むしろ、
「ここだからある」

~職場や日常や社会がどんなにクソであろうとも、
ここに来れば安らげる、現実に負けずに行ける~

あなたにとって、
そんな存在でありたい。

------

雲の陰に欠けた太陽が。

…日食で人類が滅びるということは、どうやらなさそうだってのはわかりました。

他の理由で滅びる心配は、多々ありますが。


次号に続く。
湾岸WITメルマガ
2009/7/15━━┛
☆☆☆

「テレビを見ていて疲れませんか?
劇場にも同じものを求めますか?」

こんにちは、
ニコちゃんです。

一昨日は稽古場で、ガーギーの誕生会をしました。
何年か振りに、毛布ブランコなんてやりました。

レクゲームやレクソングのサイトやコミュニティを見ていると、

「なぁんだ、ウチでやってるネタって、こういうところで使えるんじゃん」
って素直に思う。


というわけで、今日は語りの2日目。

■2
「うぃっとの芝居で大切にしたいこと」の前に
~最近の小劇場を観て思うこと~

by しなやかしなちゃん@うぃっとのボス


こんな私でも、他の劇団の芝居を観に行くこともある。
年に数回ぐらいかな?

招待券とかじゃなくて、チラシで見たり、折り込み行って、
ピンと来て、予約して…って感じで。

ジャンルは特に絞ってるわけじゃないけど、
100人規模ぐらいの小劇場で、結成数年から10年ほどのところが多い。

→そう、ある程度劇団のカラーもメンバー的にも落ち着いてきた頃にあたる。

全然違う劇団を見てるはずなのに、
不思議とある共通性を感じたりする。


○まずはいいところ。

受付から客席につくまでの流れやサービスがとても行き届いている。

人の配置はもちろん、パンフや案内表示や開演までの時間のインフォメーションなど、
どこかのお店に来たみたいだ。

それがたまたま1つの劇団ではなく、
結構共通してある水準のサービスが見られるので、
この10年の間に、この面での小劇団の商業化はかなり進んだように思える。

制作の体制がしっかりしてるのだろう。
よく練られたマニュアルは確実にあるだろう。

もしかして共通の?
実はチェーン化が進んでるとか??
そう思わせるくらい。

#開演時刻を過ぎると受付から人が消えて、ドアに「そのままお入りください」が貼ってある、
どこかの劇団W.I.T.とは大違いである。


●次に、好みによって分かれるが、
私にとっては物足りないところ・息が詰まるところ。

・役者の動きと、明かりや音の位置やタイミングが、ピッタリ合う!

・ダンスや集団の動きが、やたらきれい。


「え?それっていいところじゃ」???

→あ、だから、
「好みで分かれる」って書きました。

でも正直、
そういう芝居ばっかりになっちゃったら、うーん…どうなんだろうなぁ~って、思うわけだ。

まるでキッチリ時間で測ってその通りに、譜面通りにキッチリ動き、はまるのだ。

いや、
実際そんな感じの稽古の仕上げ方をしてるのだろう。

あたしにゃあ真似できない。
耐えられないわ。


「そんなお前、
何が不満なんだ」?


端的に言おう。

「タメ」がない。
あそびがない。
ノークッションなのだ。
息が詰まるのだ。

「こいつ次何するだろうな」
ってワクワク感を、
呼吸の合間に、
させてくれないのだ。


確かに動きも
台詞も
衣装もセットも
明かりも音も、
きれいで、
ピッタリで、
一見何の不快もなさそうだ。

まるでアニメかゲームの映像を見てるようだ。

だが、

それって家で画面で見るのとどう違うんだ???

わざわざ生身の役者が劇場でやる意味がどれだけあるんだ?

わからない。

今はこういうものがうける、
あるいは標準なんだと言われるかもしれないが、
そう言われたとしても、
わからない。

どんなに振り付けがきれいでも、
「だから何?」


私などはテレビがついてると、
その音声だけで疲れたりする。

パッケージされた
一定の効果を狙ったコンテンツが、
モノと情報の洪水が、
より効率的に、
隙間を許さずに、
流れ込んでくる、
(グダグダ感までも、「そういうテイストのコンテンツとして」強調されて)

だから感受性が鈍ってなければ、
疲れるのは当たり前だ。
そう思う。

劇場に来てまで、
そんな思いをしたくない!!


だが街を歩くと、
今や雑多なはずの大都会までもが、

「どこの郊外だよ。
俺ら若い頃は、こういう街のつくりって、半端な田舎のダサイところだったんだぜ」
ってくらい、
同じようなチェーン店が並ぶ風景ばかりになってきている。

おそるべきグローバル化、「国道16号線化現象」である。

小劇場までも、
16号線化の波は避けられないのか?

私はそれを、とても危惧している。

------

というわけで、前段は終わり。

次回はいよいよ、
「うぃっとはそうではない何を大切にしていくのか」という話。


次号、今度こそ、

■3
「うぃっとの芝居で、大切にしたいこと」
へ続く。
湾岸WITメルマガ
2009/7/12━━┛
☆☆☆

こんにちは、ニコちゃんです。

あっという間に10日経ってしまいました。
産みの苦しみ状態です。


今回から数回、語らせてください!!

25周年を迎えるにあたって、
「今、この時だからこそ」
語るべきこと、伝えたい話があります。

いっぺんだと長いので、何回かに分けます。
連日送られてきても、懲りずに読んでやってくださいまし。

逆に突然ピタッと止まったら、「考え込んでるんだなぁ」と思ってくれて、ほぼ間違いありません(苦笑)


では、行きます。


-----

■1 はじめに

「25周年に至るまでと、今回にかける思い」
by うぃっとのボス・しなやかしなちゃん


1984年7月、
うぃっとが旗揚げ公演をしてからちょうど25年になる。

「ふやけた挑戦状
~単純屈折LOVE LETTER~」

アートシアター新宿=今はもうない小劇場のスタンダードのような素晴らしい小屋での旗揚げ。

上演時間3時間、
作・演出・主演の私はとても若く、
仕込んだ灯体や共演の役者を壊す勢いで、
飛び跳ねっぱなし。

やってる方も観てる人にとっても、凄まじい芝居だった。


生まれたばかりのカップルの、大いなる企み
=「路上でキスするように」始めた劇団だった。

こわいもの知らずだったし、何もかもがこわかったりもした。



その後時を経て、
いろんなメンバーと出会い、別れ、
二人+αという形で落ち着いた時期が長く続いた。


この間に息子と娘が生まれ、
まさに子育てと並行して劇団やってた。

二人を保育園から拾って、
その足で大塚とか池袋とか遠くの稽古場に通ったりもしてた。

思い出すだけで気が遠くなりそうだ…
おかげで丈夫でやさしい若者に育ってくれましたよww


すごいエネルギーだった。

友の会会員を集めて、
毎月新聞を出したり、
うたのテープを出したり、

単に公演を打つだけでなく、
もっと広く発信し、問題提起するメディアとして、
90年代は活発に動いてきた。

いくつか論戦もあったし、敵も多かったさ。

当時はそんな風に思わなかったけど、
今振り返ると結構喧嘩早く、突っ掛かる性格だったかもしれない…


それでも芝居の方向としては、
「癒し系」なんて単語が世に出る前から、
思わずまどろんでしまうような、
詩的な世界を描くようになってきた。

(この前の公演を観た方は、
雰囲気わかると思うけど)



そんな歩みの最中、
20世紀の終わりに、
ある人物との不幸な出会いをきっかけに、
私は、
壊滅的な打撃を受けてしまった。。。。。

(出会いったって、
色っぽい話じゃ全然ねえですよ!!)


あまり細かくは語りたくない。

今でも辛くなる。

やっとここに書けるくらいになった。


それがどれくらい大きなダメージだったかと言うと…

…3年近く、本公演を打てなかった。



新たにガーギーを迎えて、
21世紀、
再び舞台に戻ってきたうぃっとは、

力任せに頼れなくなった分、
人生の味わいを増した、
観る人に優しい芝居が作れるようになったと思う。



この8年間は、
私にとっては、
長いリハビリ期間でした。


悩めるボスの再生への道のりを並走してくれたガーギー、
そして相棒には感謝しています。

この間、
周りで支えてくれた、
応援してくれた、
ファンの皆さん、
スタッフ・関係者の皆さん、
本当に、
ありがとうございます。


新たな時代に、
道を拓いていけるよう、

「人間が人間であること」を
取り戻していく世界を
少しずつ築いていけるよう、

地面にしっかり立ち、
行く手を示す、
勇気と希望でありたい!


うぃっとに託してくれた、
みんなの想いに失礼のないように、
しっかり応えていきます。


今度の公演が、
あなたと共にありますように。


「アンクル・ギャグの小屋」
10/2~4
門仲天井ホールにて。

-----

次号、

■2
「うぃっとの芝居で、大切にしたいこと」

…つづく。
湾岸WITメルマガ
2009/7/2━━┛
☆☆☆

7月になってしまいました。
…雨ばっかりですね。

こんばんは、ニコちゃんです。

■1
次回公演概要

お待たせしました。

年始より二転三転して、秋公演の演目がやっと決まりました。

スケジュール帳の準備はOK?


[タイトル]

アンクル・ギャグの小屋

(UNCLE GAG'S CABIN;
OR, THE LOWLY STAGE)

[場所]

門仲天井ホール

(門前仲町駅下車
赤札堂の向かいの
モスバーガーの
あるビルの8階)

[日時]

2009.10.2金~4日

10/2 
19:30開演

10/3
マチネ 14:00開演
ソワレ 19:00開演

10/4
マチネ 14:00開演
ソワレ 18:00開演

[構成・演出]

しなやかしなちゃん

[出演]

しなやかしなちゃん/てんこ/ガーギー木村

[チケット]

25周年記念

特別価格

前代未聞

史上空前

2500円!!!

(小学生以下無料、
中学生・障害者・介助者 1000円)

これは
すげえ中身が
期待できますぜ…

そこで内容を
見てみたい。
まださわりだけね。


[内容]

オヤジギャグ
ではない。

アンクルギャグだ。

25周年を
飾るにふさわしい
今回の作品は、

うぃっとが
お送りする、
格調高き

駄ネタの数々。


しかし、
「アンクル
ギャグ」って
ステージ低いな。

→身分は低くとも
気高く生きる。

ストウ夫人も
土の中で
泣いて喜ぶに
違いない♪♪


前回に続き
傑作選的に、
2001-2008の
作品から
選り抜き、
一部新作も
加えて構成する。


前回は詩的世界を
全面に出したが、
今回は…???


-----

今日はひとまず、
公演日時とタイトルをお知らせしました。

近々、次号を出します。
そこで少し、語らせてください。

今回の公演の意味

そこにかける思い

そして、、、


…次号をお楽しみに!

 ・・・みんな、落ち着け。 

      俺たちは幻を見ているだけだ。




 そうか。伝説のひかり号に乗っていたと思ってたのは、




 簡単なトリックだ。 

   「昨日俺、新聞に載ったんだぜ」と言われて、


「ああ、こいつのことだから、新聞広げてその上に乗ったんだろう」

    と思った。



 俺たちは目の前に広げたひかり号の上に乗ったつもりでいた。


だが実際は、

   ニュースやメールや絵本のおとぎ話で語られるひかり号の話に、

     載っていたに過ぎないのだ。。。



 降りてわが身を見よ! 

     わが身に纏っていた制服を見よ! 

     そしてわが車体を見よ!




 そして目の前にうっすらと浮かぶ憧れの電車、幻の電車を見よ!



 京都の次は京都、小倉の次は小倉、

    無限ループに嵌ったそのわけは?



 微分されただけだ。  

    見よ! あれが伝説のひかり号と運転手と乗客の「傾き」だ。




 おお!美しい!!!




 さすがに勢いがある…


 若き日のれんこんと田七おじさんが乗っている。 

    これから力を合わせて、一緒に暮らしていこうね。


ささやかな幸せ、あり得なかった未来が、傾きの延長線上に見える。




 向こうの窓際にはハンガー少年がおやっさんと一緒に乗っている。

真っ赤な帽子を被り、冷凍みかんを食べている。


初優勝間近の赤ヘル軍団を見に、広島へ向かっているのだろう。 

    希望に燃えている。まだ改造人間じゃない。




 その後ろでサングラスをかけてるのは、恐岩ではない。


圧倒的な強さで後期優勝を果たしたうし組球団のスコアラーだ。


赤ヘルとの日本シリーズに備えて、偵察に向かう途中だ。


その傾きの先には、この年にはあり得なかった決戦と、

    一度も果たすことのなかった日本一が見える……



 少女が家族と乗っている。

  「私、大きくなったらメイドになるの」

   無邪気で純粋な夢。


その後買ってきた犬が少女の夢を実現させ、

    少女と家族の運命を変えてしまった…




 過去は常に、新しい。



未来は古くて、カビ臭い。



 少年は 未来を夢見ているようでいて、

    実は 懐かしんでいるのかもしれない。

    そして老人は、未知なる過去へと旅立った。



CTG  WE SHALL RETURN !!



「ひかり1975 ひよこ2005(後編)」(2005.7)より。



2008夏公演「小犬のスルー」は、この話の続き。

ひよこは大人になって何になったのか?

お楽しみに!



↓以降、作品の紹介はこちらに移転↓

http://nikochanda.blog3.fc2.com/blog-category-7.html

http://ameblo.jp/bondededebon/entry-10090709382.html
(前回よりつづく)


今回はちょっと軽めに。

テーマは「タカハシ」だ。



この前ウチの相棒が村上春樹を読んでいて、
彼が小説家になるきっかけとなった神宮球場でのヤクルト対広島の開幕戦の話が出た。


話してるうちに「ああ、その試合なら俺球場で観てたよ」ってことが判明したわけだが、
その話を思い出して突然訊いてきた。



「あれってヤクルトが初優勝した年だっけ?」


「そうそう」


「あれ?その前か何かに、カープが連続優勝しなかった?」


「いやいや、それは前じゃなくて後だよ」


「江夏とかが活躍した年だよ」


「うん、だから、後だって。79年と80年。ヤクルトの初優勝が78年」


「え?カープの初優勝って小学生の頃じゃなかった?」


「そうだよ。連覇する前に1回優勝してる」


「ドリフで、『♪カープは強いぞ』ってやってなかったっけ?」


…こいつ、野球の記憶はあやふやなのに、
そういうことだけ見事にツボ押さえて覚えてるし!
 

そうだそうだ。

このネタは、カープが初優勝を決めた赤ヘルブーム当時にドリフの「全員集合」のコントで使われたのだ。

 キャンディーズが歌を歌いながら出てきて「♪カープは強いぞ はいポーズ」と決めると、
 (日本シリーズの対戦相手である)「♪阪急は強いぞ」と志村けんが対抗するのだが、
「俺ホントは巨人ファンなんだよな。♪巨人は弱いぞ…」 というオチだったと思う。



「よくそんなこと覚えてるね」


「あれって(元々は)『白は強いぞ』だったっけ?」


「違う違う。『黒は強いぞ』。元々テレビのコマーシャルでキャンディーズがやってた」

さくさくっと検索してみる。


ほれみろ、やっぱり『黒』だしテレビだろ。


検索ついでに懐かしいものまで見つけた。


あ!『♪黒は強いぞ』って、『♪テーレビばっかり見ていると』の後だったんだ…


…なるほど、サンヨーズバコンですか。


あったあった。そして替え歌まであったな。


『♪テーレビばっかり見ていると、いーまにタカハシになっちゃうぞ』…



そうそう、そのタカハシっていうのは、小学校3・4年の頃同じクラスだった。


体はそんなに大きくないがめちゃ足が速くて、

真っ黒に日焼けしてて「コーヒービート」なんて言われたりもしてた。


怒ると凶暴で、強いくせに噛みつく恐ろしい奴だった。


大事な腕と消しゴムを噛まれた記憶がある。


鉄道の話はついて来れず、「かつえきていしゃ」とか言ってた。


なぜそんな替え歌があったか忘れたが、今となっては妙に説得力を感じるなあ。


そういえば、絵の具を飲んじゃうこいちゃんもタカハシ姓。


恐るべし、タカハシ…



カープのベテラン左腕・高橋建の好投に拍手を送りながら、

そんな話を思い出した、ゴールデンウィークの1日であった。
 


※1) ちなみに俺らの世代には、ドリフは絶対的な存在だった。
志村がどこファンかはどうでもいいが、

自分の中では「志村けん=高橋慶彦」的な図式ができてしまってて、

今でもひげダンスを想像すると、慶彦と木下がやってる姿が頭に浮かんでしまう。
全盛期のカープは、それぐらい鮮烈でメジャーだったのだが。


※2) 私は今でこそテレビ嫌いでほとんど観ないし、

躾にうるさくない割にCMを口ずさむのだけは「みっともないからやめろ」と子どもに厳しく言う親でもあるが、

小さい頃は人並みに近い程度は観ていたので、こういうネタもたまにポロッと出てきますww
…お粗末さまでした。


次回は、苦手で嫌いだった「ある球技」の話、行きます。

また来襲!

2008.5.3   しなやかしなちゃん