向井理さんを、僕たちのサークルに呼ぼう!プロジェクト結果レポート@大阪詳細その1 | 映画「僕たちは世界を変えることができない」公式・撮影現場リポート

映画「僕たちは世界を変えることができない」公式・撮影現場リポート

映画「僕たちは世界を変えることができない。」の撮影現場の様子を、ほぼ毎日更新(目標)でリポート!
向井理・松坂桃李・柄本祐・窪田正孝ほか、豪華キャストのオフショットを、惜しげもなく大公開します。

今回は、大阪のフットサルサークル「痩せたい代表~イタミジャパン~」の皆さんとトークセッションを行なった時の様子をレポートします。

同年代の同性の皆さんに、この映画がどうみえるのか、向井さんも楽しみにしていました。

フットサルサークルということで、どのような質問が飛び出すのか、期待と不安を抱えてトークセッションに臨みましたが、予定時間を大幅にオーバーしての、熱いトークセッションになりました。
 


映画「僕たちは世界を変えることができない」公式・撮影現場リポート


【質問者A

向井さんはウルルンのときにもカンボジアで井戸掘りをしていますが、その時の気持ちと今回の映画に取り組んだときのカンボジアでの気持ちにどんな違いがありましたか?

 

【向井】

ウルルンはドキュメントだったので素の自分ではいました。やっぱり映像を見てもいつもの自分だなと思いましたし、でも今回は映画ですので、自分の素の部分というのはひとつも出てないですね。

 

【質問者A

そうなんですか、僕は映画もドキュメントだと思って観てました。

 

【向井】

ドキュメントタッチっていうことだったらお芝居もそれ(ドキュメント)に近づけたっていうのはありますけど、でも生まれた感情をちゃんと表現しろっていうことだったので嘘はついてないです。ただ監督にもお芝居をするなっていうことを言われていたので、あまりお芝居お芝居はしてない、ナチュラルな芝居を心がけましたね。

 

ウルルンに関しては色々あって、井戸を掘るってことも決まってなかったので。現地の人と再会して、一日ぼーっと何をしようかなって思っていたら、現地のお父さんが「水があれば」って言っていたので、じゃあ井戸を掘ろうと自分で決めて、会社の人と直接話して、井戸を掘ってもらって。そういう風に目的もまず自分で決めなきゃいけなかったんです。

 

でも今回は台本がある作られた世界なので、台本どおりにやってますし、もちろんアドリブも多かったですけど。一つの作品でもドキュメントは個人的に勝手に動いて、セリフも段取りも何をするかも決まってないのですが、(映画)作品には何を伝えたいかっていうのがないと作品にするには動けなかったりするので、その点がドキュメントとは違います。それは作り物と作り物でないものの違いですね。

 

【質問者A

僕は映画もウルルンと同じ感じで見てました。最初映画がはじまったときは(向井さんは)演じてるのかなって思ったのですが、カンボジアに行った瞬間からドキュメントとして入り込んでいました。

 

 

【向井】

そこらへんは確かに、台本にもセリフがないですからね。みんなアドリブでやってるので。あのガイドさんも原作の葉田甲太くんを実際にガイドした方で、お父さんが殺された話もあの人の経験でなので、あそこは確かにドキュメントなんですね。

 

僕らも(ブティさんが)そういう話をするとは聞いていたんですけど、実際は3040分話してくれて、そのうち何分かが使われているんですけど。ただ(台本には)ブティさんがお父さんの話をするとしか書いてなかったんですよ。だから(ブティさんが)泣くことも知らなかったですし、自分が泣くとも思ってなかったです。そのあたりはカンボジアでは自由でしたね、監督にもみんな好きにやってくれって言われてましたし。

 

【質問者A

僕ここに来る前にカラオケではしゃいできたんですよ。そのテンションで映画が始まって、最初戸惑いました。

 

【向井】

多分観ないと分かんないというか、こういう映画だと思われてないんですよ、きっと。もっとポップなというか、このポスターも平和な感じに見えますけど。タイトルもわりと挑戦的なものだと思いますし。結構心に刺さるテーマを取り上げていて、すごくディープだと思うんですよ。だからなかなか本当の部分が分からない、観てもらったら絶対分かると思うので、だからなるべくこういう試写会とかをやって口コミで広げていってもらいたいなっていうのがありますね。


映画「僕たちは世界を変えることができない」公式・撮影現場リポート

 

【質問者A

今までの向井さんのドラマとかと全然感じが違って、イメージが変わりました。素人目ですけど、あれを演じ分けるのはすごいと思いました。

 

 

【向井】

やっぱり作品によってお芝居とかは変えるので。今回は生々しくっていうのは意識しました。そこは一番気をつけた部分です。今やっている大河ドラマとかってああいうしゃべり方だと駄目なんですよ。作品として成り立たないので。

 

でもこういう日常のテーマのものだと、今しゃべってるみたいな会話口調でいいし、ちょっと詰まったりとかっていうお芝居を敢えていれたりして、噛んでるところとかも使われていて、それがリアルだなと思いました。

 

カメラマンとか監督はやっぱりドキュメントタッチで撮りたいということで、僕が子供と手を繋いで歩いていくシーンとかも普通の映画というか、よくある映画の撮り方だとクレーンにカメラ積んで歩いていく背中を上から撮って象徴的に見せたりとか、いろんな見せ方をすると思うんですよ、ドラマっぽく。だけど今回そういうのは一切してないので、ほとんど手持ちでカメラの目線でみてるんですね。監督は今回自分の目がカメラだと思ってっていう感じだったのですが、それがたぶん僕らと同じ目線なんですよ。だからライブ感があると思いますし、それはお芝居だけじゃなくてそういう撮り方を決定したからというところがあると思います。それがこの作品の生々しさみたいなところを出してる。自分がそこにいて覗いているような感覚になると思います。ノンフィクションが原作ということでそういう作り方にしようとなりました。

 

【質問者B

まず感想からなのですが、内容としては一人が何かをしたいという思いがあったとして、その思いがどれだけ強くても、力なしにはどうにもならないものっていうのをがほとんどで。一人の力は知れてるけど力が必要な時に、何が一番てっとりばやいというか、いい方法なのは他人の力を借りることだなと。それが一番象徴的だったのが、木の根っこを最後一人で動かそうとするシーン。一人では全然びくともしないのが45人になってやっと動かすことができた。そういうのを観て強く思いました。1人よりも34人のほうができることがあって、でも人が集まるとまた面倒なこともあって、そういうこともあるなというのが感想です。

 

質問としては、まず一つ目が今の映画で向井さん自身が印象に残っているシーン、もう一つはこの映画を通じて自分の中で変わったことを教えてください。

 

 

【向井】

印象的なところはいっぱいあります。この映画って2時間ちょっとですけど、撮影時間は200時間撮ってて、1%しか実は使われてない。そういうところも含めるとほとんどのシーンに出てるので、こんなに自分が大量に出る映画も初めてだったので印象的なシーンもいっぱいあります。カットされてない部分で言うと、カンボジアのところは印象深いですし、日本の裸になってやるスピーチとかもアドリブとかをさせてもらって、カンボジアの最後のスピーチも最後のセリフを自分で足して、みんなで一緒に作ってる感覚があってすごいよかったですね、この映画に関しては

 

 

ブティさんの告白のシーンは映画とドキュメントの境目を超えたって思います。ドキュメントだったら僕はあんな泣かなかったかもしれないですし、芝居をしろって言われたらもっと泣きにいってたかもしれないし。素でもないけど、芝居もしてないっていう状態。ブティさんがあそこまで泣くのを引き出してのお互いのキャッチボールだったので、そこはドキュメントとも言えますし、でも映画の中のドキュメントなので結局は作品だと思うんですけど。その境目を越えられたなと。ああいうシーンはもう撮れるものじゃないなと思いましたね、自分で観て。

 

 

映画を通じて変わったところは、台本は読み込んでいたのである程度こうやってやるっていうのはわかっていたので、思ったとおりの作品になったなと思います。でもカンボジアに対しての想いっていうのはまた違うものがありまして。昔ウルルンで行って今回も行ったわけですけど、今回はまったく違うものを見せられたので。カンボジアのツールスレンの収容所、キリングフィールド、エイズ病棟、そういったところは今回始めて行ったので。メジャーなガイドスポットとして、あとはアンコールワットとかの遺跡群が多いんですけど、カンボジアの力強さみたいなものを改めて認識しました。

 

子供たちの笑顔とかもすごくよくて、それで作品が報われてる感じがします。あの子達が笑ってなかったらもっと暗い映画だったのかなとか、現場で自分たちが笑えたのもあの子達が笑っていたからだなと。

 

ボランティアに対する認識も変わりましたね。カンボジアに小学校を建てましょうっていう映画ではないので、それを感じる人もいると思いますけど。結局ボランティアって自己満なんだなと思いました。慈善とか奉仕とかっていう風に日本語だと言いますけど。でもその見返りがきっとあるんですね。それは単純に子供の笑顔でもいいと思いますし、それを見て自分たちがやってよかったなとか、また何かしてあげたいなとか思っていることが自分にとってのプラスなので。自己満でいいんじゃないかって。ボランティアがすごい堅苦しいとか、崇高なものだとは思わない。どこにでもあるものだと思いますし、自分のためにやってると思うとやらされてる感もないし。やりたい人がやればよくて、やりたくない人はやらなければいいだけ。だからといってやらない人を批判するのは間違ってる。自分でやりたいからやるっていう、ある種の開き直りみたいなものを感じましたね

 

 

その2につづく