【第41回】からだを緩ますという事 | 医療と介護の狭間で~いのちの流れを紡いで~

【第41回】からだを緩ますという事

前回は、無理してスポーツをするならば、

「リズム(単純繰り返し)運動」で良いのではないか、

というお話をさせて頂きました。


その理由は、前回書かせて頂いた通りなのですが、
もうひとつ、私達は「からだ」の力をうまく抜けなくなっている、

という事も付け加えさせて頂ければと思います。


「脱力」がうまく出来ないのです。


改めて考えると、これはおかしな話なのですよね。

何故なら、入れていた力を抜くだけなのですから、

本来であれば、出来て当たり前の事なのです。


自然界の生き物は、弛緩しているのが本来の姿です。

弛緩していればこそ、いざと言う時に緊張出来るのであって、
常に「力んで」生きている動物は居ないと思います。

力は本来「抜く」ものではなく、
自然に「抜ける」ものなのです。


ではどうして、力が抜けないのかと言えば、

私達自身が緊張に気づいていないという事。


そして、緊張に気づけない程いつも緊張を強いられ、

それが普通になってしまっているからだと思います。


それはあたかも、肩が凝り過ぎてしまった人が、
凝りに気づかなくなってしまったのと同じように・・。


陽が昇り、陽が沈み、季節に春夏秋冬がある様に、

宇宙にも地球にもリズムがあると思うのですが、


同じように、私達の「からだ」にも

様々なリズムが存在すると思います。


心臓は鼓動を刻み、脳には脳波があり、

生理のリズムや排泄のリズム、様々あると思います。

「からだ」はその様なリズムの中で、

生体のバランスを保っている訳ですが、


緊張があれば、それも狂ってしまいそうですよね。


それに「緊張」と「弛緩」も一つの「リズム」と考えれば、

「弛緩」が無いのは、いかにもバランスが悪いことです。


ですので「力」を抜くこと、「からだ」を緩ますことは、
とても大切な事だと思うのですが、

今や「ゆるむ」というノウハウ本が出るほど、
簡単そうで難しい日常になってしまいました。

そういった事も、現代のストレス社会を反映している気がしますし、

病気が減らない理由の一つなのかもしれませんね。


ところで、どうすれば「脱力」出来るかと言うことですが、

既にお勧めした「呼吸」「瞑想」も、
私は「ゆるむ」方法の一つだと捕えています。


また、体からの直接的アプローチとすれば、
体が動くように創られている以上は、

出来る限り全身を満遍なく動かしてあげる。

という事もとても重要な気がします。


スポーツも一見、全身を満遍なく動かしていそうですが、

どちらかと言えば、特定の動きをするために、

特定の筋肉を緊張させて使っているのではないでしょうか。


自分で意識してケアや調整が出来れば良いのですが、

そうでなければ、逆にからだも歪みやすい様な気がします。


そうであるなら、特定な筋肉を緊張して使う
特定のスポーツよりも、単純な運動の方がいい・・。


私が「単純繰り返し運動」をお勧めする理由は

そんなところにもあります。


それに単純な運動は、余計な事を考えずに、

ただひたすら続けられるのも良いです。


また、準備運動などで膝を「くるくる」回したり、
手首を「ぶるぶる」震わせたり、
足首を「ぐるぐる」回したりすると思うのですが、


あの「くるくる」や「ぶるぶる」や「ぐるぐる」が、
「脱力」するためには、かなり効果的だと思っています。


揺すったり、震わせたり、廻したりです。

その単純で一定な動きが、

「からだ」本来のリズムも目覚めさせてくれるのではないかと・・。

実際には、今後何回かに分けて、
幾つかご紹介させて頂こうと思っているのですが、


先ずはご自分でも「脱力」というキーワードを、
意識しながら「からだ」と向き合ってみてください。


お風呂に入ったら、腕をぷかりと脱力して遊んでみるとか、

お布団に入ったら、布団に埋まる様に想像してみるとか、


どうぞ気楽にやってみてください。


そして「からだ」と遊びながら、
感覚をききわけようとしてみてください。


本日もお読みいただき、感謝です。


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