現役高校生のアメリカ留学ガイド

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去年の6月に大学生活について書かせて頂いてからほぼ1年も経ち、「現役高校生」とはほど遠い存在になってしまいました。大学に入学してからは、AFPLA(Asian Future Political Leaders Association)という東アジア5大学で毎年夏に学生会議を行い、議論と交流をする学生団体に参加し、現在代表を務めたり、TEDxUTokyoという学生団体で東大内外の素晴らしいアイディアを広めるお手伝いをしたりと、忙しい毎日ですが様々な形で学ばせて頂いています。

今年1年間をまとめますと、7年ぶりの日本の生活でしたが、素晴らしいコミュニティに出会い、日本の大学、とりわけ東大で学ぶことができて本当に良かったと感じた1年間でした。今後不定期ではありますが、これらの活動やコミュニティについても紹介させて頂こうと思います。

さて、前々回の「日本の学生の『グローバル化』と私が日本で学ぼうと思った理由[1]」から1年間も経ってしまいましたが、その理由を再認識する出来事がありました。今年の春休みに東大のプログラムで6週間アメリカ東海岸のプリンストン大学(Princeton University)で学ぶ機会を頂き、アメリカの大学も短い間ですが経験することができました。

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最近プリンストン大と東大との間で協定が結ばれ、学術的交流が理系を主に盛んになってきています。学部生間、そして文系の交換留学は今回が初の試みだったようです。このプログラムでは、今年の春に東大から5名、夏にプリンストン大から5名の学部生が派遣され(渡航費・滞在費・食費・授業費は全額無料)、互いの大学で「東アジア」について学びます。

プリンストン大では、Department of East Asian Studiesが主体となって企画してくださりましたが、私たちが取れる授業は幅広く、イタリア文化論やアメリカにおける格差問題について学んだ学生もいました。私は東アジアの政治や外交に元々強く関心を持ち、さらにこのプログラムが「東アジアをアメリカの観点から見る」ことを主たる趣旨としていたことから、Prof. John IkenberryとProf. Aaron FriedbergのGrand Strategy(古代ギリシャから現代中国までの各国・各時代の外交戦略論)、Prof. Andrew MoravcsikのInternational Relations(国際関係論)、そしてこのプログラムのプリンストン大側のリーダーであるProf. David LehenyのAsian Wars, American Politics, Hollywood Cinema(ハリウッド映画から見るアメリカ政治とアジアでの戦争)を受講させていただきました。どの教授も知らない人はいない、その分野の最前線に立つ方々なので、授業を受ける度に夢を見ているようでした。

授業はほとんどが週2回のレクチャー(といっても、日本のように300人講義などではなく、多くて50人ほど)と週1回のPrecept(TAや教授が教える、ディスカッションや発表を中心とする1クラス10人程度のゼミ)の組み合わせでした。限られた時間しかいられない私たちは主にレクチャーしか出られませんでしたが、とてもありがたいことにプログラムのリーダーをされているProf. LehenyがPreceptにも非公式で参加させてくださりました。Preceptでは毎週レポートを提出し、発表も行いました。レクチャーもとても感動したのですが、Preceptではやはり他の学生と意見を交わしたり、講義ではカバーしきれない範囲まで掘り下げることができたので、特に素晴らしかったです。プリンストン大には多様な地域やバックグラウンドの学生が集まっているので、そのひとりひとりが違う人生経験を通じて、全く異なる視点から同じ世界を見て、感じていることが深く印象に残りました。最近よく日本でも言われている”diversity”は各人の視点・意見・価値(観)の交換によってその意義が初めて実現するものだと実感しました。

自習を前提として1学期に3科目のみ集中するスタイルは、週17コマ(17科目)取っていた東大とは全く違う経験でした。まだ学問的関心が定まっていない中で「教養学部」(最初の2年間)の下、たくさんの分野を学ぶのも良いのですが、4、5科目を1学期にわたり深く掘り下げるのも素晴らしい学びの形だと思いました。毎週ある授業の予習量は膨大で、各授業何百ページもの参考資料をあらかじめ読まなくてはなりません。しかし、どれも私が興味のある政治などの文献で、質の高いものだったので追いつこうと必死でした(全て完読できたわけではありませんが…)。

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学問ももちろん素晴らしかったですが、プリンストン大が大好きになった理由のひとつが「人」でした。プリンストン大で学んでいる中高時代の友人にも会い、学校や町の良いところを教えてもらいましたが、その他にも素晴らしい出会いが多くありました。特に東アジア学部の学生の方々は、最初の週にWelcome breakfastでお会いした後も積極的にイベントやパーティー、食事に誘ってくださり、彼らには本当にお世話になりました。日本だけではなく中国、韓国など様々な分野に特化して勉強しているようですが、確固たる目標や知りたいことを持って勉学に励んでいる様子がとても刺激になりました。(とはいっても、どの専攻であれ卒業生の約半数がファイナンスやコンサルに就職するという噂を聞き、さらに知り合いのSeniorはほとんどがその証拠となっていました…)。

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(プリンストンの街並み。個人経営のカフェや商店から、J. CrewやUrban Outfittersなどの人気のお店まで様々なお店があります。)

留学生が少ないプリンストン大で、出会った多くの人々が日本から来たことや留学生であることに興味を持ってくださり、寮の廊下で迷っていたときに案内してくださった方やバスルームで歯を磨いていたときに会った方とも、最終日に最後まで見送ってくれるほど仲良くなりました。夏休みに卒業旅行や研究で日本に来る方々も多いようで、プログラムの他の東大生と一緒に東京や近郊を案内することを約束しました。

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2月中旬にプリンストンに着いたことから、最初から最後まで大雪に見舞われましたが、雪にはAndover(マサチューセッツ州の高校)の3年間で慣れていましたし、その雪を溶かすほどの人々の優しさに触れることができました(美味しいホットチョコレート屋さんが近くにあったことも助かりました)。また、プリンストン大はキャンパスとその建築物がアメリカで最も素敵なものの一つとも称されるほどで、雪景色と合わせると、毎朝歩いているだけで幸せな気持ちになりました。今年の夏休みに5人の学部生がプリンストン大から研究をしに東大へ来るようなので、プリンストン大で学生たちが心優しく接してくれたように、東大でも素晴らしいおもてなしをし、一緒に真剣に学ぼうと思います。

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今年は小学5年生以来初めての日本の学校の春休みで(アメリカの春休みは日本の4分の1程度です)、日本の大学生の春休みというとスキーや合宿、読書など、ただひたすら遊び、休息をとる時間だと思っていました。したがって、プログラムに応募した時には春休み全部がっつり学ぶということに少しばかり迷いがありました。しかし、振り返ってみると、応募・参加させていただき本当に良かったです。日本にいたらできなかったであろうご縁や学びをし、関心のある分野やアメリカ社会に対する新しい発見もあり、社交及び学問において真に満たされる6週間を過ごしました。(プリンストン大の春休みに、一週間カナダでTEDActiveというイベントにTEDxUTokyoのサポートのもと参加させていただき、それも世界中から強い意志とパッションを持った素敵な人々が集まったかなり濃い一週間でしたが、それはまたの機会にお話します。)

東大も学びの場として最高の環境や人々が揃い、毎日とても楽しいのですが、プリンストン大では寮生活及びゼミ、Eating clubと呼ばれる会員制クラブなど様々なコミュニティによって緊密さや絆が形成され、Andoverとも似ていたことから、そのような環境で学ぶことをとても懐かしく思います。しかし、東大とプリンストン大の違いを認識しながらも、それを肌で認識できる、つまり両方を経験できるという幸運に恵まれたことに嬉しく感じ、さらにこの機会を与えてくださった東大に感謝の気持ちでいっぱいです。プリンストンで出会った人々や、週末にNYやCambridgeで再会した中高時代の友人にはとても良い刺激をもらいました。何千マイルも離れてはいますが、負けないように東京でも様々な経験や学びを通じてやりたいことを見つけ、熱意と自信をもって取り組めるように精進します。

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最後まで読んでくださった方々、ご辛抱のほどありがとうございました。
大変長々と書いてしまいましたが、この東大xプリンストン大学のプログラムの雰囲気と学びを少しでもお伝えできていれば幸いです。

大変ご無沙汰しております。

もう前回の更新、そして入学式から2ヶ月が経ってしまいました。大学には慣れたものの、大学に入ってから学んだ「キャパる」(自分のキャパシティを越えるくらい忙しい)という言葉を毎日連呼するほどサークル、勉強会、宿題などで充実しています。

さて、日曜日はアンドーバーの卒業式でした。私たちが卒業してからはや1年、皆それぞれの場所で活躍しています。1年経ったのにもかかわらず卒業式についてお話しできていなかったので、この機会に主に写真を通じて卒業式の雰囲気だけでも感じ取って頂ければ幸いです。

式典(卒業式はCommencementとも呼ばれます)自体はSamuel Phillips Hallという歴史・言語の授業が主に行われる、いわばアンドーバーの象徴である建物の前の広場で行われました。

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学長や先生代表のお言葉、学生による音楽の演奏、そして賞の授与式が行われました。私は最後の4学期の成績上位者に選ばれ、光栄なことにCum Laude という賞を頂きました(後の写真で現れる白い封筒には Cum Laude Society という学校連盟からの表彰状と鍵が入っています)。複数者いるため、式典では名前が呼ばれてその場で立ち上がるだけだったのですが、それでもなお、4学期、特に最後の1年間の努力が報われたと思うと感無量でした。もちろん学問は成績だけではないですが、大好きな教科ばかり取れた1年間だったので、理解が深められていたことを再確認できて嬉しかったです。

式典の後は卒業生、観客共にチャペル前のGreat Lawnという広大な芝生の広場に移動し、卒業証書 (Diploma) の授与式が行われました。1学年は300人弱という比較的大規模な学校なので、ひとりひとり渡されるのではなく、卒業生が大きな円になり、名前が呼ばれる順に卒業証書が自分のもとまで他の卒業生の手によって回ってきます。

commencement 2


私や他の卒業生がバラを持っていますが、去年(私たちが卒業した2013年)まで女子学生のみがバラを持つという慣習になっていました。しかし、私たちの学年によって始められた今年のフェミニズム・ムーブメントにより、男女平等へのコミットメントのシンボルとして今年から男子生徒もバラを持てるという選択肢も増えました。

commencement 3


他にも、アンドーバーには卒業式で葉巻を吸う(もちろん任意で)という伝統があります。私たちのキャンパスでは喫煙は禁止されているので、卒業証書さえもらえれば自由の身、ということです。私はしなかったのですが、友人の多くは葉巻を手に持ってカッコをつけていました。(私の付けている水色のリボンについては次回お話しします!)

commencement 5


親友たちとの別れは悲しく、寂しかったのですが、お互いの今までの努力を讃え、未来に向けて激励しあえました。

commencement 6


卒業式もまだまだ写真やお伝えしたいことがたくさんありますが、卒業式からちょうど1年ということで写真だけでもシェアさせて頂きました(卒業式についても、第2弾を予定しています)。まだグローバル化についての第2弾も書けていないので大変心苦しいですが、少しでも去年の今頃の雰囲気がお伝えできたら嬉しいです。

今年卒業された方、卒業される方に心から祝福申し上げます。
一昨日大学の入学式がありました。実は先週末に新入生合宿が行われ、授業は水曜日から始まっていたため、あまり「入学」という雰囲気や心構えではなかったのですが、改めて「大学生」としての自覚を再確認できたイベントでした。

入学式では錚々たる顔ぶれが新入生に対しお話をしてくださったのですが、その中でも繰り返し強調されたのは「大学のグローバル化」や「日本人大学生が海外で学ぶことの重要性」ということでした。アメリカで学ぶ日本人の留学生が少ないことへの危惧や高校留学という選択肢についての情報があまりないことから留学ブログを始めた私として、これらが入学式の講演におけるテーマであったことは嬉しく思いました(もちろん、他にも思ったことはありましたが。。。)。

同様に、大学にも「国際交流系サークル」が多く存在し、アメリカや東アジアの学生と会議を企画し、実際に学生たちと議論するものから、東南アジアなどでのボランティア、海外インターンシップの斡旋や参加まで、幅広く海外の人々との交流の場が設けられています。これらのサークルはとても人気で、サークルに参加するための選考も多くの場合あります。

大学が始まって実質1週間経ちましたが、無数の学生たちと自己紹介をし、出身校を伝え合う中、最も頻繁に聞かれる質問が「なぜ日本の大学に来たのか」です。

欧米の大学は素晴らしい、日本の学生はもっと留学して海外から学ぶべきだ、日本の大学生の勉強量が少ない、などと様々な場面で叫ばれる中、語学や情報の壁がないのにかかわらず、なぜ欧米の大学に進学しなかったのか、という疑問を抱く学生が多いようなのですが、今回「なぜ(留学をお勧めしてきた)私があえて日本の大学に進学しようと決めたのか」をお話させて頂こうと思います。帰国生や長期留学された高校生の方々などに、日本の大学と欧米の大学との間で迷っている方、そして留学を考えているがその先が見えない方もいらっしゃるかとは思いますが、私自身の個人的な体験が少しでも参考になれば幸いです。



(長くなってしまうので、私の体験記を[1]、私の体験から考えた「グローバル化」やそのまとめを[2]として2パートに分けさせて頂きます。)



私はこれまで小中高のうち計8年間を英語の環境で学んでいたということもあり、欧米の大学に進学することは中学生の頃から「当たり前」だと考えていました。ニューヨークの中学校で英語で、かつ少人数のクラスで学ぶことの楽しさに気付き、日本人が私一人である中友人のほとんどがアメリカ人だったため、日本とのつながりよりもアメリカとのつながりを強く感じていました。また、近年日本でも言われているアメリカの大学教育水準の高さも魅力でしたし、私の日本語能力の低下も心なしか理由の一つでした。

高校でアンドーバーに進学した時もアメリカで学び、働こうと私は決めていたので、日本の大学に進学する可能性は0.001%くらいだと信じていました。しかし、いざアンドーバーに通ってみると、私は「ニューヨーク出身」ではなく「東京出身」、「アメリカ人」ではなく「日本人留学生」でした。今思うと当然のことで、私のその時のアメリカかぶれ加減に呆れてしまうのですが、その時はその事実に衝撃を受けました(一言で言ってしまえばいわゆるアイデンティティ・クライシスでした)。

これは単なるラベルではなく、授業や日常生活の中で「日本人としての意見」を求められることをも意味していました。国際関係論では領土問題や安全保障について、東アジアから来た友人との会話では慰安婦問題や国同士の関係の悪化について、人々はアメリカのメディアではなく日本のメディアで伝えられていることや、日本人の視点に興味を持っていました。しかしニューヨーク・タイムズやエコノミストなどからのみニュースを得ておらず、自国の政治家の言動に苛立ちしか覚えていなかった私は、皆が既に知っていることだけしか伝えられませんでした。

最初は「日本人」として特別視されることを恐れ、そのことをあまり意識しないようにしていたのですが、他の東アジアをはじめとする学生たちが繰り広げる高度な議論や、自国の歴史や文化、政治に関する莫大な知識を目にする度に、そしてそれに対して日本人の観点が完全に欠落していることを痛感する度に、私自身の知識不足を反省し、もっと学ばなくてはならないと考え始めました。

日本について少しずつですが学んでいると、決して日本人の皆が皆海外で報道されるような排他的ナショナリズムを掲げている人々であるわけではなく、むしろ東アジア諸国との関係悪化に心を痛める人がたくさんいることが分かりました。また、韓国や中国の学生たちと実際に話してみると彼らは決して日本のテレビで観るようなナショナリスティックで攻撃的な人々ではなく、一個人として相手の意見を尊重しながら、かつ自分のアイデンティティや譲れないものは大切にしながらも自国の立場や弱さを語り、他国に対する理解を深めようとしている若者たちでした。

そして議論をしていくにつれ、「日本人の意見」は必ずしも「自分の意見」と一致しなくても良いことや、少し知識不足であったり印象論、あるいは一般化であったりしても、伝え方一つでそのことを論理性の欠如として攻撃されることや嘲笑われることはないということに気付きました。さらに、例えば「日本では〇〇と報じられているが、XXと考えている人もいる」、「一般的にはXと考えられているが、私はYだと思う」などという風に日本国内での意見の多様性を伝えることで、問題解決への希望や道筋をも人々に微力ながら提示できました。

それらの議論から得たものや、授業で学んだ世界規模の問題とそれに対して日本ができること、日本が関わっている新たなる問題などについて考えていくうちに、高校2年生頃に自然に「日本の大学で日本についての理解を深める」という選択肢が浮上しました。その他にも、高校2年生の春にアメリカ史の授業で日本国憲法についての論文を書いたことや、ある戦時中の外交官がその仕事の苦悩や安定した平和の重要性について執筆した本を読んだことも、日本の社会や法について専門的に学び、外交官として東アジアの関係改善に携わりたいと考えたきっかけでした。

今自分に足りないもの、それが「日本についての知識」や「多様な日本人の考え」(あるいは「日本語」)。そう思った私は、日本の大学で学ぶことを決心しました。


さて、かなり長くなってしまいましたが、これが私が日本の大学で学ぼうと思った経緯のほんの一部です。次([2])では私が思う「グローバル化」や「留学の意義」について僭越ながら書かせて頂こうと思います。

入学式

(入学式にて)
ご無沙汰しております。

およそ3ヶ月ぶりの更新ということでとても心苦しいのですが、今日第一志望の東京大学から合格通知を頂きました。長い受験生活でしたが、ブログを読んで下さった方々や心温まるコメントを下さった皆様の応援やお言葉に励まされてここまで来ることができました。アンドーバーでも日本に帰国した時でも、「これで良かったのか」と悩んでしまうことが何度かありましたが、皆様のお言葉を読むたびに日本で学ぶことの意義を再確認できました。本当にありがとうございました。


今日同じ進学先の帰国子女の友人たちと大学の説明会に参加しました。土曜日だったのでキャンパスには学生さんはあまりいませんでしたが、サークルの練習をしている方々も見受けられました。
東大駒場



"Goodness without knowledge is weak, yet knowledge without goodness is dangerous." (「知なき徳は脆いが、徳なき知は危険である」)とは、1778年のアンドーバー創設時に書かれた学校憲章からの一文であり、今もなお多くのアンドーバーの学生や教師、卒業生の心に刻まれている言葉です。

今の日本は様々な意味で岐路に立たされていますが、より良い、平和な未来への道を築いていくには今まで蓄積されてきた知と、これから発見される知や新しい視点を集結させることが不可欠だと私は考えています。言うまでもないのですが、これらは日本だけの課題ではなく、他国の課題と密接に関係、あるいは共通しているものであり、問題の真の解決は国際社会の協力や世界各国との対話、そして信頼関係にかかっています。

知と徳の両立を大切にしてきたアンドーバーで世界中の学生たちと一緒に私は学びましたが、そこで培ってきたものをふまえて、4月からその両立に同じく重きを置く東京大学で日本の学生たちと学び合うことを心から楽しみにしています。今回頂いたこの機会や、これから巡り合うであろう貴重な経験を無駄にせず、今まで学ばせて頂いたことや、考えてきたことをこれからの学びに活かし、できる限り社会に還元できるように切磋琢磨していきたいと思います。

アンドーバー、そして東京大学という最高の環境で学ぶことができるということに感激するだけでなく、その機会を与えて下さった方々や可能にしてくれた家族、いつも応援してくれた友人たち、そして支えて下さり、助言を下さった皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。

まだまだ未熟ですが、今後ともお見守りいただけましたら幸いです。

昨年6月の卒業式について書き終わっていないので大変恐縮ですが、近日中に掲載する所存です。引き続きアメリカのボーディングスクール受験などについてご質問がありましたら、コメントあるいはメッセージを通じてご連絡下さい。

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(11月に行われた東京大学駒場祭で撮った銀杏並木)
明けましておめでとうございます。

あれよあれよという間に、卒業式ウィークエンドについて話し終わる前に新年になってしまいました。私大受験が終われば時間が空くのでは、と思っていたのですが、帰国子女受験なれど国立大学の受験は思ったよりバーが高いです。周りの受験生の方々もとても優秀な方々ばかりなので、毎日刺激を受け、 読書と小論文の書き直しに追われています。

2013年は卒業、帰国、受験など、人生の分岐点に立たされた年でした(無論まだ生まれて20年も経たないので、これからある無数の分岐点の中のひとつに過ぎませんが)。アンドーバーにいた3年間は、勉強や課外活動で忙しく、あまり将来ややってきたことなどを深く考える時間がありませんでした。しかし、2013年に入ってから周りの皆も大学への出願(ほとんどの学校の締め切りは1月1日)から解放され、最終学年ということで私の学年全体のストレスや緊迫感も減っていました。皆、好きな先生の下で好きな12年生向け選択授業(Electives) を受講し、成績よりも「学び」やその楽しさを思い出し、週末は仲間と過ごすことができた半年間でした。

私も最後の2学期は、政治や経済、哲学の授業を受講し、今までアンドーバーで学んだことを頭の中で整理し、それに新しく学んだことを加えて自分の考えを練る機会がたくさんありました。決してそれまで一切それが出来なかった訳ではないのですが、考え始めても次から次へと新しい課題が降り掛かってきたので、きちんと熟考することは稀でした。

帰国の一週間後には予備校が始まりましたが、半年間考えてきたことや、授業や友人たちとの会話を通じて芽生えた問題意識がとても役に立ちました。日本語の学校や環境は7年ぶりだったので、最初は戸惑いや不慣れな日本語を日常的に使う緊張感に押し潰れそうでした。ですが、数日して友人ができ、アンドーバーで私が興味を持っていた世界の抱える課題について、先生方が詳しい情報やその根幹にある問題を教えて下さったので、「日本でもやっていける」という確信を持てました。また、日本でしか学べないこと、海外と日本の観点を両方併せ持って初めて見える問題とその解決法があることにも気付きました。そして、政治や経済に関する自分の読みたい本を好きな時に読むことができるというのは今まであまり時間の余裕がなかった私には贅沢な時間です。

もう2014年となり、あと3ヶ月で大学に入学するとはとても信じられないのですが(特にまだ進学先が確定していない状態なので)、全国から集う、多様な学問的興味や経験を持つ学生たちと一緒に学ぶのを待ちきれません。今できることと言えば今まで行ってきた受験勉強という学びを続け、様々な問題について理解を深めることしかありません。これから4年間このエキサイティングな街で、私の大好きな「考える」ということを、大学だけではなく社会経験などを通して思う存分できると考えると、自分なりの結論を出すことに今の時点ではあまり執着したり不安にならずに、焦らず自分のペースで学んでいけたらな、と思います。

2013年は読んで下さっている方々やコメントを書いて下さった皆様に助けていただいた一年でした。心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

更新する頻度がいつも非常に少なく、皆様には申し訳ないのですが、今年もボーディングスクールについてもっと知っていただき、皆様のお役に少しでも立てるように情報をお伝えする所存です。もし何かご質問がありましたら、コメント欄、あるいはメッセージでのご連絡をお待ちしております。

2014年も、よろしくお願いいたします。