きのうの夜もほとんど眠れませんでした。

 正確に言うと15分眠れたのかな。


 避難所で眠れない夜を過ごしている東日本太平洋沖地震の被災者さんとのシンパシーなんでしょうか。

 被災者のみなさんが眠れない夜を過ごしてしまうのには、様々な理由があるとは思いますが、避難所にはパーティーションがないというのも、大きな理由のひとつだと思います。せめて、各個人、または家族ごとにダンボールでいいから壁をつくる。これだけで不眠が解消される場合があります。このことは、淡路阪神大震災ですでに実証済みです。でも、今回は、その壁を作るダンボールでさえ入手できないという現実があるようなので、壁を作ることも不可能に近いか・・・・。

 ぼくには幸い、病室の防音壁というものがありますから、とても恵まれた環境にいるわけで、被災者のみなさんには、何だかとても申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

 眠れない夜は、ベッドライトの明かりでPCに向かい、音楽の仕事に没頭させてもらっています。

 東京電力圏内のみなさんは、計画停電と、自ら節電をされているようで、長時間PCに向かうこともせずにいるというのに、北海道電力圏内のぼくは、節電なんてまったく考えずにいるのも、本当に申し訳ありません。


 どうやら、彼女も不眠状態にあるらしく、ぼくとほとんど同時に目を覚ましてしまいました。

 彼女が服用しているのは、薬事法上の分類でいう睡眠薬ではなく”睡眠導入剤”というカテゴリーに入れられるものですから、睡眠状態に促すだけの効力しかないんです。でも、ぼくの服用している抗がん剤の副作用が、万が一起きた場合の監視役という医師の顔で同室しているわけですから、ぼくの服用しているような強い睡眠薬は使えないんですよ。本当は強い睡眠薬でぐっすり眠って、身体を休めて欲しいんですけどね。

 腫瘍の全摘出手術が終わったのだから、もう抗がん剤は必要ないかと思うでしょうけど、ぼくの場合は治験としての服用でもあるため、治験期間が終了する3月31日までは服用を続けなければいけないんです。がんがないのだから、治験を打ち切ればいいようなものですが、誓約書の事項に「いかなる場合でも治験終了日までは服用を続けること」と記載事項があり、ぼくはそれに同意の上でサインをしたのですから、打ち切ることは契約違反になります。

 それと、もうひとつ大切なのは、再発と転移を防止するための予防効果を狙った服用という側面もあります。

 本当は、服用している間の死亡率がものすごく高い抗がん剤ですから、1日でも早く服用を止めたいんですけどね。

 母親もこの抗がん剤を治験服用しての副作用で亡くしているだけに、この抗がん剤の恐ろしさは身に染みてわかっているつもりです。でも、母は末期になってしまってからの肺がん発見でしたから、もちろん腫瘍の全摘出はできる状態ではありませんでした。

 肺がん用の抗がん剤には、いくつかの種類がありますから、何もよりによって、一番死亡率の高いものを選ばなくてもいいようなものですが、当時の母の担当医でもあった、現在のぼくの担当医とぼくが二人で何度も相談した結果、ぼくがその抗がん剤を使う決断をしたんです。もちろん、副作用のことは考慮の上でした。母親本人は、もうその頃、痛み止めのモルヒネの副作用で正常な判断ができる状態ではなく、子供のような意識レベルでしたから、抗がん剤を選択することはできませんでした。

 だから医師とぼくの二人で決めました。

 はじきだした、副作用による死亡率は90%。

 それでも、ぼくは母親をいたずらに延命させるのではなく、一日も早く痛みから解放してやりたかった。

 母親を殺したのは、誰でもない。

 ぼくです。

 いくら悔い改めても、その罪は消えません。一生背負っていきます。


 「ここ2、3日、空き時間は真剣にPCに向かってるけど、どうしたの」

 彼女の声にはっと我に返りました。

 「ああ、ブログ、書いてるんだ」

 今はね

 「えっ、何、これ?」

 彼女はPCの傍らに置いてある、映画のシナリオを手に取ります。

 「キングダム・カムズ・・・・か」

 今度、手がけることになったハリウッド映画のシナリオなんだ

 旧約聖書からイエスの誕生を経て新約聖書までの全編を描くって内容のね

 全世界公開になるらしい

 といっても、二年後をめどにみたいだけどね

 「ハリウッドか・・・・すごいじゃない。第二の坂本龍一ね」

 キリスト教をテーマにした映画だから、オファーにOKしたんだ

 母親に対して犯した罪を、わずかでも悔い改めることができると思って

 「お互いに、消すことのできない罪があるもんね・・・・」

 きみに罪はない

 最終決定を下したのは、誰でもない

 このぼくなんだから

 だから、すんなりと改宗できたのかもしれない

 仏教には、悔い改めるという概念はないからね

 「わたしは二世(親がキリスト教徒に改宗してから生まれた子供のこと)だから、仏教についてはよくわからないけど、そういうものなの?」

 ああ

 「お彼岸にはお母さんのお墓に行くんでしょう?」

 そのつもりだよ

 そういえばもう何日もないか

 「わたしも一緒にお参りさせてもらってもいい?」

 もちろん

 参ってやってよ

 きっと母も喜ぶから

 「お母さんを殺したわたしでも?」

 だから、きみに罪はないって言ってるだろう

 そのことはいっさい考えないでくれよ

 それより、結婚を前提としたお付き合いをしてる場合って、お互いの親に、相手を紹介するものだよね

 きみの両親にはお会いしたけど、ウチの母にはフィアンセとしてのきみに会ってもらいたいから

 「お母さんはわたしのことを許してくれるかな」

 当たり前だろ

 むしろ、今までのほうが心配してたと思うよ

 43にもなって独身なんてね

 親離れできてないって、怒っていると思う

 きみを紹介すれば、安心すると思うんだ

 「じゃあ、お言葉に甘えて、お線香をあげさせてもらうね」

 そうと決まれば、きょうのうちに外出届を出しておこうか

 彼女は笑顔で頷きました。


 前略

  おかあさん、今までご心配をかけました。

  でも、ぼくはこんなに素敵な、生涯の伴侶をみつけました。

  あなたの分まで幸せになります。

  春のお彼岸には、彼女を正式に紹介しますから、会ってやってください。

  もう、心配はかけませんから

  ゆっくりと天国ライフを満喫してください。

                              


            あなたにご迷惑をかけてきた息子より。