きょうは4月2日。毎月2日といえば母の命日。
そしてきょうは新しいパソコンが届く日。
命日に慶事っていうのも気が引けますが、メーカー側の都合もあるし、家を空けるわけではないので、よしとします。親鸞聖人もそこまでは書き残されていないはずです。なにせ巻物にして1,900本と言いますから、全部読んで探すとなると30分や1時間でできません。少なくとも大経と言われ、浄土真宗では最も大切にされる『正信偈』では述べられていません。
朝、まず自分の朝食の前に仏壇に向かって浄土三部経(、『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』)と言われる3つのお経をあげてから、自分の朝食です。仏様には同じ炊飯器で炊いたご飯を先に上げて読経。これがルール。お寺では毎朝”朝のおつとめ”といってそうされています。でも檀家さんは、毎朝、三蔵法師が「西遊記」で受け取りに行ったといわれる「阿弥陀経」を朝食の前に読経するのみで、浄土三部経すべてをあげるのは命日と法事の時だけです。
手っ取り早く朝食を採り、掃除を済ませ、ゲームをしながらパソコンの到着を待ちます。
と、ベランダの窓をたたく音が。顔をあげると、ダンボールを持った、メーカーのお偉いさん。
鍵を開けろってことですね。でも、ドアホンを鳴らせばいいのに。
鍵を開けるといきなり玄関に入ってきてダンボールを置きました。
「いやーおい、緊張した。落としたら終わりだろ」
とにかくどうぞ、中へ
ダンボールはぼくが持ちますから
居間に案内するとお偉いさんはいきなり仏壇に目を止めました。
「社長と奥様にお線香を上げさせてもらうよ。それがしたくてきたんだ、札幌から」
腕にぶら下げていた紙袋から菓子折りを取り出し、仏壇に上げ、前に正座します。
「母さんは買い物か?」
その中にいますよ
「どこ?」
仏壇
「またぁー、きょうはエイプリルフールじゃないぞ。きょうの嘘は詐欺罪だって」
ほんとに亡くなったんです
4年前に
「嘘だぁー。おまえな、生きてる人を死んだと言うのは嘘の中でも最低の嘘だぞ」
これが証拠ですよ
ぼくは書類入れから死亡診断書と母親の抹消された戸籍謄本の写しを見せました。
診断書を読む彼の手がブルブル震えています。
「肺部粘表皮癌・・・平成17年12月2日午後3時・・・」
葬儀は本人の意思で家族葬を執り行いました
ぼく一人で
ですからご連絡も控えさせていただいたんです
申し訳ございません
本当は八木課長や茂尾さんにもご連絡しなければいけなかったんですが
彼は鼻をすすりながら、瞳から大粒の涙を恥ずかしげもなくこぼしていました。
そして無言のまま、仏壇にローソクを灯すと、お線香をあげ、数珠を手にかけたまま、長い間頭を垂れていました。
仏壇から離れた後も、病人のように青白い顔で視線は定まっていないようです。
「あの、これ、パソコン。取り付けやセットアップは俺より詳しいだろうからこのまま置いていく」
じゃあ、きのうの価格分
「いらない。御霊前にしてくれ」
いいえ
それはそれで別です
パソコンの代金は払います
今度、また旭川にくるときがあったら、そのときに用意してきてください、御霊前は
それならありがたく受け取ります
「そうか・・・じゃあ預かっていくよ。これは会社のパソコン営業部の領収書」
代金と領収書を交換。
それが終わると彼はフラフラと玄関へのドアを開けて出て行きます。
ごゆっくりしていってください
「ありがとう。でも仕事を早く終えてとにかく1秒でも早く札幌へ帰る。退職した八木課長や茂尾さんに早く知らせなきゃ」
八木課長も茂尾さんも退職したんですか?
「八木課長も茂尾さんも今は奥さんの買い物に付き合わされて、荷物持ちとタクシー代わりにこき使われてる。営業のほうがよっぽど楽だって笑ってた。日を改めて、3人そろって出直してきてもいいかな?」
ええ、どうぞ
「問題は、2人にどうやって信じさせるかだぞ」
そうなったら電話をください
診断書と戸籍謄本をFAXしますから
彼はうなずきました。
瞳にはまだ涙があります。
いくらハンカチで拭いても乾くことのない涙が。
「それじゃあ」
ありがとうございました
わざわざ寄り道させてしまって
彼はマンションを後にしました。(※注ここをぼくはアパートだと思っていたのですが家主さんに言われました。「役所への建築申請は”マンション”で出してあるから、ここはアパートじゃなくてマンションだから」。不動産屋に勤務する、ここを世話してくれた友人も、「区分はマンションだから見取りをよく読めよ、ちゃんとマンションって書いてあるから。アパートにゃ光ブロードバンド引かないよ。光フレッツマンションっていうんだぞ、正式には」。Yahoo光を使ってるのになんでNTTのフレッツをくちにしなければならないの?えっ)
定年を前にしたいい男があんなにぼろぼろに恥ずかしげもなくないてくれるなんて、うれしかったです。
喪主であるぼくでさえ亡くなった瞬間から葬儀の時も、そして今まで、母のことで涙をこぼしたことは一度もありませんでした。
泣きたい気持ちにならなかった。
むしろ本人を一刻も早く苦しみから解き放ってやりたいだけで、それができたのだから、喜ばしい気持ちのほうが強かったですからね。
でも、あんなに泣いてくれる人がいるということは母にとっては最高の名誉でしょう。
あれだけ泣いてくれるのは母が生前、それだけ深い繋がりをもっていたということです。
近藤さん、泣いてくれてありがとうございました。