「先生、早く手話を覚えて」 | かやくりひblog

「先生、早く手話を覚えて」

kosodate347さんの「子育て」の記事に、コメントをしようかと思ったのですが、ちょっと長くなりそうなのでトラックバックすることにしました。

以前、別のブログで「もっと楽しい国語のススメ」という番組の紹介をしました。

この番組でゲストになった清水義範氏が第4回で紹介したのが、全国の4割以上の小中高の学校で実践が進んでいるという始業前10分~15分の読書活動。この活動の特徴の一つに、感想文を書かせないことがあるのだそうです。感想文などを求めてしまうと、どうしても優等生的な文を書きがちなので、感想というのは読んだ子の中で熟成されるのを待つべきもので、この特徴は好ましい、と清水氏は言います。

感想文を書かせない、で思い出すのが、私が小学校低学年の時、社会科の授業で学校の近くの駅を見学に行って、駅員さんにいろんなものを見せてもらったことがあります。

おそらくポイント交換機を操作して見せてくれたのだと思うのですが、駅員さんが操作して「ほら、向こう、変わったでしょ?」と言うのですが、私には何がどう変わったのかさっぱり解りません。

見学の感想文を書かせられて苦しまぎれに「大きなきかいがガタンと降りた」と書いたことを今でも覚えています。

kodomo347さんが「みなさん、どう思われますか?」と問いかけをされている息子さんの場合、私のこの経験よりも複雑な事情があります。

授業で近所の人を呼んで話を聞いたのですが、友達が手話通訳をしてくれたけど、何の話をしたかさっぱり判らず、通訳をしてくれた友達に感謝の言葉を述べた後「先生も手話を覚えてよ」という要望になってしまった、というものです。

近所の人の話は、昔の生活についてだったので、たとえば洗濯板を同級生は知らないだろうから、手話で表現できないでしょうね。

私のようにパソコン要約筆記をしている者の立場からは、だからこそ、地域で手書きなりパソコンなりでノートテイクする人を養成する必要があると結論づけてしまいそうです。

近所の人が話をしている間は、先生は待機していたのだろうから、「洗濯板」という、子どもには聞き慣れない名前が出てきたら手話を知らなくても「せんたく板」って板書するぐらいはできたような気がします。