【送料無料】歴史街道 2011年 02月号 [雑誌]

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↑ 内容は歴史街道 HP












江 公式HP
江 公式HP(大津放送局版)

第31回「秀吉死す」

【あらすじ】

大火事の際、夫・秀忠(向井理)が身をていして自分を守ってくれたことで、江(上野樹里)は、徳川の妻として生きる決意を固める。ある日、江が暮らす徳川屋敷に、秀吉(岸谷五朗)がやってくる。秀吉は病から回復したものの、衰えは明らかで、家康(北大路欣也)は、秀吉亡き後に思いを巡らしていた。
そんな折、江の懐妊が判明。早速秀忠に、そのことを伝えるが…。

今日描きたかったのは↓このあたり?

(手元にある雑誌の特集から拾ったので
怪しすぎるかも・・)


1596年(慶長元年)明使/沈惟敬を大坂城に引見・激怒・和議不成立、再出兵
1596年(慶長元年)キリスト教徒26人を捕え長崎に磔殺。
1597年(慶長2年)慶長の役
1597年(慶長3年)3/15 醍醐の花見
1597年(慶長2年)4月 江、千姫を産む
1598年(慶長3年)8/5 秀吉が秀頼を五大老に託す、家康らに忠誠誓わす
1598年(慶長3年)8/18 秀吉没す

やっぱちょっと時系列が乱れてる!
手元に年表ないと無理・・


秀吉、亡くなるんだけど秀頼を託す「五大老、五奉行」揃わないんだろうな。
この時代を描く時には大体、揃って出るけどこのドラマではなさそう・・。

先週の続き。火事にあった翌日の秀忠の伏見の邸。
江は「秀勝の形見/刀と手紙」を封印・・。ヨシに託した「離縁願い」の
手紙も破り捨てました・・とさ・・。
そこへ女中がきて「大殿さま(家康)と若殿さまのお帰りにございます」
江が部屋に向かってみると、秀吉の声が・・・??

ナレ「久しぶりの秀吉との再会にございました」

秀吉「おぉ・・よきめおとぶりではないか」
家康「火の中より秀忠が江を助け出したとのことにござりまする」
秀吉「ほぉぉぉ・・見よ、とついでよかったであろうが」
江「・・・」
家康「御身は。。殿下御自ら見舞いに来てくだされたというに」
秀吉「よいよい。江はわしと口をきかん。会うのも嫌じゃと言うて
   おったでなぁ・・」
秀忠「あきれたなぁ・・」
江「・・・」

秀吉は懐から「秀頼の下着が入った」巾着を取り出し匂いをかぎ、
「秀頼が天下人となって大坂城天守に立つのが楽しみだ」と言いつつ
咳き込み・・。怪訝そうな表情の家康と秀忠・・。
家康は「殿下も衰えられた。わしも忙しゅうなるな」と正信に話します。

秀吉は明からの冊封使節に謁見。二人は明皇帝からの封王の金印と
冠服を秀吉にささげます。
明皇帝からの勅には「特になんじを封じて日本国王となす」とだけで
秀吉の要求したことには一つも触れていません。
秀吉は再び出兵の命をくだすことになりました。(慶長の役)
(江と秀忠の恋バナ進行だったので出てきてなかったですが、まだ
朝鮮との戦は終わってなかったんですよね・・。)


江「明へ出兵?またですか?」
秀忠「またじゃ」
江「では父上様は再び九州へ?あなた様はどうなさるのですか?」
秀忠「こたび太閤殿下は伏見で戦の采配を執られる。拾さまのそばを
  離れられぬのであろうな」
江「お聞きしていることにお答えください!」
秀忠「我らも伏見に残る。出陣の命も今のところない」
江「再び朝鮮と戦など。。秀勝様は何のために命を落としたのじゃ」
秀忠「・・・」
江「ご無礼いたしました」
秀忠「別に気にはならん・・」
(つい口を付いて出ちゃった「秀勝様」の名。秀忠の表情が凍りつく)

江が吐き気を催し・・(あれ?つわりかな・・?)
薬師の見立てによると「ひとつきからみつき」。ご懐妊~。
その夜、江は秀忠に報告をするのですが。。。余り嬉しくなさそうです?

秀忠「ま・・大事にせよ」
江「はぁぁぁ」
秀忠「おなごならよいなぁ・・」
江「でも・・父上様は嫡男を上げよと」
秀忠「男などつまらぬ。戦で死ぬか人質にされるか養子に出されるか」
江「おなごとてタイヘンにござります」
秀忠「そうだな。いやいや嫁にやらされたりおのこを産めと難題を言われ
  たり・・ま。とにかく大事にしてくれ」
江「はぁぁ」
(この秀忠の台詞もなんだかなぁ・・って思っちゃった。
この時代の男性もタイヘンだっただろうが「つまらぬ」とは)

ここで唐突に細川家(ガラシャ)のシーンが。↑で書いた年表の
キリスト教徒磔殺に触れなきゃならないからかな・・。
ガラシャは最期まで出るみたいですよね。

忠興「キリシタン信徒と伴天連は長崎に送られ磔にされると聞いたぞ」
ガラシャ「存じております」
忠興「これを持ってそなたがデウスの教えを捨てさることは?」
ガラシャ「ございません」
忠興「われら細川家のためだとしてもか?」
ガラシャ「・・」


そして江が出産。姫さまのご誕生とあいなりました。
なのに秀忠殿はなんだか嬉しいんだかそうじゃないんだか(苦笑)

秀忠「これが・・私の子か?」
江「他に・・仰せになることはないのですか?」
秀忠「ん・・」
江「結構です・・」

そこへ家康がやってきましたが、こちらのほうが嬉しそうです。

「かわいらしき姫じゃ、ようやったの、江・・」
(江の「仰せになること」とは秀忠からこの言葉が欲しかったのだ
と思いますよ)

家康が名前を・・と言い懐から出そうとしましたが、秀忠が遮り
「名は考えてある」と半紙を取り出しました・・。
赤子は「千」と名づけられることになりました。

紙には「竹千代」とあったのをヨシが発見。問い詰めると秀忠は、
その中で一番ましな字を獲った。名前など呼びやすければよい・・
ですって。おいおい、ちょっとまった!
(名づけ・・といえば。脱線しますが私と妹の名前・・。
私は父の初恋の人の名前。(母は母でつけたかった名前があった
らしいが却下!というか母に了承も得ずに父は出生届提出をして
ま、事後承諾みたいなもんでしょうか。)
妹の方は男の子欲しかったのに女の子だったから父が
予定してた漢字一文字の男児用の名前に「子」をつけただけで終了。
こんなんだもの~。
総画、字画悩んだって子供の頃聞いてたのに、大人になって知って
妹と二人でマジかガーンそんな安易につけたの?だった)

そんな秀忠ですが娘を懐に抱き、庭を散歩。超デレデレパパに
変貌していました。見守る江も正信も嬉しそうでしたね。
(何だぁぁぁ、うれしくってたまらないんじゃん!
素直に喜べよぉぉ!とつっこんだのは私だけじゃないよね?)

ところが・・難題。

江「いいなづけ?千と秀頼をですか?」
家康「そうじゃ・・」
江「千はうまれてまもないのですよ。」
家康「今すぐにと言う話ではない。太閤殿下がいかに徳川家を重んじ、
   豊臣家と結び付けたがっておるかということじゃな」

千姫と秀頼の婚儀を決めるのってもっと後じゃないっけ?
(婚儀は慶長8年(1603年)だけど)

醍醐の花見。案の定・・な描き方だったなー(苦笑)
五大老も五奉行も揃っていないし、利家の妻・まつも出てきてないから
軽く大雑把に描くだけで終わるだろうなと思っていましたけど・・。


秀吉の病状が悪化。「行かない」と言っていた江でしたが、秀吉の枕元
に行きました。ずっと思ってきたものを一気に吐き出しているような感。
「私はあなたを殺したい」ので「病気で死なれては困るのです」だって。

でもそんな江に秀吉は懇願するのでした。

「江よ。最後に一つだけ頼みがある。「幸せになれ」こたびこそ徳川の家で
「幸せになって」くれ」
(江にすれば振り回されたと言う思いがあるんで今更「幸せになれ」と
言われても何の感情もわかない・・!)

そして秀吉は逝きました。一つの時代が終わりまた次の時代へ。
関が原へ向かって動き始めていくみたいです・・。