手帳をうまく使うことがこわい理由を書いてみようと思います。
(下書きなしで書いていくと、自分の意識が出てきて怖いな~w)
・コントロールすることがこわい
・予定を立ててうまく行かないことがこわい
・予定を立てることでそれが子供に崩されることがこわい
・予定を立ててそれを子供に崩されることで、自分が保てなくなるのがこわい
(イライラとか自暴自棄とか暴言とか)
・予定を立てるための前提を考えるのがこわい
◆明日の天気はどうか、明日の灰はどうか、明日の夫の都合はどうか
(=車が使えるのかどうか)
→これを夫に確認するのがこわい。面倒。
聞いても「明日のことは明日にならないとわからない」と言われることもストレス。
→上記のストレスなく車を使うために、
子どもを早起きさせて車に乗せて早朝から出かけるのも面倒。
夕方の夕飯や入浴の時間帯に外出しなければならなくなるのもいや。
(動かせない予定があれば、それ前提で動くけれども、
車を使うかどうかわからないので、家事や自分の都合で頻繁にする気にはならない)
◆子どもの体調はどうか、子どもの機嫌はどうか
(=子供をコントロールできるかどうか)
→子どもはコントロールするものではない、と思うし
子どものこういう体調や機嫌は親の環境作りに失敗しているということだから、
自分のせいと思えてあんまり考えたくない。
体調は子供自身の問題もあるだろうけど(幼稚園での流行とか)、
対応するのは私なわけで。
→子どもの機嫌が悪くて手におえない時は大抵疲れているか眠いか。
それをフォローできていないのは自分のせいだから。
食事、睡眠、起床などの生活パターンが崩れていたりするということ。
◆自分の体調はどうか、自分の機嫌はどうか
(=そもそも自分が予定通りに動けるかどうか)
→起きたら脳貧血で動けない、とか。腰を痛めて動けないとか。
意外と自分の不調が多いのです。
自分の疲れを把握する必要と対処する必要がある。
改善方法もわかっているのにやっていないと突きつけられる。
ああ、私、自分を許せてないんだな、と思った。
手帳で何をするか管理する前に、できてないことばっかりが見えるから、いや。
子どもの機嫌が悪いことまでを許容できていないんだな。
そして、夫と対等に調整することが本当に怖いのだなあと。
あんまり直視したくないものを直視しろと言われているのですよね。要するに。
結局、手帳ってそこを問われているのだなあと改めて思いました。
手帳を使うということは、そこを見つめるほかなくなるわけで。
これって、手帳に限らずなんだけど。片づけも。
ということで、次は片づけに書いてみようと思います。