今日は終戦記念日

今、テレビで 『知覧特攻平和会館』の特集をしています。

『命を捧げた特攻の真実。なぜ若者達は飛んだのか。』

という第が付いてます。

テレビを見ながら、入力しているので、話が飛ぶかもしれません。

読み難くてごめんなさい。

知覧特攻兵平和会館の壁には、10代後半から20代の方の

遺影がたくさん壁に貼ってあります。

涙がじわ~ん。

会社の旅行で一度、知覧を訪れたことがあるのですが、

その時も涙がじわ~ん。

当時、若い男性社員が居たのですがその人の目にも涙が。汗


特攻隊出陣の前の数日間は、三角兵舎という所でみんなで過ごします。

敵に見つからない様に、林の中にあったそうです。

建物は半地下です。

窓もないため、暗かったでしょうに。

前日はほとんど眠れなかったそうです。

出陣までの数日を過ごす、寝るだけの部屋。

20名が過ごしたそうです。

どんな気持ちでいらしたのでしょう。


『特攻の母、食堂のトメさん。特攻おばさん。』

この方も訪れた方はご存知ですね。

お母さんの様に、出陣する学徒さん等にとても慕われた方だそうです。

『ホテル館 富屋食堂(だったかな?)』の復元があり、

こちらにも特攻隊の方のゆかりの品物も置いてあります。

トメさんと特攻隊の皆さんと一緒に笑顔で写っている写真や、

17歳の学徒出陣する方、犬を抱いているの。

自分たちは死んでしまう運命なのに、トメさんに誰も見てあげないと

死んじゃうからと言って、犬の面倒をお願いされて逝ったとか。


トメさんをお母さんと慕っていた方々。。。

『宮川三郎軍曹』

おばちゃん、明日9時に蛍になって戻って来るよ。

って、言って本当に9時に戻ってきたそうです。

みんなで分かれの杯をかわしたそうです。


最後に敵機へ突っ込む時には、みな、『お母さん』と言っていた

と思うと、当時の方のお話がありました。

『俺が死ななければ、この国を助ける人はいない。』

ともおっしゃってました。

毎秒3000~4000発、敵艦から撃ってくるのを逃れて

敵艦へ突っ込める確率は、1割だそうです。


この家に入った時、みんなの思いがぐわぁ~んって、入ってきた

ことを思い出します。

そして、遺書というのでしょうか?

出兵の前に家族宛に書いた手紙を読んだとき、また

涙がじわ~ん。

とっても達筆の字で、お父さん・お母さん、妻や子供宛に

書かれています。

それを読むと涙で読めなくなったのを思い出しました。

これが最後の親孝行と思って書いたそうです。

特攻で亡くなった方、生き残った方どちらも辛いことでしょう。。。

特攻隊で飛んだら最後、戻ってこれません。

『コウゲキホウハトッコウトス』

特攻隊は、志願ではなく、命令。

1週間の猶予があるそうです。身の回りのお世話をするのは、

なでしこ隊(知覧女子高校の方)がされていたそうです。

最後の夜は別れの杯をして、出兵。

みんなの笑顔がちょっと悲しい。

『藤井一中尉』

教え子がいる先生でした。生徒だけは死なせない。と言っていたそうです。
妻と子供が二人いました、妻子が居たため、希望が通りませんでした。
妻は夫の気持ちをくみ、私たちが居ると邪魔になるといい、入水自殺しました。
その後、希望が通り出陣されました。

『光山文博少尉』

朝鮮出兵の方もいらっしゃいました。
朝鮮、韓国は国賊としているそうです。

興味のある方は、知覧特攻平和会館のホームページをご覧になってくださいね。


今の平和の日本があるのは、こういった方々がみんなのために出陣して
命がけで命を散らして下さったお陰です。
68年前のことですが、もし今行きておられたら、
この日本をどう見られてるのかなぁ。。。

陸軍2244名 海軍4173名 

6417名が特攻隊で亡くなっています。



戦争で亡くなった全ての方のご冥福をお祈りします。

今ある幸せに感謝。

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