六師外道⑥原始ジャイナ教1 | 徒然草子

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1.導入
ジャイナ教は仏教における六師外道の一つであり、又、仏教とともに発達し、インド文化や思想界に大きな影響を及ぼし続けた。仏教とは異なり、ジャイナ教はインド亜大陸以外に普及することは無かったが(※但し、海外におけるインド人のジャイナ教コミュニティーは除く。)、仏教が13世紀のイスラーム勢力の侵攻によって壊滅的打撃を受けてインド亜大陸の地から殆ど姿を消したのに対して、ジャイナ教は生き残り、今日、信者数としては少数派ながらも、インド宗教界において重要な位置を占め続けている。

2.マハーヴィーラ略伝
ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラは仏教の開祖釈尊とほぼ同時代の人で、紀元前444年頃、ヴァイシャーリー郊外の村のクシャトリヤの子として生まれたと伝えられている。彼の本名はヴァルダマーナと言い、彼がジニャータ族の者であって、後にニガンタ派と言う古くからあった宗教の一派の説を奉じて改良したことから、ニガンタ・ナータプッタとも呼ばれた。
マハーヴィーラの父の名はシッダールタであり、母の名はトゥリシャラであったと伝えられている。長じて後、彼は一女性と結婚し、普通の家庭生活を送っていたが、30歳の頃に出家してシャモン(沙門)となり、ニガンタ派に所属して苦行に励んだと言う。
その後、苦行の末に大悟してジナ(勝者)となり、又、偉大なる勇者を意味するマハーヴィーラの尊称を以って称される様になった。
その後、マガダ国のラージャグリハ(王舎城)などを中心に各地で伝道活動を行い、その結果、多くの人々の帰依を受ける様になり、アジャータシャトル王(阿闍世王)に到っては彼に最高の待遇を以って接し、しばしばその教化を受けていたと言う。尚、同じ頃、釈尊も各地で伝道活動を行い、しばしばラージャグリハ(王舎城)を訪れているが、マハーヴィーラと釈尊が直接対面することは終に無かった様である。
そして、マハーヴィーラは72歳頃にパータリプトラ(華氏城)の近郊にて亡くなったと言われている。

3.事物に関する判断について(スヤートヴァーダ)
マハーヴィーラの時代は自由思想の時代とも言われる様に、様々な思想が百花繚乱の状態で興り、互いに対立抗争していた。
かかる状況においてマハーヴィーラは事物に関する認識判断において一方的な、又は独断論的な判断を下すことに反対して事物の認識と考察に関しては様々な側面から行う必要があると主張し、その上で判断を下す場合は必ず「・・・・・の点から見ると」という条件(スヤート)を付する必要があるとした。というのは、事物の認識はその拠って立つ見方(ナヤ)に依存するからであり、拠って立つ見方によって事物に関しても様々な認識が可能であり、又、その結果、行われる判断も異なってくるからである。
以上のマハーヴィーラの立場はスヤートヴァーダ(条件論)と呼ばれ、それ故、インド思想界においてジャイナ教の信者はスヤートヴァーディンとも呼ばれている。
そして、マハーヴィーラは上述の立場に立って『ヴェーダ』の絶対的権威を否定し、又、バラモンが行う祭祀は無意味なものであり、祭祀に際して行われる動物供犠は徒に罪を作っているに過ぎないとして批判し、更にカースト制についても批判した。その上でマハーヴィーラは時間的かつ場所的に普遍的な法(ダルマ)が存在すると考えた。

4.形而上学的考察Ⅰ宇宙論
仏教の開祖釈尊もその思索の出発点は現世における苦であったが、インド学者中村元によると、マハーヴィーラも同様に現世の悲惨と苦悩が思索の出発点であったと言い、中村はマハーヴィーラの思索の出発点としてジャイナ教の聖典『アーヤーランガ』の「生ける者は生ける者を苦しめている。見よ。世間における大いなる恐怖を。・・・・彼らは無力で脆い身体を以って破滅に赴く。」という痛切な彼の言葉を挙げている。
そして、現世における苦悩を脱するべくマハーヴィーラは形而上学的考察に着手するのであるが、本節ではマハーヴィーラの形而上学的宇宙論を概観する。
宇宙は世界(ローカ)と非世界(アローカ)から成るが、衆生が住む領域は世界(ローカ)である。世界(ローカ)は様々な要素から成るが、大別して霊魂(ジーヴァ)と非霊魂(アジーヴァ)から成っている。
霊魂(ジーヴァ)とは生命力そのものであり、本質的に清浄なものであり、それは地、水、火、風、動物、植物に宿っている。
一方、非霊魂(アジーヴァ)とは運動条件(ダルマ)、静止条件(アダルマ)、虚空(アーカーシャ)、物質(プトカラ)である。
以上の霊魂(ジーヴァ)と四つの非霊魂(アジーヴァ)がこの世界における実在体(アスティカーヤ)であると言う。
さて、この世界において虚空(アーカーシャ)はそれ自身が実在体(アスティカーヤ)であるとともに他の実在体を在らしめる場所である。そして、時間(カーラ)は永遠にして均質的かつ単一であり、それ自身としては空間的に場所を占めない。かかる世界において在る物質(プトカラ)は無数であり、空間的に場所を占め、活動性と下降性を有する。
物質(プトカラ)は更に原子から成るが、原子は物質を構成する最小単位であり、それ自身は分割も破壊も不可能である。かかる原子はそれ自身としては知覚することはできないが、原子が集合して物質となると、それは知覚可能となる。
以上が宇宙の概要であるが、マハーヴィーラによると、かかる宇宙は恒久的な存在であり、創造されたものではなく、又、かかる宇宙を主宰する絶対神は存在しないとされるのである。
続いてマハーヴィーラの考察は衆生に向けられる訳であるが、衆生に関する形而上学的考察等については次述することにする。