文(美和)さんが、毛利元徳夫人安子の女中だったとか、毛利興丸のお守り役だったとかは、昭和10年代の俗書でしか知りませんでしたので、正直私は眉唾ものと思っていました。


ですが、今日、確定史料を発見しました。



その史料には、安子さんの「御側女中」として、「はな」「津屋(つや)」「美和」の三人が書かれていました。



この「美和」が、文さんその人であることは間違いありません。


これ、新聞記事になりませんかね(笑)