ハイロウズ 十四才 | おもに読書記録

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療養日記。

ハイロウズ 十四才


曲中の「リアルよりリアリティ」という歌詞は、哲学的な意味で、リアリティよりもアクチュアリティとかいうくらいの意味だと思う。


リアリティとアクチュアリティをどのように区別するかというと、ぼくの場合はリアリティからアクチュアリティが引きはがされる事態にずっとある、、つまりずっと離人症なので、リアリティとアクチュアリティは離人症でない人にとってはほとんど同一の「現実感」であって、わざわざ区別して考える人はいないかもしれない。


離人症が「現実がわからない」というとき、それは行為的な意味での現実がわからないのだ。行為的現実とは何かというと、それはアクチュアリティというけど、ぼくは自分の言葉では説明できないな。もの的現実と、行為的現実とがある。


〈私〉とは何よりも、世界が出来上がる行為そのものに関与している者である。(木村敏・檜垣立哉『生命と現実 木村敏との対話』、p12)


これは、行為的現実であるわけだ。ぼくは、離人症は、世界が出来上がる行為における障害だと思っている。だから、〈私〉も問題となるのだ。離人症の患者は、自分というものを感じることができないと言う。


また、こういうことを考えたり書いたりしても、あんまり意味がないというか、こういうことに興味がなくなってきた。離人症について考えることには、あまり意義が感じられない。昔からそうだ。離人症の治療についての本が出版されていないのも、離人症は治そうとしてどうにかなるものではないということ、治そうとすると余計に悪くなることからきているのだと思う。


ぼくも、大学生のときは、離人症というのは致死的な病気の宣告なり、重大な事態として受け止めていた。治療方法がないのだからね。