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子育て。

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今日の空↑



今日は朝から快晴の仙台。


体調も良好で①日を過ごせました☆



が……………



息子さんのコトで事件勃発。



blogをお休みしている間も息子さんは日々成長していて…



それは良いコトだけではなかったり………。




保育園でも度々問題を起こしたりしてきたのですが…。



さすがに今日の事件は母としてかーなーりー凹み中。



きっと育て方に正解・不正解はないと思う。



けど


こういう時


普段の接し方や叱り方、すなわち育て方が悪いのかな……


と 不安になります。



でも そんな事言ってられないよね。



母 しっかりしなきゃ。



自分なりにちゃんと息子さんと向き合って解決しよう。



すっかり悪ガキに成長した息子だけど


私にとっては宝だから。


光らせるも曇らせるも私にかかってる。



という訳で今夜はグッタリ母ちゃんなので


そろそろ就寝します。




明日からまた頑張るぞ!!

あれから③年。

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昨日の空↑


こんばんは。


今日は雨が降ったり晴れ間が広がったり
仙台は不安定な天気でした。


でも家の中にいると風が心地好くて過ごしやすかったかな。



③年前の今日は
岩手・宮城内陸地震が起きた日です。


③年前……


ちょうど此処でblogを書いていた時期で
地震の記事も書いてあったりして
あれから③年経ったのかぁ…と月日の流れを実感しました。


あの時は息子がまだ保育園に入る前で
息子の上に四つん這いになって
揺れが収まるのを待ったなぁ…。


今回は本当 息子は保育園で怖い思いしただろうけど…家にいる時じゃなくて良かったと
母としてはつくづく思います。


地震の時はベッドへ避難するのが私と息子の決まり?なんだけど
今回は強烈な揺れが長い間続き
ベッドに避難した私だけど
そのベッドも動いたし
隣の部屋との仕切りになってる襖は衝撃で壊れたし…。


何よりリビングダイニングが一瞬で散々な事になったから


もし息子がいる時間でリビングにいたら

とか


考えるだけでゾッとします。


それになによりあの状況を見たら
怖がって住みたくなくなるかも…。



そんな想いもあったので
避難所にいる間に毎日家の片付けをして


息子には一切地震後の部屋を見せていません。


現に地震が起きた時
息子は保育園でお昼寝中だったらしく


未だにお昼寝するのをためらったり
お昼寝の時間になるとトイレが近くなると
先生が話してくれました。


息子は息子で恐怖心という傷を負ったんだよね…。


だから


その傷が癒えるように母は日々
私が傍にいるから大丈夫だよって
安心させるように心がけています。



最近はようやく余震の回数も減ったのもあり
夜も熟睡してくれるようになりました。


ちょっと前までは
寝てる時に緊急地震速報が鳴る度に
寝ぼけながらも私にしがみついたり

私が横に寝ていて動いただけで地震だと思い飛び起きてしまったりだったけど。


少しずつ日常を取り戻せてるのかな。



でも


トイレ(大)だけは震災以来①人で行けなくなり
今もそれは変わらず……。


焦らず ゆっくりやるしかないよね。



とか書いてる最中に揺れるし……。



正直 こわい。



沿岸部の方達に比べたら
私の恐怖や被害は大したことじゃない。


いつも思うんです。


被害の少ない地域に住む私が
【被災者顔】するのは申し訳ないと…。


でも
怖いものは怖い。


守る人が出来ると
その気持ちは尚更大きくなります。



うーん…なんかまとまりのない文章になってきたぞ。。


(´-ω-`)



暫くblogをサボッていた結果
文章を書くのが苦手に……苦笑


まぁ それもまたユックリやっていくしかないな。謎



では今夜はこのへんで。



得意気な息子さん↓


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あれから③ヶ月。

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いつかの空↑


東日本大震災から昨日で③ヶ月が経ちました。


あっという間だったような…。


我が家は被害の少ない地域だから
現在は殆ど前と変わらない日常があります。


ただ前と違うといえば


街なかは所々でまだ修理されてない建物があったり
地割れした歩道がそのままだったり。


我が家のマンションは国の調査で大規模半壊と査定されました。

外壁がいたる所でひび割れ剥がれ落ちています。
工事は夏位から始まる予定らしい。


家の中は損壊はないもののTVとレンジとトースターが壊れ
そして①割程度残し食器は全て割れました。



あの日我が家では倒れられる物は全て倒れ、落下したり飛んだり。。。
揺れが収まってから見たリビングにただただ呆然。


足の踏み場が全くない。



その後も続く余震の中
急いで大事な物だけ持って側にある土手に避難。



間もなく降ってきた雪。


吹雪の中 何より心配だった息子を歩いて保育園へ迎えに行き無事に再会。


寒さと恐怖で震える息子を抱きしめた時 涙が出ました。


その夜は車中で過ごし
翌日から10日間は避難所にいました。


あの日の夜


車から降りてボーッと見上げた空。

光と音のない静寂と暗闇に支配された夜は

信じられない位綺麗な星空だった。


カーラジオから緊迫したNEWSが次々流れるのを聞きながら

このままどうなるんだろう?


この世の終わりなのかな。

なんて、現実と非現実の区別がつかないような感覚になったのを覚えています。



③ヶ月経った今も
また大きい余震が来るのではとの不安から
落ちそうな食器や物は全てダイニングに床置き。

避難袋や貴重品類の準備もぬかりなく。


なかなか安心できない日々…。



一緒に住んでる父親と弟の職場環境も変わりました。


あの日

父は漁港の堤防工事へ
弟は仙台新港近くの工場で勤務してました。


何時間も連絡が取れなくて一瞬


流されたかも…


って正直頭をよぎった。



だから夜に再会出来た時には本当にホッとしました。


父は大津波警報の後すぐに沿岸部を離れ
弟も地震の直後すぐに避難したらしく…


2人がいたそれぞれの職場は
2人が避難した直後に津波に飲まれました。


それを知って尚更怖くなったな。。。



現在は有り難いコトに
それぞれが違う現場に従事するコトが出来ています。


父は毎日被災地で重機を使った瓦礫撤去の現場です。

帰ってくる度にため息。


復興は長い長い道のりになるだろうな。と…。


私も何度か沿岸部へ足を運びましたが…
言葉では表せられないものがあります。


私にとっても沿岸部は子供の頃からの思い出が沢山つまった場所だから。

そして名取市は私の生まれ育った町。


知人や同級生の訃報も度々耳にします。


その度に


自分が生かされたのには意味があるんだ。


犠牲になった方達の命の重さを胸に
毎日を懸命に生きなければ。


と 日々 感じています。



正直 震災から③ヶ月経った今
体調があまりよくありません。


主治医が言うには
震災でずっと気を張っていたから
今になって体にきてるのかもとの事。



でもそんな事言ってられない。
自分に負けてらんない。


被災地では前に向かって頑張ってる人達が沢山いる。


先の見えない不安に押し潰されそうになりながらも
必死に今を生きてる人達がいる。



それを考えたら
私は幸せじゃないか。



甘えた事言ってんじゃないよ!!


って


自分に言い聞かせ 病気を克服する為に
日々色んな事、いま出来る事をやっています。



私は一人じゃない。


命より大切な息子を守らなきゃだから。


私の生かされた理由は沢山あるだろうけれど


きっと①番は


息子が笑顔で生きてけるように後押しすることだと思うから。




長文になっちゃったぁ。。


これからまた気まぐれに
日々を更新出来たらと思ってます。



復興や原発…

色んな事を抱え不安な毎日を過ごしてる皆さんに
一時でも心を休められる時間がありますように。


心から願ってます。



最後に


最近ますます実感したこと。



【笑顔は伝染する】



それはきっとどんなウイルスより強力だ。




②年振りに登場の息子↓


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なにがあっても
私が笑うと息子も笑う。


私達は今日も笑顔で生きてます。
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