歌舞伎の演目に伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)というものがあります。

実際に起こった伊達藩のお家騒動を基に脚色された時代物です。



お家を乗っ取ろうと企む悪党一派から幼い主君を守る乳母政岡(まさおか)の男勝りの活躍を中心に描かれています。

政岡が、わが子千松を犠牲にして、悪党一派から幼い主君鶴千代(つるちよ)を守る通称「御殿」が名場面として有名です。



その場面の粗筋はというと、、、



くだんの若殿様が食事のさなか、悪党一派の女が現われ、偉い人から献上された菓子を若殿様の前に差し出します。

この菓子には、若殿様を殺すための毒が仕込まれていました。

毒入りを危惧した政岡女史でしたが、お偉いさんからの献上品だったため、無下にも断れずに苦慮していたところ、その息子千松が駆け込んで来て菓子を手づかみで食べ、残りを蹴散らしてしまいました。

行儀の悪い子のふりをして、身を挺して幼い主君を守ったのです。
母親の教えとは言え、なんたる忠義!

千松が苦しみだしたので、陰謀の発覚を恐れた悪女は、無礼打ちのふりをして千松ののどに懐剣を突き立てなぶり殺しにしてしまいます。

忠義の子千松は、苦しみもだえ死んでしまいます。

あぁ~、ショック!!!のはずですが、政岡女史は表情一つ変えずに若殿様を守護します。
なますの様に切り刻まれるわが子を前にしても動揺をまったく見せません。

えっ??死んだのは本当に政岡女史の息子だったの???
死んだのは本当は若殿様で、政岡女史は自分の息子を若殿様と取り替えて、自分だけ美味しい思いをしようと企んでるのかもしれない!!

・・・って、くだんの悪女は勝手に勘違いして、政岡女史に悪事に加担するよう持ちかけ、悪党一派のの連判状を政岡にあずけて帰っていきます。



悪女を見送って一人になった政岡女史は、、、


「これ千松、よう死んでくれた、でかしゃった」と毒見の大役を果たした息子千松を褒めつつも、、、


「三千世界に子を持つた親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの食べなと云ふて呵るのに、

毒と見へたら試みて死んでくれいと云ふ様な胴欲非道な母親が又と一人あるものか。

武士の胤(たね)に生れたは果報か因果かいじらしや、

死ぬを忠義と云ふ事は何時の世からの習はしぞ」


と武士の子ゆえの不憫を嘆いてその遺骸を抱きしめ涙します。

$ファルコンの気まぐれブログ


この場面は「クドキ」とよばれ、竹本(歌舞伎専門の義太夫節の演奏者のこと)の聞かせどころであり、三味線に合わせて音楽的なせりふ回しとしぐさで心情を表現する見せどころとされています。




この演目が作られたのは江戸時代だそうです。

当時この場面を観た町人は、武士の世界と言えども親心は自分達庶民と変わらないのであり、政岡の悲しみ嘆きを自分の身におきかえて泣いたことでしょう。

また、武士に生まれなかった我が身の幸いに安堵しつつも、忠義のために我が身を奉じた政岡とその息子に、あっぱれな賛辞をおくったのかもしれません。

忠義のために自分を犠牲することを好ましいものとする日本人の美意識が、この「御殿」の場面を名場面たらしめているように思います。




さて、先日の終戦記念日に、NHKの太平洋戦争にちなんだドラマを見ていたら、ふと、このドラマは伽羅先代萩の現代版なのではないかと思ったりしました。



そう思うと、伽羅先代萩は歌舞伎や浄瑠璃の名作であることは間違いないのですが、平和主義や自由主義を維持していく上では、それを観て何か違和感や反発を覚えるぐらいが、丁度いいのかもしれないなぁと感じるのでした。。