トランスジェンダー論を展開するにあたり、これらは超極私論であることをご認識いただきたい。

まず、その超極私論のstartとして、私の中核を形成した強迫観念が「異邦人、アウトサイダー」であり続けたという事実である。

当然、そこには違和感(awkwardness)が付きまとっていた。

「間違った性に生まれてしまった」という違和感。

4歳の時から英国~米国~インド~米国と移り渡り、ハイスクール卒業までに17回の転校を余儀なくされた、always的アウトサイダーとしての違和感。

そして被姦者としての違和感。

それらを内包しつつの異種性としての社会への違和感。

この極私的違和感は、偽りのmaskをかぶることにおいて、世間への順応性を生み出した。

しかし、偽りの仮面はいつしか真の自分からの逃避を加速させた。

ブルース・リー狂のぼく、野球少年のボク、ギター少年のオレ、デザイナーの私、ビジネスマンのわたくし。。。完全なまでのdisguise.

周囲には絶対に分からなかったであろう。

日々の苦慮、苦痛。


真の姿への脱皮。


真のコータの証明。


私は倒錯者ではない。


障害者でもない。


移行者でもない。


これがtrueな姿なのだ。