先週の土曜日で画廊のお仕事を卒業したのはご報告どおり。

実は土曜日の送別会(二日続き)の後、カメラがなくなっていることに気がついた。

日曜日の朝から電話を方々にかけてどこで紛失したかを確認した。

そうしたら、出てきた!

渋谷の有名なお好み焼きや・もんじゃ焼き店。

お店のたたずまいは大正以前のもの。

実はその過去は由緒ある、置屋。

入った瞬間に色々と感じた。

でも私の送別会の波長に、現実の楽しさのみにあわせて盛り上がり、私の感性は封印した。

そのため、お調子ものの私は2次会、3次会となり、カメラがないことを全く忘れていた。

1枚目はその元置屋でのしょっと。


コータ姐の涙と笑いのトランスジェンダー道

2枚目はその前日の、松涛のイタリアンでの送別会Part 1.

コータ姐の涙と笑いのトランスジェンダー道ちょっと飲みすぎの2日間でした。

んで、今夕はそのカメラをピックアップするため、置屋さんへ。

5時半に開くお店の前に、5時から待っていた。

もの凄く「念」を感じる。

悲しい想いが多いな。

自分では一線を引きつつ「それ」を思った。

渋谷ではないけど、東帝都における自分の似た過去との類似を感じていた。

ふと周囲を見渡すと、5時半オープンのお店前に人がいっぱい。

涙ぐんでいる私を不可思議に見ている。

問戸が開き、すぐにスタッフがカメラを渡してくれた。

あってよかったあ。

ホントにありがとうございます。

お礼をつげ、そのままMark Cityでの会合へ。

その後駅を降りて自宅までの帰路、また置屋のことを考えた。

...

今もまだ熟考中。

渋谷~松涛のエリアは現在思われているような華やかなエリアとは異なる過去がある。

それはつい、40年前まで続いていた。

渋谷の複雑な背景はもちろん、

松涛も戦後、米国占領軍Occupied areaとしてHigh Ranking Officialsの接収住宅街とされていた。

ま、いい。

これらの話を展開すると長くなる。

とにかく、私の松涛時代は終った。

松涛のおかげで私はしっかりと足を地につけることが可能になった。


本当に皆さん、ありがとう。